【オーディオにいたる病】
気付いてみれば、昭和100年になっていた。
かの文筆家にして哲学者だったキルケゴールが「死に至る病」を著したとき、それが大きな議論(今でいう炎上)にならないために、偽名で出版したという。それは本人の意向だったのか出版社のだったのかは定かではないが、キルケゴール自身はお金持ちの坊ちゃんとしての立場があったし、道徳と宗教の区別をあいまいにしてフラフラ思索するのが好きそうな人物なので、こうした仮説に仮説を重ねた妄想的な文書が、自身の生活を脅かすことは容易に想像できたのだろう。19世紀半ばと言えど、純粋理性と教会の絶対的な権威は最高潮に達していたからだ。理性にも信仰にも絶望は許されない、そういう堅苦しい社会に呪われた存在であることを、キルケゴール自身も味わって生き続けていたというべきだろう。
で、本題は、「死に至る病」の原因が、大なり小なりの「絶望」に起因するというキルケゴールの論説に従えば、「オーディオ」もある程度「絶望」の周辺を徘徊する趣味といえるような気がしたからだ。つまりオーディオ趣味とは、自分自身でない何かに囚われて機械いじりに勤しみ、そこに感情を揺さぶられ(もてあそばれ)て、いつの間にか絶望の淵をさまよって、手の届かぬ天空(音楽の楽園)を仰ぎ見ることになるのだ。そこにある現実とは、昔から言われていた「地獄の沙汰も金次第」という諺のように、オーディオ趣味とは高額になればなるほど音質が豊かになるという一面もあり、それとともに日進月歩の新しい技術の投入で音質が改善されていくということも言われる。オーディオ趣味は年月が経てば良くなる盆栽いじりとは違い、常に高みを望み新しく生まれ変わることを問う趣味ともいえるだろう。
それは別の見方をすると、電気製品であるオーディオ機器の製品寿命が、十年程度と意外に短いこともあるし、そこに大衆心理の流行が入りこむと、さらに飽きられるスピードも早いこともある。我々は自分の目利き(耳効き)を頼りにオーディオ製品の購入に踏み切るわけだが、そこにはメーカーとして「これなら売れる」というトレンドへの対応が前提にあり、トレンドの周辺には「今これが旬」という情報が触れまわり、さらに今売れている音楽は?それにまつわる生活スタイルは?という、見栄えを伴うファッション的な要素まで加わってくる。これはひとえに音楽という目に見えない空気の振動からくる、実体性のなさを人間の身体にたとえて理解しようとする、人間特有の思考からくるものだと思うのだ。その意味でオーディオとは、本来すぐ消えて無くなるはずの空気振動を、電気信号なり何らかの方法で変換して記録し、繰り返し再生できるように企画された物ということになる。
レコードの歴史を振り返ると、録音方式の技術革新により、約25年間でメディアが入れ替わり、その都度レコード売り上げが倍増するという現象をみた。21世紀は4世代目になり、インターネットによる配信が主流になっているが、従来のメディア規格の刷新が音質の改善が目玉だったのに対し、むしろ手軽さのほうが優位に立っていることが分かる。つまりSP盤では長時間の収録はできないが、LP盤なら同じ大きさでアルバム収録できるし、シングル盤ならもっと小さくできる。CDはさらに小さくてカバンで持ち歩くことが可能になった。ネット配信はメディアの重量がない、等々のことである。そうした手軽さは忘れやすさにも繋がっているようにも思え、音質改善をオーディオの進化と喧伝する、ハードウェアに頼ったオーディオマニアとパッケージメディアに依存したレコードマニアの所業は無残にも打ち砕かれていくのである。では何が残ったかというと、普通に音楽ファンだけになるのだが、これまでのマニアのもつ特権階級的な振る舞いの意味について、その存在意義さえ考えさせられる。物質がもつ価値よりも、もっと本質的なものを見つめる機会になればいい。21世紀とはそういう時代なのだ。

国内における音楽メディア売上枚数の推移(日本レコード協会統計)
このレコード売り上げ統計が始まる以前には、エジソンが蝋管の蓄音機を発明した1877年から、ベル研究所が1925年に電気信号に変換する理論を実践に移すまで、約半世紀を要しており、そこには、これまた全く人間の感知できない電波で電気信号を伝えるラジオの出現が大きく寄与していた。それまで音楽を聴くならレコードという専売特許の世の中が、ラジオの出現によって天地がひっくり返るようなパラダイムシフトが起こったのである。ちなみにアメリカで蓄音機の大御所だったビクター・トーキングマシーン社は、ラジオ放送のために設立された合弁会社RCAに吸収合併され、それ以降アコースティックでの蓄音機の製造をやめて、電気蓄音機の製造にシフトしていった。蓄音機の女王として有名なビクトローラ・クレデンザは、その最後の名品でもあったのだ。同じく映画も無声からトーキーに移行し、俳優の総入れ替えも起こった。もともと舞台俳優も居たので、演技の内容が元に戻ったというべきかもしれないが、それまで映画俳優が独占していた名声は一気に色を失った。電気信号という抽象化された音の存在が、世界中を駆け巡ることで、情報のスピードと質が一変したのである。

 
ビートルズ1963BBCパリ・シアター(ボーカルAKGD160、ドラムSTC 4017、LSU/10をPAとして使用?)
 
英Roberts社のバッテリー駆動型 携帯ラジオ(1963,トランジスター方式)
しかしながら、ラジオがもつ情報の独占は長く続かず、テレビという映像情報の出現によって、その役割が変質していく。同じ放送業界ではあるものの、お金の巡り方はおおむねテレビ局のほうが膨大であった。ここでオーディオ趣味の方向性が変わっていくのだが、テレビという時事の出来事を主体とする媒体に対し、同じことを繰り返し伝えるオーディオ機器の役割は、そこに何らかの付加価値が加わらなければ、わざわざ購入する価値が下がると考えられた点である。最初はラジオより高音質なHi-Fiレコード、さらにはステレオレコード、デジタル時代にはCD、SACD、ハイレゾ音源と、再現なく高音質規格を刷新していき現在にいたる。
 
テレビ出演のビートルズ 左:1964年のエド・サリバン・ショウ、右:1966年の来日公演
 
最初は分売されなかった2009年版リマスターBOX、2019年版EPシングル盤BOX
ここで、オーディオ趣味の絶望の意味だが、良い音の定義が25年過ぎれば変わっている、つまり若い頃よく聞いた音楽を、いつかまたじっくり聴きたいと思っても、古臭い音として忘れ去られた存在になっている可能性が大きいことである。実際に新しい録音規格に照らし合わせてみると、昔の録音はどこかカビ臭く、若い頃に感じたキラキラしたときめきは、紫外線で劣化したカラー写真のように色あせて聞こえる。電気信号と電気製品は劣化など無縁の機械だとばかり思っていたが、どうやら自分と同じように年老いてしまったのか、と何となくセンチメンタルに浸ってしまうのである。先に述べたように、音楽そのものが実体のない空気振動であるため、それに代わる流行や生活スタイルに譬えようとしたとき、自分という人間の脆さに気付かされるのだ。それはオーディオ機器の役割としては、最悪の事態だと言わざるを得ない。
しかし、逆の意味を考えると、その原因は音楽鑑賞という受け身の状況から脱していない、都合の良い消費者身分であったことへのしっぺ返しだとも言える。音楽を創り出し演奏する人は、普通の人が想像する以上に日々研鑽し、その技量と質を維持するだけでも大変な苦労を強いられるのに、それ以上のバイタリティをもって新しい音楽を提供している。それに比べ、オーディオ趣味とくれば、ただリビングで座って、好きな本や飲み物を横に、時間を過ごすだけだ。その気楽さの代償が、音楽への失望感に現れたとて、それは自己責任というほかない。
なので、これからは自己責任の取れる範囲で、自分の好きな音楽を50年以上も聴き続けられる物こそ、オーディオ趣味にふさわしい機器ということになる。そういう音楽との関係を提供できる製品のノウハウが、実は大変難しい課題なのだと言うことができる。
【オーディオ業界の無知の知】
ソクラテスいわく「知らぬことを知ることが知のはじまりなり」と、周囲の人の問題点を挙げ連ねて回り(今でいえばモラハラに近い行動)、最後にはアテネ市民の全てに嫌われ自害を要求された。もちろんのことだが、広大な世の中の現象を全て知り尽くすことは、人間にとって不可能である。このためすべからず人間は知の探求者となるのだが、その探求の出発は分からないことを具体的にする作業が重要だと、得てして答えにならないことを切々と説教しはじめたのだ。つまり自分は何を知らないか、心をまっさらにして物事を見つ直すことからはじまるのだ。これは世の無常を知るという仏教的な思考にも通じるかもしれないが、そんな非合理的な考えはギリシア哲学にはない。
しかし、オーディオ製品のカタログをながめると、無残にも「お前よりも音楽のことは分かっている」発言の多いことに気が付く。これはメーカーの態度として当たり前のことではあるのだが、専門的な知識を必要とする電気回路の設計は、それを究めるには人並以上の勉強をせねばならず、さらにプロフェッショナルとして自立するにはそれなりの覚悟が必要なことである。少しばかりの威勢を張っても文句を言われる筋合いはないのだ。
  
一見してオーディオ製品の広告だと分からない文化的傾向
だが、やはり音楽とはもっとデリケートな問題に踏み入っているのではないだろうか?それこそキルケゴールが当時遭遇していた、純粋理性批判によってガンジガラメになったヨーロッパ社会を絶望の諸元と見立てたように、芸術とは自己の精神と向き合う行為であるのだ。全てが計画通りになってくれる筋書き通りの人生なんて、誰も歩んでいないのだと断言していい。しかし電気回路の設計者の多くは、この機敏に触れるような感性を共有してくれない。そもそも原音再生という、ホンモノそっくりさんという現象事態も、本来はどこか人工的なまがい物のであることを断っておかなければ、そこには虚実の入れ混じった事物が存在するのだ。
 
 
1960年代のビートルズ・ノベルティ機器
では、ソクラテスのように、知らないこと、分からないことを、あえて表に出すようなオーディオ技術というのは、存在しうるのだろうか? それは正確ではない、つまり嘘であることをあからさまにする製品である。そんなの売れるわけないだろうと思うだろうが、実は上手な嘘の付き方が大事なのだ。むしろ、世の中の90%のオーディオ製品は、実体とは異なる宣伝文句で埋め尽くされていると言ってもいい。オーディオの性能評価について知っているようで知らない。まぁ音が聞こえれば合格。そういうオーディオ製品が世の中にはあふれている。
  
実はこの嘘まみれの実態を知らないことこそが、オーディオへの探求心を失い、しいては音楽そのものへの興味を失う原因にもなっているのだ。つまり、オーディオ趣味の極意とは、音楽に対する興味や関心を失わないように、常に新鮮な気持ちをもって探し求めて聴くことにあるのだ。音楽を聴いてワクワクするとは、そういうことではないだろうか? 何らかの結論を聴きたいのではない。そういうことはタイパが命の会社の報告書で十分である。何がこれから起こるのか?自分にとってそれがどういう意味があるのか?時々刻々とそう問い掛けてくるのが、オーディオ機器のもつべき機能であると思うのだ。
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現在の録音フォーマットは、256kHz/32bit、10~40,000Hzと従来の可聴域の倍の収録が可能になっている。これは1925年に始まった電気録音の時代から、ほぼ25年置きに刷新される録音規格の分かりやすい指標で、最初は200~6,000Hzだったのが、1930年代末にはAMラジオに相当する100~8,000Hz、1950年代のHi-Fi録音で50~15,000Hz、1980年代のデジタル録音で20~20,000Hzとなり、21世紀に入って可聴域を遥かに超えるハイレゾ時代に突入した。
これらの新しい録音規格をネタにして、音楽の聞こえ方がどう変わるか? オーディオ誌でそういう批評をしているのは、実は音楽の歴史とは関係ない、些末な事象である。聞こえ方が違うなど、そんなことでは音楽の歴史は動かない。それが自分の人生とってどう影響し、自分はどう歩み始めるのか、そういうことが人生を変え、歴史を変えていくのだ。私が真のフィデリティ(忠実性)と呼ぶものは、どの時代に録音された音楽でも、その人が伝えたいと思った事が、時代を超えてダイレクトに伝わるオーディオ機器のことである。50年、100年前に思いを込めて演奏した記録が、なおも力をもって心に響くのは、実は驚くべきことなのだ。
思うに、新しい録音規格はほぼ25年周期にやってくるが、そのとき時代遅れとなった録音は、いわばフォローされずに放置されるのが通例である。あるいはリリースされた当時の状況を保存したままレコードからオーディオ機器までメンテしながら聴く方法もあるが、それはその時代に生きていた人の特権であって、次世代の規格でその音楽と触れ合うことは、ほとんど無理な相談である。ビートルズのリマスター盤は、それよりずっと早く5年置きにリリースされるが、ほとんどに人は元メンバーへのお布施だと知ってて購入する。今だと推し活だと堂々と言えるのだろうが、傍からみればビートルマニアと言って怪訝な顔をされていたのも事実だ。異常なのは、これまでリリースされたレコード全てを集めようとするコレクターの存在で、アナログ・ミステリー・ツアーという日本ならではのマニアックな本も存在する。
しかし、私なりにみると、オーディオ機器の選択を正確に判断して聴いているかというと、一抹の不安がよぎる。日本では1959年にNHKモニター2S-305が開発されて以降、フラット再生こそがHi-Fiオーディオ再生の基本だと叩き込まれ、モニタースピーカーはその定規に値するものだと思われてきたからだ。つまりレコードを正確に聴くためには、フラット再生に整った試聴環境でないと、その実態が分からないと思い込んでいた。現在でも、ビートルズのレコードの再生に、カートリッジをシュアー
V-15(タイプIII~V)、デンオンDL-103、スピーカーをタンノイIIIL-zや、LS3/5aのBBCモニター、ハーベス社のHLコンパクト7を愛用している人が多いと思うが、こうした環境が整ったのはFMステレオ放送が一般的となった1970年代のことである。これは、日本でのビートルズ研究本の出版時期と重なっており、レコードに記録された全ての音を漏れなく聴くという、一見すると疑問の余地のない理屈がまかり通っていた。

BBCでのステレオ音場のスケールダウン実験(1970年前半)
 
FMステレオ放送が一般的になった1970年代初頭のBC1モニター

これまでも、ビートルズの録音には出来不出来の波があって、あまりに高級ステレオで聴くのはバランスが良くない、という意見はときどきあった。しかしそれが間違いではないと分かったのは、1968年のホワイト・アルバムの録音中に事件がおこったからだ。既にメンバーばらばらで録音していたビートルズは、新しくできたトライデント・スタジオで「ヘイ・ジュード」の録音を行った。このときは新人のケン・スコットが立ち会ったが、出来上がったテープをアビーロードで聴くと、高域のない冴えない音になっていた。ジョージ・マーチンは新人のケンがへまをやらかしたと思い、ネチネチと怒りはじめたが、ポールが気転を効かして「ケンはここのスタジオの音がクソだって言いたいんだろ?」と悪ぶってみせた。全員ふと我に返り、モニタールームの外でコソコソ相談し、結論としてはそのテープの高域をイコライザーで持ち上げて採用することにした。
 
ジョージは片側のスピーカーの前に居座り、ポールは反対側のスピーカーを聴いている(1963)

Altec 604B(1949)の特性:スペック上は50~15,000Hzだが5kHz以上はロールオフ
簡単に言うと、トライデント・スタジオはソリッドステートのミキサー卓にフラットな特性でモニターする最新設備だったのに対し、アビーロードは真空管ミキサーで高域の丸まった特性のラジオっぽい音でモニターしていたのだ。HMVのステレオ電蓄に付属していたEMI製2wayスピーカーをみれば分かるが、AMラジオ用に帯域が最適化された楕円フルレンジ・スピーカーに、コーンツイーターを取ってつけたようなものだったが、スペックだけみればアルテックのモニタースピーカーも似たり寄ったりだったのだ。

1957~59年頃と思わしきアビーロード スタジオ2の様子(既にAltecモニター導入か?)
 
EMIが製造したCaptolプランドのステレオセット(1959)
EMI製楕円ユニットにECL83プッシュプル、プレーヤー部はガラードRC121 mk II

EMIの同軸2way楕円スピーカーの特性(日本でも販売されたが見栄えが悪く売れなかった)
問題はこの後始末で、このときにアビロード・スタジオは使用するモニタースピーカーをアルテック605Bからタンノイのモニターゴールドに変更するよう通達したのだ。この1968年のピリオドは、スタジオ・アルバムの音質が、EMIが1955年に米キャピトル・レコードとライセンス契約した後、1968年まではアルテック社のモニタースピーカーを採用していたが、どういうわけかタンノイがずっとアビーロードのモニターだったかのような偽情報が、つい最近まで信じられてきた。ちなみにこのタンノイ製ユニットを使用したロックウッド社のモニタースピーカーを用いた時期も短く、1972年にピンク・フロイドが「狂気」を録音していた頃にはJBL
4320に入れ替わっているのだが、これも誤解されてしまっている。こうした事実関係を無視した結果、フラットに高域の伸びたトライデント・スタジオで起こった「ヘイ・ジュード」のアクシデントのように、高域過剰な状態こそが正確な音だと勘違いしたまま、多くの人はビートルズのレコードの音質を評価し続けていたことになる。これは度重なるリマスター盤での音質評価の過剰なほどの賛否両論をみて感じるのだが、あきらかに録音当時の周波数バランスをフラットで聞けば正確だと、間違って解釈して聴いていると思うのだ。もちろんそれでも、ビートルズの音楽に変わりないのは、誰でも知っている。しかし、それでリマスター盤の音質についてあれこれ議論が尽きないのは、実は誰もがどこか不自然なバランスで鳴っていることに気付いているが、その不満をどこにぶつけていいのか分からない、というのが歴然とした事実なのである。
 
左:トライデント・スタジオ(1967)、右:アビー・ロード Studio3でのピンク・フロイド(1968)
共にトライデント社カスタムメイドのミキサーとロックウッド社のモニターを使用
  
 
中古でも高額で取引されるタンノイ IIILz:ゴールド時代は高域が力強い(ロールオフ機能が必須)
さらにこの問題は深刻化して、1960年代にプレスされたUK盤と、東芝EMIの国内盤との音があまりにも違うということで、本物のビートルズ探しの旅に一斉に出かけることとなった。その過熱ぶりはモノラルEP盤まで登場しているが、それが発売当時にはどういうオーディオ機器で聴いていたかというと、イギリスのほとんどの若者は、10kHzまでしか再生できないセラミック・カートリッジに、AMラジオと遜色ない楕円スピーカーを小さいECL82真空管で鳴らすという、とても貧乏くさいレコードプレーヤーで聴いていた。そこでもビートルズの良さを聴いてもらおうと、デフォルメしたカッティングを本物と言われても、どんなものか分かりづらいと思う。例えば初期のザ・フーのメンバーは、自宅の卓上モノラルプレーヤーに向かって真剣に聞き入ってメモを取っている姿がみられる。もっと顕著なのは、ピンク・フロイドが「狂気」の録音中、新装したアビーロードスタジオにオーラトーン5cを1台モノラルでミキサー卓の上に置いてチェックしていた。これはラジオでの試聴用ではなく、まだ卓上プレイヤーを使い続けているイギリスの若者を意識した対処とみられるのだ。理由は英国内の法律で市販レコードの放送は、レコード売り上げを邪魔するという理由で禁止されていたからである。
肝心なのは、このようなチープな性能のレコードプレーヤーでも、ブリティッシュ・ロックはリスナーと共に成長し、革新的な発展を遂げていた点である。むしろ音楽を再生するオーディオ機器の核心は、この辺にあるのだと言えるのだが、残念ながら時代は常にスペック競争へと舵取りをしているのだ。
 
自宅でレコードのチェックをするRoger DaltreyとDansette社のポータブル・プレイヤー
 
ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(この代替品Astatic 17DはRock-ola製ジュークボックスで使用)
 
Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー(ECL82単発に楕円フルレンジ)
 
EMI 92390型ワイドレンジユニット


新装したアビーロードで「狂気」編集中のアラン・パーソンズ(1972)
JBL 4320ステレオと中央にオーラトーン5cモノラル
 
Auratone 5Cと周波数特性(AM放送とFM放送のクロスチェックをしてた)
以上のように、1970~80年代のフラットな特性のステレオ装置で熟成されたビートルズの魅力といえば、アメリカのロックバンドのようにガッツだけが取柄なんかじゃなく、バラエティとユーモアに富んだポピュラーソングも書けるオリジナリティにあった。どちらかというと「イエスタディ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」のような中庸なアンニュイなバラードのほうが、日本人好みのブリティッシュ・ロックと思われていたのだ。同じことは「天国への階段」「ボヘミアンラプソディー」にも言えるかもしれない。
  
それがド根性ロックの魂をあらわにしたEP盤を好むなど、21世紀にビートルズ・ルネンサンスが起きたのかと見間違う評価の逆転が起きている。しかしそこには、何かネジの外れた感覚がぬぐいきれないのは、おそらくヘッドホンでの試聴が多くなったため、これまでの音場感にあふれた劇場版ビートルズよりも、ヒップホップに匹敵するダイレクトに耳に響く街角ビートルズのほうに価値観が揺らいだためと思われる。つまり、事実としてビートルズの音楽であっても、聴く人の心象風景によって、存在の拠り所が変わってしまうのである。これをオーディオ機器の問題に還元するには、あまりにも難題すぎる複雑な理由が絡まっているのだが、せめてオーディオ機器の取り組み方を考え直してほしいというのが私の本音である。
【我思うゆえにビートルズあり】
最初にキルケゴールの実存主義について一席ぶってみようと意気込んだが、実はそれより200年も前に、自我の存在について定義した偉人としてデカルトがいた。主な著作が人間機械論などというものへと連動していたため、どちらかというと機械的=自動的に物事が決定していく宿命のような人生論に誤解されるが、デカルト自身は人間の生理的機能と精神的営みとを区別する人だった。つまり方法論序説とは、自己決定の責任を人間自身が持つように促すことを前提に書かれ、結果的に自然の節理=神の手から離れていく近代科学の力の源にもなっていったのだ。人類の原初に起こった失楽園について思いを巡らすよりも、今目の前にある事柄をより良くするためにまじめに仕事をしろというのが本音だろう。
この二元論的な人間の定義は、ビートルズを巡る人々の対応について当てはめると、レコードマニアとオーディオマニアの確執に言い換えることができるだろう。つまり、ビートルズ作品を至高の存在として研究しつくすストア派の人々と、難しいことなど考えすに娯楽として楽しみたいバッカス的な人々との間に流れる、何とも言えない大きな深淵の存在である。どうもその始まりが、1966年に来日公演をきっかけに最高潮に達したビートルズ・ファンクラブだったが、その直後に出したラバーソウルで卑猥な歌詞で大人のビートルズを表出した結果、もともとロックというと不良の音楽と思われていた時代のこと、家庭の事情で心証を悪くした女の子のファンが次々と離れていったというのだ。その反動の受け皿としてGS(グループ・サウンドの略)ブームに乗ったグループが次々と生まれることになった。
その後のビートルズ・ファンクラブの活動は、ビートルズがいかに他のバンドより優れているかを論証しようとする学究的な集団に育っていき、現在においてはロック史上で研究本と称する書籍の数で群を抜くのがビートルズである。それも日本独自企画というものの数は圧倒的だと言っていいだろう。それに引き換え、ノーベル文学賞を取ったボブ・ディランに関する研究は数冊にとどまる。これはもらったディラン本人さえも、しばらくピンと来なかったぐらいで、授賞式直前まで本当に出席するのか、ずっと疑問に思えていたほどだ。これに比べれば、ロック・ミュージシャンとして英国初のサーの称号を与えられたビートルズの面々は、ずっと自然に受け止められている。国民的アイドルという役割もきっちりこなしたことが幸いしているだろうが、たった一度しか来日していない外人ロック・バンドを、ここまで厚遇する国民は日本をおいて他にないのだ。
   
ビートルズ神話(1972)、ビートルズ事典(1974)
ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ(2009)、アナログ・ミステリー・ツアー(2013)
このように、日本には日本独自のビートルズ受容史があって、ビートルズが来日した1966年頃、解散して以降で赤盤・青盤で知った1973年頃、初めてCD化された1987年頃、スタジオ録音以外のブートレグを公開した1995年頃、デジタル・リマスター盤の存在感がクローズアップされた2009年頃など、そのときどきのオーディオ環境の変化に応じてリリースされてきたことが分かる。大まかに分けると解散するまでの1970年まで、アナログ盤の製造停止となる1990年まで、モノミックス・アルバムがリイシューされた2009年まで、そしてネット配信が中心となった2020年代となるだろう。
もっと大きく分けるとアナログ盤を製造しなくなった1990年以前とそれ以後のファン層に大きな断層があるといえる。その理由は、1990年以前は13枚のアルバムとベスト盤2枚だけを大事に繰り返し聴いていたのだが、1995年にアンソロジー3部作が解禁されるとブートレグ音源が毎月のように竹の子のように輩出し、2009年にはモノBOXで1960年代のUKモノラル盤が異常な高騰を招いた。つまりビートルズに関する情報量が一気に広がったのだが、それだけ薄学になっているのも否めない。

私は年代的には前者のアナログ期に属するのだが、ビートルズを知っていたのは、よくラジオでも流れていたからで、わざわざ買うようなものではなかった。自分で買って聴くようになったのはむしろデジタル時代のことで、ベスト盤「1」が出た頃に1987年版の赤盤CDを手にレジに行くと、店員さんにニッコリ挨拶されたのが印象的だったぐらいで、他の手持ちはアンソロジー1、BBCライブ(出た当時はアンソロジーのほうが人気があった)、イエローサブマリンのリミックス盤(当時は散々な評価だった)、米キャピトルのイエスタディ&トゥディ(ブッチャーカバーのシール付き紙ジャケCD)ぐらいで、恐ろしいほどの喰わず嫌いだ。
   
食わず嫌いの大きな理由は、書籍など楽曲に関してあまりに語られすぎて、何か新しいことを知りうるような要素の少ないことや、それが権威主義に抗うロック魂に反しているように感じるからだ。そういう意味では、ビートルズの居ない1960年代を、広々とした草原を歩いているような爽快感があったとも言え、私なりの60年代ロックの探求心を満たしてくれたのだ。これは木を見て森を見ず、という以前に、草花をみて樹を知らない、という感じともとれる。
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そんな私がビートルズを初めて面白いと感じたのは、13枚のスタジオ・アルバムや赤盤・青盤ではなく、BBCのアーカイヴから蔵出しされた放送ライブによってである。そこでのビートルズはチャック・ベリーをはじとするアメリカのR&BやR&Rのカバー曲を心置きなく演奏し、ロックの何たるかを体当たりで示そうと奮闘している。
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ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962-65)
ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。 |
一番関心するのは、アメリカだとバンドメンバーが我先に協奏曲のようにせめぎ合って前のめりに荒れるのに、どの楽曲を演奏しても4人が有機的に結びついている柔軟なアンサンブルで、そこがビートルズらしいというか、英国風と言われるテイストがあって、少し聞いただけで演奏しているのがビートルズだと分かる点である。これはアメリカの黒人ミュージシャンからは、プラスチック・ソウル(おもちゃのようなまがい物)と言われたものだが、アコースティックな要素を多分に残した演奏は、時代が過ぎて聴くとそれなりに味わいのあるものだ。別のオーディオ的な関心で話すと、マイクを遠目に設置した自然なバランスで、ミックスでいじり回したような形跡がない、生のビートルズのサウンドバランスが聞けることだ。
この時期のBBCのポップス系番組はAMモノラル放送で、モニタースピーカーはパルメコ製のものをお下がりで使用していた。年代的にはLS5/1aが開発され現在のBBCモニターの系譜が明確になった時期だが、このパルメコ製ユニットは英国内ではLP発売以前だった1949年に開発されたもので、同軸2wayなのに高域は8kHzまで、それより上のHi-Fi部分は、独ローレンツ社の強力な樹脂製コーンツイーターで補っていた。もちろんAM放送用では、ツイーターは切って使用していたと思われる。このAM放送での収録バランスを、脚色のないビートルズのサウンドだとすると、他のスタジオ録音でのバランスの、どこがデフォルメされて、どこが抜けているのか、という調整の基準が生まれる。
 
BBCの人気番組"Saturday club"で駆け出しの頃のBernie Andrews氏
左:合間にビートルズと談笑 右:最初はテープの頭出し係だった
  Parmeko 単体の特性:50~8,000Hzという特性だが音のキレは強い
もっとも、ビートルズが競合相手としてよりもリスペクトをもって見据えていたのは、デビュー当時のアメリカのジュークボックスにヒット曲としてクレジットされていたアメリカン・ポップスで、多くのビートルズ・ファンが、ビートルズの出現によって駆逐されたと思っているオールディーズに属するミュージシャンたちである。意外なことに、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリソンの3名は、自分だったらこの曲をを入れるという妄想的なジュークボックスのソングリストを残しており、ポール・マッカトニーは行きつけのジムに米キャピトル・レコードから寄贈されたジュークボックスを置いていて、そこにはチャック・ベリー、リトル・リチャードなどお馴染みの曲が入れてあるとのこと。なので、1960年前後の音楽をビートルズ以前というのは、大変な誤解を生んでいることになる。それよりも、自分たちが歴史的存在として過去のレガシーになりつつあるなかでも、音楽活動をやめることなく、常に現在進行形でライブツアーを行っていたことと、古いR&Rに対する絶え間ない愛情とは、全く矛盾することなく同居しえたのだ。
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メンフィス・レコーディングスVol.1/サン・レコード(1952~57)
戦後のロックンロールの発展史を語るうえで、ニューヨークやロスのような大都会に加え、メンフィスという南部の町が外せないのは、まさにサム・フィリップスが個人営業していたアマチュア向けのレコード製作サービスがあったからである。地元のラジオDJをしながら黒人音楽を正統に認めてもらうべく追力した人で、このコンピにあるようにエルヴィス・プレスリー、ロイ・オービソン、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュというスターたちのデビュー盤のほか、正式にレコード・レーベルとして運営する以前に発掘したミュージシャンに、B.B.キング、ハウリン・ウルフなどブルース界の大物も控えていて、多くはサン・スタジオで録音したレコードを名刺代わりにキャリアを積んでいった。
このシリーズはサン・レコード設立後のシングル盤全てを復刻するものの1巻目にあたり、10枚組180曲という膨大な記録でありながら、そのどれもがジャンルの垣根を跳ね飛ばす個性あふれるタレント揃いであり、上記の大物スターはまさに玉石混交の状態で見出されたことが判る。初期の録音はリリースがSP盤なので、ハイファイ録音と勘違いすると少し面喰らうが、逆によくここまで状態よくコレクションしたものと感心する。 |
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Cruisin' Story 1955-60
1950年代のアメリカン・ポップスのヒット曲を75曲も集めたコンピで、復刻音源もしっかりしており万人にお勧めできる内容のもの。ともかくボーカルの質感がよくて、これでオーディオを調整するとまず間違いない。それとシンプルなツービートを主体にした生ドラムの生き生きしたリズムさばきもすばらしい。単純にリトル・リチャードのキレキレのボーカルセンスだけでも必聴だし、様々なドゥーワップ・グループのしなやかな色気を出し切れるかも評価基準になる。 |



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Goffin & King Song Collection(1961-70)
キャロル・キング夫妻の初期のポップ・ソング集をカバーも含めてあちこち集めた英エースによるオムニバス4枚。一般に楽曲紹介は最初にヒットしたシングルで勘定されることが多く、「ビートルズがオールディーズを駆逐した」なんてくだらないことを言う人が多いので、その後の歌の行方についてあまり関心が向かないが、最初の時期のR&B、ロカビリーに加え、時代の流れに沿ってロック風、ソウル風、サイケ風など、歌い手の自由に任せて料理しても、素材の良さが生きているのはさすがだ。デビューして10年も経っていないのに、この時点で、コール・ポーターやアーヴィング・バーリンなどのソングライターと同じような境遇に預かっているのだから本当におそれいる。それも従来から言われるビジネスモデル主導の芸能界ポップスなんていう気配は微塵もなく、リスペクトしているミュージシャンたちが本当に気持ちよく演奏している様子が伝わってくる。
英エースの仕事ぶりも徹底していて、企画段階から正規音源を掘り当てリマスターも丁寧に施され、ジャケットと演奏者の写真も解説と共にしっかり収められている。ブリル・ビルディングの音楽業界を画いたケン・エマーソン
著「魔法の音楽」の巻末に載せても良いくらいの資料性の高さをもっている。ただの寄せ集めコンピのように盤質の良否による玉石混交のような音質の変化も気にならないし、こなれたベテランのラジオDJのように、自然な流れのなかでミュージシャンの個性が際立つように1枚1枚が編集されている。新旧世代の入れ替わりを象徴するように、モノラル、ステレオが半々で混在しているが、これをいちいち頭を切り替えて聴くなんてバカの骨董のようなものだ。全部モノラルにミックスして聴け。 |
  
自宅のジュークボックスを前にまるで友人のようにポーズをとるビートルズの面々
もうひとつビートルズファンの話題のなかで抜け落ちているのが、イギリス国内で流行ったスキッフル・バンドで、これはアメリカの大恐慌時代のジャグ・バンドを模したもので、ビートルズのもつブリティッシュ・カントリー風の森林や草むらの匂いは、シカゴ譲りの泥臭いモダン・ブルースよりも、カントリーフォークやヒルビリーとの関連性が深い。日本でも最初にプレスリーなどのロカビリーが紹介されたときはウェスタンと呼んでいたのとやや似ている。この動きに象徴的なのは、1959年に最初に開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルの出演者に、フォークとは言いながら民族音楽に近いヒルビリー系のミュージシャンを多く招いていたことである。これらは東欧出身の移民コミュニティだと思うが、ヨーデル節と言われるカントリーソングの特徴もまたアルプス地方から来たものである。この非英米系の音楽の伝承は、メディスン・ショウのような旅芸人の活動を通じて、南部の音楽と交錯することでヤンキー風といわれるものへと熟成されていくのだ。つまりロックンロールが、シカゴブルースと交配する以前のアメリカ音楽に、その根っ子があると言っていいだろう。
ちなみにビートルズ絡みでは、リンゴ・スターも学校を辞めて工場務めをしていた頃にスキッフルバンドをやっていたし、ジョン・レノンが学生時代にはじめたクオリーメンというバンドもこれに類するものといわれる(というよりそれ以外の呼び名がはっきりしていなかった)。何よりもデビュー盤の「ラヴ・ミー・ドゥ」は、ロックンロールでもブルースでもなく、スキッフルというほうが合点がいくだろう。同時期に日本ではロカビリーのことをウェスタンと呼んでおり、米サン・レコードが発祥だったりするためカントリー音楽の派生形だと思われていた。ロックのカウンター・カルチャーとしての立ち位置を確認するうえでも重要だと思う。
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The Original Hits of the Skiffle Generation(1954-62)
スキッフルは、アメリカ南部のジャグ・バンドを模したフォーク音楽の総称で、イギリスではバンジョー奏者のロニー・ドネガンが、ディキシーランド・ジャズ・ショウの幕間に演奏してから人気が徐々に出たといわれる。この3枚組CDは、立役者だったロニー・ドネガンを中心に、前身のケン・コリアのバンド、ライバルだったヴァイパーズ、その後のブルーグラス・バンド、クリフ・リチャードのロカビリーなどを織り交ぜている。音質は非常に鮮明で、英デッカの底力を感じるものとなっている。
スキッフルの楽器構成は、メインのフォークギターの他は、ウォッシュボードのドラム、紅茶箱を胴体にしたベースなど、誰でも手軽に楽器を持てたため、労働階級を中心にアマチュアバンドの人口も3~5万人ともいわれ、1956年のロニー・ドネガンのデッカ録音以来、スキッフルはUKチャートでも毎年上位を占めるほどの人気だった。その人気を打破したのがビートルズをはじめとするマージー・ビートだった。しかしこれをカントリー・ウェスタンの派生種だと片づけるには、あまりにロック魂が宿りすぎている。ロニー・ドネガンのボーカルのアクセントは、インテンポの喰い付きが強くてアウトビートの浅いもので、これはマージー・ビートのバンドが「プラスチック・ソウル」と揶揄された同類のものである。ビートルズのBBCライブと聴き比べれば、R&Bナンバーでも歌い口がほぼ同じテイストだと判るだろう。
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Good time Blues(1930~41)
戦前のジャグ・バンドを中心に、大恐慌を境に南部からシカゴへと移動をはじめた時期のジューク・ジョイント(黒人の盛り場)での陽気な楽曲を集めたもの。バケツに弦を張ったベース、洗濯板を打楽器に、煙突口をカズーにしたりと、そこら辺にあるものを何でも楽器にしては、大恐慌を乗り越えようとたくましく生きた時代の記録だ。よくブルースがロックの生みの親のような言い方がされるが、ロカビリーの陽気さはジャグ・バンドから引き継いでいるように思える。1950年代のイギリスではスキッフル・バンドが大流行し、これよりカントリー寄りながら楽器構成が似ていることで知られる。復刻はソニーが1988年に米コロムビアを吸収合併した後に、文化事業も兼ねてOkeh、Vocalionレコードを中心にアメリカ音楽のアーカイヴを良質な復刻でCD化したシリーズの一枚だ。 |
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ニューポート・フォーク・フェスティバル(1959)
長い歴史をもつフォーク・フェスの第1回目の記録。呼びかけ人には、アメリカ中の民族音楽をフィールド録音で蒐集したAlan Lomax氏が含まれており、フォークブームが起こった後の商業的なものではなく、むしろ広義のフォーク(=民族)音楽の演奏家が招待されている。屋外会場ということもあり録音品質は報道用のインタビューで用いられるものと同じもので、フォークは言葉の芸術という感覚が強く、特に楽器にマイクが充てられているわけではないのでやや不満が残るかもしれないが、狭い帯域ながら肉厚で落ち付いた音質である。 |
 
1940年代アメリカでJuke Jointで踊り明かす青年たちとMedicine Showの人形劇の呼び込み
もっと意外なのは、イギリスの若者文化を象徴するモッズたちの好きな音楽が、ダンスで使えるノーザーン・ソウル以外に、レゲエの祖先にあたるスカのレコードがクールだと思われていたことだ。イギリスの都会にもジャマイカ移民はコミュニティーを作っていたが、やや異教めいた乱痴気騒ぎに発展しやすいカーニバルの開催が許されたのは、1968年になってからで、もうすでに時代はフラワー・ムーブメントである。その間のビートルズの音楽の変化と、ジャマイカをはじめとするカリビアン・ミュージックとは、あまりにもかけ離れていることに気が付くだろう。1960年代初頭のモッズたちがクールだと感じたのは、音楽そのものよりもその楽観的な生き様であったのだ。
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ブルービート/スカの誕生(1959-60)
大英帝国から独立直前のジャマイカで流行ったスカの専門レーベル、ブルービート・レコードの初期シングルの復刻盤である。実はモッズ達の間では、このスカのレコードが一番ナウいもので、ピーター・バラカン氏が隣のきれいなお姉さんがスカのレコードをよく聞いていたことを懐述している。ノッティングヒルに多かったジャマイカ移民は、このレーベルと同時期からカーニバルを始めたのだが、ジャマイカ人をねらった人種暴動があったりして、1968年に至るまで公式の行事としては認可されない状態が続いていた。それまでのイギリスにおけるラヴ&ピースの思想は、個人的にはジャマイカ人から学んだのではないかと思える。ともかくリズムのノリが全てだが、それが単調に聞こえたときは、自分のオーディオ装置がどこか間違っていると考えなければならない。 |
 
左:ノッティングヒル・カーニバルでスカを踊るジャマイカ移民(1959):前年に人種暴動があった
右:カーニバルが公式に開催されたのは1968年から(写真は1972)
こうしてみると、ビートルズの何が新しいか? という視点よりも、ビートルズを形作った音楽的伝承とは何か? と問うほうが適切な答えが導かれることとなる。それが、ビートルズの楽曲が大衆に受け容れられる要素として、重要性を帯びてくるからだ。
ということで、ビートルズの解散と掛けて、熟年離婚の危機にさらされたオヤジの悲哀と解く、その心は…と、クダクダ書いてみたでござる。場末の酒場でダメ男を演じるブルースメン必見の作品。
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さてこんなビートルズ食わず嫌いな私が、とうとう2009年のCDモノBOXを購入するにいたった。このUK盤モノラルLPのリイシューCDは、6万円もした限定版でバラ売りをしないことで、かなり偽物も出まわり混乱していたこともあり、下手に手を出さないのが得策だと思ったものだ。それから15年経ってたまたま信頼できる中古屋で出物があったので購入した次第である。実際に手にしてみると、ミニチュアの手の込んだ紙ジャケの再現や、一枚一枚厚めのビニールパックに納めているなど、保存版としての仕上げも上々である。モノBOXはホワイト・アルバムまでで、何かが燃え尽きたように終わるのが印象的である。

このBOXセットのおかげで、ブリティッシュ・ロックのモノラル熱がヒートアップしたのも事実で、UKオジナル盤はともかく、EP盤のプレス違いまで、カッティング時のイコライザーやコンプレッサーのさじ加減(今でいうマスタリング工程)で大分印象の違うサウンドになることも分かってきた。そんな渦中のさなかに2014年に企画されたLPモノBOXは、すでにステレオLPボックスの時点でデジタルリマスターの焼直しのアッサリしたサウンドということで、散々な批判が日本で沸き起こった。ここでEMI陣営も意地になって、オリジナルに近いアナログ・マスターテープを直接カッティングマシーンに送る方法に変更し、テープ送り出し後のイコライザー処理をオリジナルLPと比較して決定し、コンプレッサーは色付けを排するために浅めにし、カッティング・アンプを真空管式のものに乗せ換えて、1960年代のレコード制作方法をトレースした純粋なアナログ盤であるとしてようやく火消しに応じた。
ただし、モノLPボックスの使用機器はテープレコーダーがスチューダーA80のモノラルヘッド、カッティングレースがノイマンSX-74と、共に1970年代の世代の新しい物を使用しているため、再生するカートリッジはステレオ期に発売された製品、例えばデンオンDL102とかオルトフォンSPU
Monoのような鉛直方向にも逃げのあるタイプが適当だろう。むしろ思い切って楕円針を用いて、刻まれた信号を根こそぎピックアップするという方法もあるが、得てして弱音の繊細なクラシック音楽の流儀で方向性が違うような気がする。その路線ならおそらくCDのほうが適切だろうが、自分でトレブルロールオフのようなイコライザー機能もいじれない人に面倒が見切れるかはかなり疑問である。
・アッサリ風味の醤油味
一方で、肝心の苦情を言いたてた人々は、いつものとおり1960年代のオリジナルプレスと比べてどうこうと言い並べて、半信半疑でどうもそれが真正のものとは納得していないようなのだ。
理由のひとつは、他の試聴会でもお馴染みの、アビーロードと技術提携しているB&W 802sモニタースピーカーで整えられたスタジオの録音環境が思っていたよりクリーンで、オーバーレベルなカッティングを正式のものとして出さないEMI特有の思考的なブレーキが掛かり、思い切った掛けに出ることをためらったためだと思われる。せめて日本ビクターのマスタリング・スタジオのように、モニタースピーカーをJBL
4320ぐらいに押さえて欲しい感じもする。B&W 802sは重低音と超高域の余計なノイズの検知には役に立つが、500Hz以下のウーハーのタイミングが悪いので、肝心のグルーヴ感のモニターが難しい気がする。1980年代以降のサウンドステージを意識したミックスに最適化された仕様なのだ。コンプレッサーだって真空管式のビンテージ・レプリカがあるのだから、中低音からビシッと決めてほしい。ただボリュームがラウドなだけでなく、フルボディでタイミングが決まった低音が必要だ。
ふたつめは、そもそもスタジオの原音というのは、意外にアッサリした音だということである。かつて東芝EMIのプレスした国内盤の音が、米国盤のように荒くれてはないものの、英国盤に比べ醤油味のようにアッサリしていると苦情があった。東芝EMIいわく、英本国から送られてきたテープをそのままいじらずカッティングしているので、紛うことなき原音通りだと言うのだ。これは逆に1990年に出されたシングル盤BOXで、当のメンバーから元の音をいじらずにカッティングしてくれたことに感謝されている。これまでのアップル・レコードのリマスターの方針も、この路線のうえにあり、あくまでも脚色のないスタジオ・グレードに納めている。こういう方針は、独りのエンジニアが決められることではなく、元メンバーなり重役の了解を得て初めて成立するものであり、苦情を真正面から受けるのはいつもながら担当者レベルの辛い役目である。
・ユーザー様とて神ではない
そうなると残る課題は、ユーザー側のオーディオへの取り組み方にあると思えるのだが、そこが噛み合っていないから、齟齬が生じるのだと思うのだ。例えばモノLPボックスのプレス発表用の試聴会では、タンノイDCシリーズ、オンキョウのMOS-FETセパレート・アンプ、カートリッジはフェーズメーションのMONO専用と、21世紀の最新アナログ技術でお迎えしていた。おそらく文句のあるユーザーは、タンノイIIIL-z、QUAD
33+303、オルトフォン SPU-MONOあたりの布陣だろうが、レコードが新品であるという安心感以外は、自分が生きていれば20年後に中古屋で漁れば良い程度に思っているかもしれない。やはり昔日のカッティング職人を超えたウルトラCを放たないと、食指が動かないのがもしれない。
その後に録音スタジオとしての機能を終えて博物館と化したアビーロード・スタジオでは、ビートルズ時代の真空管ミキサーとテープレコーダーを再構築して、ビンテージなリミックスの再現に挑んでいる。しかし、これだけの技術力と真正なビンテージの価値を示そうとしたEMIの熱情は、結果として空回りしたことになり、もったいない感じもする。
 
ステレオ・システムに限っていえば、英国風のビンテージ機器のレプリカが出揃ってきた感じで、オルトフォンはずっと製造を続けてきたし、クオード、トーレンスも1960年代クラシックとも言うべき名機を再生産しはじめ、スピーカーだけは難しいのだが、個人的にはBBC
LS5/9などは周波数を欲張らずにいい味を出していると思う。もう少しコストを落として(とは言っても100万円コース)、1970年前後のロックを楽しみたいなら、キッチュなデザインのJBL
L100を主軸に、シュアーM44-7のレプリカ、テクニクスのターンテーブル、トライオードのKT88真空管アンプでブリブリ鳴らせる。しかし、これらはステレオ機器に限った話題であり、モノラル再生のための方策はほとんど辿れないのが現状だ。


・ブリティッシュ・ロックの深層
ではモノラルでの試聴環境はというと、当時のイギリスの若者の99%はモノラルのポータブル・プレーヤーでレコードを聞いており、セラミック・カートリッジをラジオ用複合管ECL82に直つなぎ(イコライザーアンプなんてパス)して楕円スピーカーを鳴らす、という家庭用ラジオとそれほど変らないスペックに留まっていた。1960年代のイギリスが経済的に落ち込んだインフレ状態だったこともあり、いかにも貧乏くさい苦い思い出のように感じるかもしれない。しかし、ポップスのFM放送が解禁されないなかレコードは海賊ラジオから流れるAM放送より高音質だったし、それでブリティッシュ・ロックの変革を牽引できる音楽文化を作り上げることが可能だったのだ。一般の人が考える当時最高のスタジオグレードのステレオ機器を備えれば、最高のビートルズが聞けると思うのは、やや早計と言わざるを得ない。
 
自宅でレコードのチェックをするRoger DaltreyとDansette社のポータブル・プレイヤー
 
ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(この代替品Astatic 17DはRock-ola製ジュークボックスで使用)
 
Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー(ECL82単発に楕円フルレンジ)
 
EMI 92390型ワイドレンジユニット
イギリスの海賊ラジオとは、1964~67年に無許可で放送していたラジオ局のことで、主に音楽番組を中心にしていた。BBCラジオでビートルズの生演奏が流れたのが1963年以降。この頃、BBCが軽音楽を流すのは一日のうち45分だけ。それにレコード会社の売り上げが落ちるからと団体が政治的に圧力をかけ、レコードをそのまま放送することは法律で硬く禁じられていた。いわゆるDJなるものはBBCにはいなかったのだ。
これに飽き足らない若者たちはルクセンブルクのラジオを短波で試聴するのが流行だった。知っている人は判るが、短波は電波が安定しないと音声が波打ち際のように大きくなったり途切れたりで、音楽の試聴にはあまり向かない。これに目を付け、アメリカ風に24時間体制でレコードをかけまくるラジオ局のアイディアを実現すべく、英国の法律が行き届かない公海上の船舶からゲリラ的に放送したのが、1964年から始まった海賊ラジオRADIO
CAROLINEだった。またたく間に若者の心をつかんだ海賊ラジオは、当時20局以上も現れ、次第にレコード会社も売り出し前のバンドのデモテープを横流しするなどして、新しいポップシーンを牽引した。テープはオープンリールではなく、カーステレオ用に開発された堅牢な8トラックカセット(初期の業務用カラオケにも使われていた)で供給された。当時の船内スタジオには、山積みのカセットテープがみられる。

 
1960年代の海賊ラジオ分布図、機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった
海賊ラジオは1967年に法改正で一掃され、変ってBBCでトップギアなどのロック専門番組が、海賊ラジオの元DJによって始まった。この頃からBBCセッションは、アルバム発表前のスクープという様相を帯びるが、これこそ海賊ラジオのスタイルだったのだ。1960年代を通じてイギリスのポップシーンの牽引役はラジオだったが、おそらく、上記のポータブル・プレイヤーの立ち位置は、同じようなアンプ&スピーカーで聴いておりながら、AMラジオよりも鮮明な音という位置づけだろうか。それより高級なシステムでの試聴は、造り手からしても想定外だった。イギリスの若者は、最新のトレンドはラジオで味見して、気に入ったらレコードを買うというパターンで、それでも健全に音楽が育っていったのだから、時代特有の情熱があってのことだったと思う。
・唯我独尊のCDモノBOX
そんなこんなで、とうとう手にしたCDモノBOXだが、上記のデジタルマスターそのものなので、基本的にアッサリしたHi-Fiなサウンドで、すべて安全運転なように聞こえる。それが脚色を避けたナチュラルなサウンドという編集方針の結果である。しかしそれは初期のアメリカのR&Bカバー曲の多いアルバムのように、BBCライブの有機的な流れるような雰囲気から比べると、そう感じることで、それはどのバンドでも同じ傾向のあることである。逆に後期になるに従い、ロック魂が燃え上がる傾向にあり、これは従来の評価とは逆転しているように思う。これまでハードロック的なアプローチの一貫性への評価は、ラバーソウルとリボルバーの中期アルバムに集中していたが、むしろその後のバラエティに富んだアルバムのほうが、ロックテイストの強いナンバーはよりハードに仕上げているように思える。
結果的に一番アンニュイな印象を受けたのがラバーソウルという意外な結果になった。理由を色々と考えてみたが、ラバーソウルとヘルプ!だけはステレオ・バージョンと並行して聴き比べできるように編集しており、むしろステレオ版に合わせモノラルもニュートラルに仕上げているとみた。逆にモノラル・バージョン初登場となる後期作品は、ビートルズが挑んでいた当時の様々な革新的な事柄をストレートに伝えようと躍起になっているように感じた。何というかサイケでイカレテいるところまで吐気をもよおすほど、音がギュッと詰まった感じなのだ。そうしてみると、リボルバーはともかく、フォーセールのほうも迫力ある切れのあるサウンドに仕上がっているので、モノラルからステレオへ移行する過度期にあたるラバーソウルだけが、いわゆるモノラルらしくない大人ぶった音になったとみていいだろう。ちなみに同じ傾向は、USアルバムの「イエスタディ&トゥディ」(ブッチャーカバー)にもあり、逆にブートレグ風のアウトテイクを集めた「ラバーソウル・セッションズ」ではバンドの音の流れがずっと自然である。モノBOXではリマスター時にノイズを嫌ってゲートを噛ましたかな?と思うくらい踏み込みが浅い。これはなかなか難問である。
ちなみにパストマスターズならぬモノマスターズは完全に初出で、こちらは音源にたどり着くのにかなりの苦労を強いられたと思われるが、音の荒れ具合がかえって新鮮な感じのするサウンドである。この辺のラフな取り扱いのほうが、私としては心地よい感じがするのは、長年モノラル録音と生活を共にしてきた修行の成果である。

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イエスタディ&トゥディ(1966)
米キャピトルの編集盤で、主にラバーソウルから取られているが、まだ未発表だったリボルバーの楽曲や、前作のイエスタディなども含まれたごちゃ混ぜアルバムである。どうもビートルズのメンバーはこのセールス優先の切り売りが気に入らなかったらしく、ジャケット・デザインを赤ん坊の人形をバラバラにしてニッコリ笑う不気味なものにした。これはさすがに不評で、後にトランクに詰められて運ばれてきたデザインのジャケットをシールにして貼って売り出すようにした。この再発CDは、その当時のままミニチュアで再現したもので、紙ジャケのブッチャーカバーにシールが付属している凝った造りになっている。
ところで私がこれを購入したのは、モノラル録音のアルバムが含まれていたからで、まだモノCDボックスが手に入りにくい頃に、米キャピトルだけはモノミックスをバラ売りしていたからである。結果は、英EMIと同様にアッサリした音源で、モノミックスって騒ぐほどのことでもないな、と独り呟いた一品である。 |
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ラバーソウル・セッションズ(1965)
こちらはラバーソウルのアウトテイク集で、アルバム用のボツになったテイクを集めた前半、シングル盤用のバージョンを何種類も集めた後半に別れるが、全体的に音源の鮮度が良いので、どのテイクも楽しめるようになっている。上記で感じたラバーソウルのモノミックスの煮え切らない雰囲気はこちらのCDで解消された。音量がラウドなんて簡単なものではなく、全体にビートルズ特有の柔軟なアンサンブルが表に出ており、音楽の流れが留まることがないし、音のリズムの踏み込みの深さや切れ際の明瞭さが、とても生き生きとしているのだ。ただノイズというか歪みも盛大に残っているので、使用しているオーディオ装置によっては、ギラギラして聞こえるかもしれない。私の場合はコーンツイーターのノイズ耐性の強さによって救われている。 |
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もうひとつの見方は、1966年以降にビートルズがコンサート活動をやめたことで、ブリティッシュ・ロックが一気に華開いたという諧謔もある。つまり、世界中で売れたビートルズが早々に解散するかもしれないという憶測から、ポスト・ビートルズを狙う個性あふれるバンドが次から次へと輩出してきたことだ。それは1965~70年におけるロックのスタイルの変化の激しさからも伺えるだろう。まさに事件はビートルズの外側で起きていたのだ。その変化の波に付いていけずに、深追いしないというのは、いかにももったいない話である。一方で、ビートルズを聞かずして1960年代の洋楽を語るなかれ、というのは、私自身は空気のように感じてきたので、あえて深追いするようなことはなかったのだ。
では、若かりし頃のフラワー・ムーブメントに浮かれた日々を卒業しようと、必死にもがく猛烈サラリーマンの挽歌をお聞きください。
【オール・ニード・イズ・モノラル】
ここでは1960年代ロックにおけるモノラル録音との向き合い方について述べる。
まず断っておきたいのは、私は音楽を必ずスピーカーで聴き、ヘッドホンは使わない。ヘッドホンは高音も低音も明瞭に聞こえるが、逆に耳への刺激が強すぎて、それに慣れると刺激がないと不満になっていく。もちろん外に出かけたときは音楽を聴けないわけだが、通勤電車の騒音に勝てる音楽をいちいち選んで聴くような趣味はない。だからこれから話すのは、基本的にスピーカーでの音楽鑑賞を嗜むための方法論である。
もうひとつ断っておきたいのは、私はCDでしか音楽を聴かない。アナログ末期の1980年代に自分用のステレオを買ってもらった頃のポップス系のLPと言えば、ペナペナで薄っぺらい音と相場が決まっていたし、さらに再販物となれば使い回しのテープでノイズの乗ったものと相場が決まっていたので、いい思い出などないからだ。もちろん最初のCDの音はさらに悲惨だったが、繰り返し聴き続けるのにこれほど便利なものはなかった。なにせ、それまでレコード、FMチューナー、カセットテープに加え、AM放送用のラジカセ(ウルフマンジャックとアメリカン・ヒット50)とMTV視聴用のテレビ(ベストヒットUSA)と、あらゆるメディアを総動員して聴いていた音楽が、CDというメディアに集約されたのである。ちなみに現在はサブスクとも契約しているが、同じCDプレイヤーのDAコンバーターを使用しても、CDに比べ低音の踏込みが弱く、もっとノッペリした音に聞こえる。なので基本的にサブスクは鑑賞用ではなくカタログのように考えている。
このため私のオーディオ環境は、CDをスピーカーで聞くという昭和末期のスタイルに依存しているのだ。そして、私のオーディオ歴はCD=デジタル録音との確執の日々から生まれたと言って過言ではない。そのなかでモノラル音源というのは、自分の探求心と未だ知らない音楽への欲求を満たす、大きなミッシングリンクかダンジョン攻略のようなものだ。その異世界ファンタジーに似た世界の音を心から楽しめるようになったのは、2012年にオーディオ装置をモノラルに絞ってから、5年ぐらい経ってからである。岩の上にも三年とはよく言ったもので、ミッドセンチュリー・スタイルに整ったモノラル・システムで聴く20世紀の音楽は、3世代に渡り変革のあった録音技術の差などらくらく飛び越えて、今の時代に生きた音楽を伝えてくれる。
一方で、それまでステレオで聴き続けていたときに感じた違和感もあり、常に発展を続けるステレオ技術で過去の音楽を聴くことの問題点も理解するようになった。ともかく常に技術革新を迫るオーディオ業界のセールス手法が、古い録音の欠点ばかり挙げ連ねるパワハラ上司、モラハラ教師のように見えてきたのである。まず1970年代以降のオーディオの主流はステレオ録音であり、従来からビートルズのアルバムはステレオ盤が正規のマスターであり、初期のモノラル録音も生煮え状態の疑似ステレオ化され、過去のモノラル盤なんて犬も喰わぬマニア向けのものだった。ようするにステレオとモノラルのアレンジの細かい違いのほうが重視されてきたのだが、それはあくまでステレオ盤が正規なのに対するアウトテイクのような扱いだった。アルバムにないシングル盤を集めた「パスト・マスターズ」などは、ビートルズの楽曲をコンプリートするアイテムとして知られるし、アンソロジー1~3の公開以降はスタジオ録音のアウトテイク集がブートレグで出まわるようになり、アレンジの違いや熟成過程を知るのはそれほど珍しいことではなくなった。しかし、ビートルズの時代にヒットしたパッションのようなものを知るとなると話は別で、21世紀になってオーディオ的な興味としてモノラル録音がクローズアップされているのである。これはそれまでステレオ>モノラルの社会的構図を覆すような変革が起こっていると思うのは自分だけだろうか?
モノラル録音の存在を最初に切り出したのは、1987年にビートルズがようやくCD化に踏み切ろうとしたとき、ジョージ・マーチンが最初の2枚のアルバムはモノラルだとして、それをマスターに指定したことだった。それまでは驚くことに1970年代に編集された疑似ステレオが正規盤のマスターだったのだ。これは赤盤CDでも踏襲され、最初の4曲だけモノラル、以降はステレオとなっている。その後になって2015年以降は状態の良い元テープからリミックスされた音源が企画され、2023年には最初の2枚もステレオ音源にたどり着いたということになった。しかし、ステレオとは言っても、初期の録り方は左右の音が100%別々に収録されたデュアル・モノラルもしくはピンポン・ステレオと呼ばれるもので、ライブ会場のような音場感が生まれたのは「サージェントペパー」からで、これが仮想のビートルズのコンサートということなので、ポップスの録音でサウンド・ステージが意識された最初のものと言える。ではそれまではどうだったかというと、モノラルからステレオへ移行する過度期で、試行錯誤の途上にあったといえる。いや試行錯誤なんてカッコイイものではなく、モヤモヤした気まぐれに包まれた大きな「?」という感じになる。その点はモノラルにすると、スッキリ何かが整理されたように、音楽の内容に集中できるのだ。その霧が晴れたような感覚は、録音当時のステレオ効果に対する疑問にも結びつくので、現在のオーディオ技術ではミスマッチも覚悟で身を任せるしかない。
一方で、より決定的に影響を与えたのは、もうアナログ盤とは縁を切ろうとなった1990年になって、いきなりフィル・スペクターが巻き起こしたウォール・オブ・サウンドにおけるモノラル録音へのリスペクトである。一般にウォール・オブ・サウンドはステレオ録音の一大流派と見なされているが、エコーをたっぷり利かせて広がりのある音場感を出すとか、サウンドが壁一面にマッシブにそそり立つとか、色々と言葉のイメージだけが先走っているが、実は当人のフィル・スペクターは、1990年代に入って自身のサウンドを総括して「Back
to MONO」という4枚組アルバムを発表し「モノラル録音へのカミングアウト」を果たした。実はウォール・オブ・サウンドの創生期だった1960年代は、モノラルミックスが主流で、これに続いて、ビートルズのモノアルバムが発売されるようになり、その後のブリティッシュ・ロックのリイシューの方向性も定まるようになる。少しづつであるが、アメリカの1960年代のポピュラー音楽でもモノラルミックスの意義が認められつつあるのは喜ばしいことだ。
一方で、ウォール・オブ・サウンドの実体とは、当時のティーンズなら誰もが持っていた携帯ラジオでの試聴がターゲットで、「ティーンズのためのワーグナー風のポケット・シンフォニー」という定義は、多くの人が思うようなワーグナー風のオペラハウスの再現ではなく、ポケットのほうに重心があったと言えよう。この理屈は1980年代の日本にも適用され、テレビの小さなスピーカーから聞えるCMソングでヒット曲を量産する時代でピークを迎えた。先見の明があったといえばそれまでだが、フィル・スペクターのサウンドは1980年代になっても神のように崇められるのである。

初期のトランジスターラジオの聞き方はトランシーバーのように耳にあててた(ヘッドホンへと発展?)
私が自覚的に音楽を聴くようになったのは、1980年代の中学生の頃だったが、最初に手にしたのはモノラルのラジカセだった。それでFEN東京(AM 810kHz)から流れる洋楽に耳を傾けていたのだ。おニャン子だとか振り向きもしない、生意気ざかりの年頃に響くウルフマンジャックの声は、最初の雷鳴と遠吠えの合図と共に、アメリカンな嵐を吹き込んできたのだ。中学を卒業する頃にはステレオも買ってもらったが、なぜかハイファイなチューナーで聴くAM放送は高域に張りのない老人のような音で、FENを聴くときは必ずラジカセにしていた。それで何も不満などなかったのは、アメリカでヒットする楽曲を独自の嗅覚でいち早く紹介していたので、毎日アップデートされる情報の新鮮さのほうが際立っていたからだと思う。それと共に古いロックやポピュラーソングも並行して流してくれたので、その音楽そのものを愛する姿勢が、英語の分からない少年にも自然と共感を呼んでいたのだ。
 
オールディーズの代名詞となった映画アメグラに出演中のウルフマンジャック
日本でのMTVの先駆け「ベストヒットUSA」に出演中の小林克也
しかし1980年代にこれだけモノラル需要があったにもかかわらず、それは音楽を聴く底辺の人々のものとして扱われていた。卓上テレビの小さい楕円スピーカー、モノラルのラジカセ、酒場の有線放送、音楽が世間の隅々まで浸透するのに、モノラル音声は安くて便利なフォーマットとして存在していた。一方で、誰でも聞ける安定したフォーマットであるがゆえに、音楽と特別な関係を望む人にとっては、それだけでは他人と何か違うのかを明確にする点で、物足りない感じがしていた。なので、そういう人にはステレオ・コンポが用意されていたのだ。そこで問題が生じたのは、1970年代以降のモノラル家電は安かろう〇×△□の代表だったので、モノラル録音で残された音楽と特別な関係を結ぶためのオーディオ機器がすっかり途絶えていた。考えてみれば、ウルフマンジャックもそうした記憶の風化からアメリカン・ポップスを守ろうと必死に遠吠えしていたのだ。
  
  
色とりどりの1970年代モノラル・ラジカセの広告
さて、以下はアメリカのポップスやソウルの超優秀録音である。ところが、これらをモノラルスピーカーから部屋を揺るがすほどのディープなサウンドで鳴らすのを聞いたことがあるだろうか? そうならないのは、自分のオーディオ機器がどこかアンバランスな状態に置かれていると、方針を転換しなければならない。
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Presenting the Fabulous Ronettes(1964)
ウォール・オブ・サウンドの開祖フィル・スペクターの代名詞となったガールズ・グループの初アルバムである。当然ながらモノラルでのリリースであるが、これを部屋いっぱいを揺るがすだけの音響パワーを出せるかは、あなたのピュア・モノラルが成功したかを示す試金石でもある。難しいのは、A面のナンバーの録音で音が混み入って縮退(残響音の干渉で音圧が下がる現象)を起こすタイミングで、ちゃんとリズムがダイナミックに刻めているかである。成功した暁には、ベロニカの声がかわいいだけの歌姫ではなく、コール&レスポンスでバンド全体を鼓舞するリーダーとなって君臨していることが判るだろう。こんなことは、アレサ・フランクリンのような本格的なゴスペル歌唱を極めた人にしか許されない奇跡なのだ。多分、後世で起こった「音の壁」に関する誤解は、厚塗りで漠然としたワーグナー風の迫力だけを真似した結果だと思う。音離れよくフルボディでタイミングをきっちり刻めるピュア・モノラルを目指そう。 |
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オーティス・レディング:シングス・ソウル・バラード(1965)
力業で押し切るレディングの歌い口はとても独特で、言葉を噛みしめ呻くように声を出すのだが、その声になるかならないかの間に漂うオフビートが、なんともソウルらしい味わいを出している。スタックス・スタジオは場末の映画館を改造したスタジオで、そこに残されていた巨大なAltec
A5スピーカーで、これまた爆音でプレイバックしていた。このため拡販を受け持っていたアトランティック・レコードから「ボーカルの音が遠い」と再三苦情が出たが、今となっては繊細なボーカルをそのまま残した英断に感謝しよう。 |
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シュープリームス:ア・ゴーゴー(1966)
まさに破竹の勢いでR&Bとポップスのチャートを総なめしたシュープリームスだが、このアウトテイクを含めた2枚組の拡張版は、色々な情報を補強してくれる。ひとつはモノラルLPバージョンで、演奏はステレオ盤と一緒なのだが、音のパンチは攻撃的とも言えるようにキレキレである。これはBob Olhsson氏の証言のように、モノラルでミックスした後にステレオに分解したというものと符合する。もうひとつは、ボツになったカバーソング集で、おそらくどれか当たるか分からないので、とりあえず時間の許す限り色々録り溜めとこう、という気の抜けたセッションのように見えながら、実は高度に訓練された鉄壁な状態で一発録りをこなしている様子も残されている。可愛いだけのガールズグループという思い込みはこれで卒業して、甲冑を着たジャンヌダルクのような強健さを讃えよう。 |
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アレサ・フランクリン/シングルコレクション(1967-70)
アトランティック時代のシングル盤でリリースされたモノラル・ミックスの音源を集めたもので、そもそも何が彼女をスターダムに登り詰めさせたかの足跡をたどるような構成である。それはアルバム内ではやや地味に感じる、スローバラードから攻めてくるあたり、コアな聴き手に向けてじっくり取り組んでいく姿勢が、アトランティックからのデビュー時点から貫かれている点に驚きを感じざるを得ない。そしてそれがアメリカで歴代1位のソウルシンガーの地位を不動のものとしているのである。 |
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こうしてモノラル録音の1960sポップスの復興の兆しはあるものの、肝心のオーディオ環境が伴わないため、どこか足踏みしているような気がするのは自分だけだろうか? 単純にモノラル録音はあっても、それを再生するモノラル・オーディオが存在しないのだ。モノラル・カートリッジがあるじゃないかぁ~なんて言っても、その先をステレオ装置で聴いていてはモノラルにはならない。
ヘッドホンでの試聴は頭内定位と言って、頭のなかで音が張り付いているような感じになり、かなり違和感が出るらしい。周波数特性だけで正確性を評価するとこういう初歩的な間違いが生じる。
ステレオスピーカーで聴く場合は、音圧がモノラルのほうが高いとか、モノラルなので中央で定位するのが正常だと思い込んだり、音質改善された見返りに高音の乾いた直接音に攻撃を受けて聞き疲れしやすいとか、聴きどころが明らかに逸れている感想が乱立する。一体いつになれば、この議論に終止符が打たれるのかと、誰しも思っているのだろうが、おそらく自分のオーディオ環境がモノラル再生に向かないクソだと口が裂けても言えないだけだと思っていい。
これらの疑問に対する答えは単純で、モノラル録音をモノラルスピーカーで聴くということを、ほとんどの人が軽視しているからに他ならない。というか、レコード観賞用のモノラルスピーカーをどのメーカーも作っていないのだ。これは考えてみれば不思議なことである。モノラル録音は市場に溢れているのに、それを聴くためのモノラルスピーカーは売ってないのである。これは正に片手落ちというほかない。
【イギリスの若者ご用達のポータブルプレイヤー】
ときどき言われる「ビートルズなんてラジオ程度のスピーカーで十分」という都市伝説について考えてみよう。これは初期のモノラル録音についてよく言われることである。
まずモノラルスピーカーが売ってないとなれば、自作することになるのだが、大概の人は1980年代のCDラジカセ世代以降の印象でラジオっぽい音を想像しているため、モノラルスピーカーに10cm程度のフルレンジを小さいバスレフ箱に入れることを選びがちだ。しかし、この箱庭モノラルはすぐに飽きる。現在のフルレンジスピーカーは、ステレオ音場を再生するのに特化されており、高域の指向性が鋭いわりに、低域がヤワでぼわ~んと広がることで、直接音でリズムをタイトに刻む1960年代のロックではまだまだ腰付きが弱いのだ。
同じことは2way~3wayのマルチウェイ・スピーカーにも言えて、ツイーターが高域のパルス波に敏感に反応する一方で、重低音に特化された鈍重なウーハーが後から遠い鳴りする構図で、ロックバンドのもつべき一体感を阻害している。ひどい場合にはノイズでパルス波が埋もれた録音は、ツイーターの目つきが宙を浮いて混乱するため、、高域不足の古ぼけた音に聞こえる。このため、モノラル録音の大半をラジオの音と勘違いするのだが、自分のステレオ・スピーカーがモノラル録音に不適合だとは考えてもみない。これが「ビートルズの初期録音はラジオ並み」という都市伝説の正体である。
実際に古いラジオに使われていたスピーカーは、もっと狭い帯域のエクステンデッドレンジもしくはワイドレンジと呼ばれる規格のスピーカーである。16~20cmなのに再生帯域は100~8,000Hzで低音も高音も伸びていない。これを空気抵抗の少ない後面開放箱にいれるのが正規のラジオ用スピーカーである。驚くことに現在のフルレンジのほうがずっと高性能なのだが、帯域を絞って吹き出すような勢いのあるエクステンデッドレンジのほうが、モノラル録音にはマッチしている。ちょうど水道のホースの口を絞ってみると、水の勢いが鋭くなって遠くまで飛ぶのと似ている。これは1960年代のイギリスの若者が標準的に使っていた卓上レコードプレーヤーも同様で、UKプレスのEP盤のミックスバランスが異なるのは、ラジオと卓上プレイヤーというメディアに整合性をもたせた結果である。
 
自宅でレコードのチェックをするRoger DaltreyとDansette社のポータブル・プレイヤー
 
Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー(ECL82単発に楕円フルレンジ)
 
EMI 92390型ワイドレンジユニット
モダンなフルレンジと古臭いエクステンデッドレンジの違いは、JBLで言えばLE8TとD208の違いが分かりやすい。両者は同じアルミ・センターキャップでも、そのサウンドには大きな違いがある。D208はホーズの口を潰したように勢いよく音が飛ぶ別名「ベビーD130」と言われるPA用に近い音で、マイクの生音を直接ステージで拡声するのに適しているのに対し、LE8Tは他のフルレンジに比べれば勢いのあるものの、フラットネスを基調にしたHi-Fi仕様である。こちらはあらかじめ調整された電気録音された音だけを聴くように整えられ、他の生楽器と直接対決することはない。問題はどちらがより60年代英国のクロニクルに沿っているかということだが、その当時の一番すぐれたフルレンジ・ユニットではなく、帯域の狭いエクステンデッドレンジということになる。録音スタジオのモニタースピーカーの音調から末端のユーザーまで、1950年代と地続きのAMラジオの規格で横並びだったのだ。

左:JBL 211(D208)エクステンデッドレンジ、右:JBL 2115(LE8T)フルレンジ
ところが、このエクステンデッドレンジ・スピーカーというものが現在では売っていない。エクステンデッドレンジは3~6kHzの中高域に独特の艶(実態は分割振動による高調波歪み)が乗るのだが、これはラジオで電波状況の悪いときでも子音の聞き逃しを防ぐ手だてであった。ところが同じような周波数帯域のウーハーはあるものの、ウーハーはこの中高域で無駄な共振を起こしてツイーターをじゃましないようにダンピングしてあるのと、より重低音が出やすいようにコーン紙を重たくしているため、モノラルに必要な音の勢いは死んでいる。ときおり、古い録音で極端な高域不足に陥るのは、ピンと立ったパルス波に過敏に反応するツイーターが得意な信号がノイズとして乱雑に収録されているので、ウーハーのパフォーマンスで聴くことを強いられているためである。
また周波数特性だけマネようと、イコライザーで電気的にカットするというのもダメで、イコライザーはイジりすぎると位相が反転していき音が窮屈になる。あくまでもスピーカーのアコースティックな特性で帯域をコントロールしてあげないと、ローファイなのに伸び伸びとした音は得られないのだ。
そんなこんなでようやく見つけたのが、ギターアンプ用に製造されている16cmスピーカーJensen C6Vである。ギターアンプ用となったのは、これはエレキギターが開発された1940年代当時、PA機器として使用していたものをそのまま流用したことからきている。
 
このJensen C6Vの発売時期は1970年代に入ってからのもので、中央のメッシュは埃よけで、ボイスコイルのリンギングがダイレクトに耳ざわりする機構をもっている。エッジはビスコロイドを塗布したフリーエッジの一種で(この辺がモダンな設計で20Wの耐入力がある)、最初はバスレフ箱に入れたが、Qts=0.91と比較的高いため、どうにもモゴモゴと暗い音でバランスが悪かった。そこでしばらくお蔵入りにしていたのだが、心機一転して後面解放箱に入れたところ、これまで抑え込んでいたモノが一気に噴き出すようなサウンドに仕上がった。この16cmの小さいスピーカーでも、根はPA用なので20Wの耐入力があり、2~3Wで音を上げるラジオ用フルレンジよりも、ずっとラウドに鳴らせる。 後面解放箱は、近所のDIY店で切り売りしていた40×45cm、15mm厚のパイン集積材を基本に、周囲を15cm幅×45cm長、19mm厚の板で囲うようにしている。一般的なエンクロージャーと違い密閉性は要求されないので、木工ボンドでくっつけてしばらく手で押さえておけば完成である。仕上げはアサヒペンの水性ペンキで、モンドリアンルックのツートンカラーでまとめた。
 

以下は、これまでステレオ用に貯めこんでいた機材を畳んで、モノラル専用に仕上げたシステムになる。個人的には「ド根性モノラル」と呼んでいる。

以下、試聴位置からの周波数特性をみると、500Hz辺りに大きなクビレがあるのは、ユニットからのダイレクトな振動から、バッフル面の反響音でのリカバリーへの移行するポイントである。これはステップ応答にも現れており、初発の波形から1ms遅れた山がそれに相当する。実はこの500~1,200Hzへと持ち上がる特性と、クリアに減衰するステップ応答とが、電気録音とラジオ放送が開始された1920年代から、アナログ末期の1970年代のラジカセまで引き継がれた家電音響製品の黄金比であり、かつそのオリジナルのバランスである。逆にクラシックやジャズのHi-Fiモノラルの優秀録音では高域が粗雑で歪みが目立つ傾向にある。こうした点が一般にオーディオマニアに好まれる音質とは異なる点である。
モノラル録音の生命線となるが、波形のタイミングの切れで、Jensen C6Vのようなフィックスドエッジは機械バネでコーン紙の動きを強制的に戻す機能が付いており、かなりスレンダーなステップ応答になる。以下、試聴位置からの周波数特性をみると、500Hz辺りに大きなクビレがあるのは、ユニットからのダイレクトな振動から、バッフル面の反響音でのリカバリーへの移行するポイントである。これはステップ応答にも現れており、初発の波形から1ms遅れた山がそれに相当する。実はこの500~1,200Hzへと持ち上がる特性と、クリアに減衰するステップ応答とが、古い電蓄の特徴でもあるのだ。もちろんこんなことワザワザ計測するなんて人は私しかいないが、昔の人は耳で聴いて自然なアコースティックを感じ取って設計していたのだ。
 
Jensen C6Vの周波数特性とステップ応答
このサウンドの隠し味は、サンスイトランスST-17Aという、昭和30年代のトランジスターラジオに実装されたライントランスである。 トランスには磁気飽和による高調波歪みと僅かなコンプレッションがあって、実はLPからCDに変わった後に音楽が味気なくなったのは、単にマスタリングの問題だけでなく、パッシブに動作する磁気歪みが関与している。同じような効果は、テープヘッド、カートリッジにもあり、唯一スピーカーだけが磁気回路をもつオーディオ部品となってしまった。私の場合は、ギターアンプ用スピーカーの分割振動も含め、倍音成分(高調波歪み)を大歓迎で混ぜこんでいる。
よく古い録音で高域不足に感じる原因のひとつに、そのまま8kHz以上の周波数が無いからだと理解され、イコライザーで高域を持ち上げることが行われていた。しかし、ツイーターから出る音の大半は楽音とは程遠い小さなシャカシャカ音、つまりパルス成分であり、持続的に高音がピーピー聞こえるなんてことはない。これを正しく理解すれば、高音不足に感じる原因はパルス成分の不足であり、古いオーディオ機器には盛大に発生していた高調波歪みが、1970年代以降の機器には不足しがちなのだと判る。イコライザーではパルス成分と一緒にノイズも増してしまい、雑然とした悪音の原因となってしまうのだ。この点で古いトランスはクリーンで均質な高次倍音を出すようにできており、古い録音に不足しているシャカシャカ音を補ってくれるのだ。
ただ倍音の出やすいのは出音のパルス性の波形に対してであって、普通のサイン波はクリーンな音である。もちろん歪みが増大するブレークポイントがあるので、それ以上の音量を出さないのも使用上の注意としてあるが、一般的なラジオ用フルレンジが2~3Wの耐入力しかないので、この辺が勘違いされやすい。プロ用のエクステンデッドレンジは、小さなC6Vでさえ20Wの耐入力のあるユニットなので家庭用として全く不便はないし、狭い帯域でも鳴りっぷりの良さに感服するだろう。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

Jensen C6VとサンスイトランスST-17Aの組合せで1kHzパルス波を再生したときの倍音(高調波歪み)
では、世の中の流れとして、なぜここまでに高調波歪みが嫌われるようになったのかと言うと、ステレオの音場感とか定位感の多くは、ツイーターの先行音効果に期待したパルス成分で成り立っている。つまり、オーディオ機器から発生する高次倍音は、ステレオ録音がステレオらしく聞こえるのに邪魔な存在なのだ。
これと似た現象は、1960年代末に「ソリッドステートの洗礼」と言われた、スタジオのミキサーが真空管からトランジスターに変わった時期に起こった。トランジスターになった理由はマルチトラック録音の普及と並行しており、それまで精々8chを同時録音+オーバーダブで行っていた収録も、楽器ごとにテープを回すとなると、32chはおろか64chでも足りなくなる。そうなると問題になるのがチャンネルごとに累積するノイズで、サーモノイズの多い真空管ではもはや対処できず、トランジスターでスッキリした音を目指すこととなった。NEVEやトライデントなど英国の老舗ミキサー製造会社はこの頃に生まれ、その後のポップスのサウンドを特徴付けていったのである。
一方でトランジスターにすることで起きた弊害もあり、アメリカ西海岸でドアーズを担当していた録音エンジニアは、ある日スタジオに行ってみるとミキサーがソリッドステートのものと入れ替わっており、まだ編集途中のテープから、パンチのある音と天井の高い広がりが全く失われてしまって、相当なショックを受けたらしい。それまでこのエンジニアは、夕刻に録音したての楽曲をラッカー盤にして、懇意にしてるラジオDJにこっそり深夜放送(AMモノラル)で流すようにしむけ、カーラジオから流れるリクエストの反応を聴きながら、自分の仕事の出来栄えを感じ取っていたという。そこにはコロンビアやRCAなどの大手スタジオの楽曲も同時に流れていたので、録音のサウンドポリシーの違いなども一緒に聴き比べられた。この話は1950年代の昔話ではなく、1970年直前の話である。AMラジオの音でも、音楽の様々な情報を十分に聴きとれるし、それで不自由なことは一切ないのだ。
ではド根性モノラルでお送りするビートルズ後期アルバムをレビューしよう。あらためて言うと、ローファイなエクステンデッドレンジで聴くことで、楽曲の何が骨格の中心なのかクローズアップされ理解できるものが違うので、モノラル再生環境の整備にサブシステムを持つなら、全く毛色の違うものを備えることを薦める。
【ビートルズの仮想ライブ中継】
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サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(1967) |
ステレオ録音として安定したのは、まさにこのアルバムからで、コンサート活動をやめたビートルズの仮想コンサート会場をレコードで再現すべく、ステレオスピーカーで奥行きのあるサウンドステージを形成したのがこのアルバムである。実はこれがポップスの録音でコンサートのステージを構築した最初のものだと言われ、その後のステレオ録音に大きな影響を与えた。
では、モノラルで聞くとどうかというと、それまでの録音より多めのエコー成分を交えたオープニングに引き続き、音像がクローズアップされた2曲目にいたり、それが映像作品の手法を取り入れたものであることが分かる。つまりコンサート会場で聴くのではなく、テレビ中継で鑑賞するという見立てだ。この裏収録にアニメ映画「イエローサブマリン」があったことと合わせると、リアルなコンサートをやめたことにより、バーチャルなアイコンと化したビートルズが、宝塚歌劇のベルばらもあわやと思わせる派手な騎士のコスプレ衣装を着て、世界のあらゆる悩み事(ストレス)を退治しましょうと、あの手この手で奮闘する姿を実況中継しているのだと言えよう。
これがビートルズの理解した世界平和運動、フラワー・ムーブメントの実態化であり、1960年代に生きたロック・ミュージシャンのすべき責務だと思ったのは想像に難くない。このトップミュージシャンによる意志表明に対し、様々な受賞とセールスを記録した一方では、よりコアなサマー・オブ・ラブの世界を生きていたザッパ大魔神からコテンパンにコキ降ろされたのは、本人たちも心外だったことだろう。リベンジは着ぐるみで参戦したマジカルミステリーツアーで行われるのだが、悪趣味にもほどがあると反省して真っ白にしたのがホワイトアルバムとなるのか? 冒険はまだまだ続くのである。
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【ビートルズだけの仮想ラジオ局】
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ザ・ビートルズ(1968) |
究極のミニマムなジャケット・デザインは通称「ホワイトアルバム」と呼ばれ、モノラル収録の行われた最後のアルバムということもありながら、マルチトラックでの録音方式の導入により、メンバーがバラバラでも収録が可能となったことにより、楽曲のスタイルも各自のアイディアが鮮烈に表現できるようになった。
アビーロードスタジオが真空管からトランジスター方式に一新する過度期にあたるアルバムで、高域の伸びも現在のものに近づいている。
だが、モノラルで聴くことで、各々に込められた楽曲のコンセプトをストレートに1本筋の通ったかたちで聴き続けることになる。普通なら単調で飽きやすく感じるかもしれないが、ビートルズのメンバー各自が持っていた音楽への飽くなき探求心というか、止めどもなくあふれ出てくるアイディアの多さに、収まりきらず2枚組になったような事情がよく分かる。
しかしそこに何か懐かしい感覚を覚えるのは、リスナーの自由なリクエストに応じる昔日のラジオDJのスタイルを踏襲しているからだと思う。とはいえ、そのリクエストへの応じ方が盤面をひっくり返すのではなく、オリジナル曲を準備して応じているのが、当時のビートルズのポテンシャルの高さを示すのだ。それがオーバーヒートして空中分解を起こす直前の危うさも感じ取れるのも、このアルバムの特徴となっている。モノラルはそうした時代の過ぎ去るムーヴメントを感じ取るドキュメンタリータッチな写し絵を提供してくれると思う。 |
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【ロックスター憧れのジュークボックス】
貧乏臭いが人情味あふれるド根性モノラルから卒業すべく、オーディオ機器のグレードアップを考えると、誰しも本格的なステレオ・コンポと考えるわけだが、私はここで多くの人が失敗していると思っている。自分もこの路線で失敗し、20数年も古い録音とオーディオ機器の不整合に悩みながら彷徨っていたからだ。なぜ本格的なモノラル・システムに舵取りできなかったのか?
それは1960年代以降に、優秀なモノラル・システムを組むお手本が無かったからだと言える。しかし、私のように1970年代のモノラル・ラジカセから這い上がってきた世代からいうと、リマスター音源が出るたびに歓喜と溜息が入れ混じる賛否両論は、実は誰もが自分のオーディオ・システムに満足していない実態が浮かび上がる。本人としては一人前に批評しているつもりだろうが、そもそもそれのできる土俵から崩れ落ちていることに気付いていない。同じ意味で、古い録音について音質のことを取り上げるのはマナー違反だという、一見良心的な意見も、満足な音で再生する手段を持たない泣き言のようなものだ。結果として、多くの人はラジカセからのグレードアップに失敗して、音楽を心から楽しんでいないのではないか? と思うこともしばしばある。
例えば、1960年代にステレオが出たての頃の、HMV製ステレオ電蓄に付属していたEMI製2wayスピーカーをみれば分かるが、AMラジオ用に帯域が最適化された楕円フルレンジ・スピーカーに、コーンツイーターを取ってつけたようなものだった。楕円フルレンジというと、昭和のロートルマニアは、古ぼけたラジオやテレビについてたアレを思い出すかもしれず、オーディオ製品としては失格と烙印を押すことだろう。実際にEMI製のスピーカーユニットは日本でもグッドマンズと同じように輸入販売されていたのだが、その存在すらも忘れられていたのだ。しかし、これは当時の最高級電蓄デコラ・ステレオも同じ仕様だったわけで、けして安かろう悪かろうではなかったのだ。ちなみにデコラ・ステレオは、五味康祐がオートグラフよりも再生能力が上だと書いた唯一無二の存在である。このラジオと変わらない家電用の電蓄と、最高級の電蓄の間のどこに違いがあるかといえば、大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーの存在である。ツイーターはどれも同じだ。つまりボーカル域の拡声能力が、一般家屋の個室用なのか、ステージでも使えるPA用なのかで、大きな差が出るのである。
 
EMIが製造したCaptolプランドのステレオセット(1959)
EMI製楕円ユニットにECL83プッシュプル、プレーヤー部はガラードRC121 mk II

デッカ Decolaステレオ蓄音機とスピーカー部分(1959)

EMIの同軸2way楕円スピーカーの特性(日本でも販売されたが見栄えが悪く売れなかった)
上記のEMI製電蓄はクラシック寄りの穏やかな音質だが、私がロック向けのモノラル・システムのお手本にしたのは、1960年前後に製造されていたジュークボックスである。私なりの読みでは、ブリティッシュ・ロックの再生にジュークボックスというのはアリだと思う。外見こそ金ピカでネオンに輝いたアメリカンな風合いが強くて、そのサウンドがイギリス風ではないなんて思うのは早計だ。そもそもブリティッシュ・ロックの原点はアメリカ黒人のブルースにあるし、何よりもビートルズのメンバーも、解散後に個々にジュークボックスを自宅に置いていたのだ。高音質でアコースティックな味わいを重んじるあまり、イギリス製の高級オーディオで鼻高々に聴いているなんてスノッブなことは早々にやめたほうがいいだろう。
 
1960年代初頭のRock-ola製ジュークボックス(コーンツイーター付)
  
ブリティッシュ・ロックのレジェンドたちもジュークボックスの前でお戯れ
これだけの錚々たるロックスターたちを夢中にさせたジュークボックスだが、一番の肝はやはりJensen製のエクステンデッドレンジ・スピーカーの存在である。昔日のPA用エクステンデッドレンジ・スピーカーの機能性は、それが開発された1940年代のスウィングジャズ全盛の時代において顕著で、ジャズのビッグバンドに混ざってギターやボーカルを拡声する際に、ホーンやドラムの生楽器に負けない瞬発力でマイクの音をそのまま吐き出す能力が第一に要求されたのだ。このリアルタイムでの優れた拡声能力は、モダンブルースやロックンロールのギターアンプへと引き継がれただけでなく、1960年を前後するジュークボックスのメインスピーカーとしても活躍することになる。アメリカ製ジュークボックスの大手3社(Rock-ola、Seeburg、Wurlitzer)のいずれも、1960年代初頭にJensen
C12Rを使用していた。これがなければ、ロカビリーやR&Bのブームは起きなかっただろうと思うくらい、ドラムの炸裂感やボーカルの食いつきが気持ちよくキマる。オールディーズを2ビートを焼き直した単調なアレンジだと感じる人は、自分のオーディオ装置のボーカル域が鈍重なウーハーで支配されているだけだと思っていい。
 
Rock-ola TempoII |
Seeburg KD |
Wurlitzer 2500 |
mid:2x12inch Jensen
high:1xHorn Jensen |
low:2x12inch Utah Jensen
high:2x8inch Utah Jensen |
mid:1x12inch Jensen
low:1x12inch Magnavox
high:1x7inch Magnavox |
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ジュークボックスに群れ合う若者と1960年代初頭にJensen C12Rが装着されたジュークボックス
しかし、ここでもエクステンデッドレンジ・スピーカー、しかも大口径のなんて、普通のオーディオ店には売ってないので、私は1940年代に開発され現在でも製造を続けている、30cm径ギターアンプ用スピーカーのJensen
C12Rを使用している。これがなかなか侮れない強者で、プロ用ユニットの端くれとして、中低音からガッシリ音楽を牽引し、とても鮮度の高い再生音を叩き出す。バスドラがドーンではなくドスッと決まるだけでもその違いは明らかだ。問題があるとすれば、純粋なオーディオ用ではなく、1万円以下の安値で売っているので、誰もその価値を正しく評価しないことぐらいだ。周波数特性は大口径でも重低音の伸びないカマボコ形のローファイ仕様で、今どきの10cmフルレンジのほうがスペックだけなら優れている。しかし、モノラルでのフルボディな再生能力は、次元の全く異なるリアリティをもつ。

 
上:現状のシステム構成(ほとんどが日本製)
左:システム全体の周波数特性(試聴位置でコンサートホールの響きに近似)
右:インパルス応答(出音が綺麗な1波形に整っている)
Jensen C12Rの機能性は、12インチ(30cm)という大口径エクステンデッドレンジだということと、フィックスドエッジの機械バネをもつ古い設計であることとの、2つの要素が巧く絡み合うことで成り立っている。C12Rは、現在製造されているJensenのギターアンプ用スピーカーとしては一番安価なのだが、これよりマグネットが大きく耐入力も増しているC12Nや、フリーエッジで重低音の伸びている他のウーハーでもなく、実はC12R以上に1960年代ポップスを生き生きと再生するスピーカーは滅多に見つからないのだ。よりビンテージ感のあるアルニコ磁石のP12Rではなく、セラミック磁石のC12Rを選んでいるのは、トランジスターアンプとの相性もよく1960年代ポップスのレガシー感を出すためでもある。低音が高音がというスペック至上主義ではなく、楽曲の全てが一体感のあるリズムで鳴るという性質が、どの時代の音楽でも生き生きと再生できる秘訣ともなっている。
実はこのJensen C12Rの瞬発力に巧く噛み合うツイーター選びがなかなか難しい。というのも、現在製造されているツイーターのほとんどはステレオ再生用に特化されていて、パルス波をいち早く出すことに心血を注いでいるので、さすがのJensenも間に合わず舌打ちを2回するようになる。ホーン型、ソフトドーム型、リボン型といろいろ試したが、どれもツイーターの音色に染まってしまう。
ようやく見つけたのが、独Visaton 社が製造しているコーンツイーターTW6NGで、これは1950~60年代の真空管ラジオの交換部品として製造されているものである。一方で、このVisaton TW6NGは独特の周波数特性で、斜め横から聴くと5kHzと12kHzに強い共振峰があり、ドイツ語のイントネーションに合わせて設計しているらしいのだが、Jensen C12Rと組み合わせると発音のタイミングがバッチリ合っている。もともとツイーターのレベルは最低限の補強に留めているが、インパルス応答でみると立ち上がりでピッタリ寄り添っていることが分かる。音の立ち上がりが綺麗な一波長に整っているので、ボーカル域での不自然さは解消された。

ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

周波数特性(斜め45度計測) |

インパルス特性 |
Jensen C12R+Visaton TW6NGの総合特性
デジタル化された時代も場所も異なる様々な音源に対し、総合的なトーンのまとまりを与える役目として、昭和30年代から製造を続けているサンスイトランスをライントランスとして使っている。
これは初期のトランジスタ・ラジオで、出力段で不揃いな素子を使ってB級プッシュプルアンプとして動作させるための分割トランスで、1970年代後半にパワーICが実装されるまで、ラジカセなどに広く使われていた。私はハイインピーダンスで受け渡しするST-17Aを選んでいるが、このシリーズで最もナローレンジで、高域と低域が-2dBと僅かに減少する領域は位相も遅れていくため、ボーカル域(200~4,000Hz)を中心に周辺が自然にボケていく感じがして、あえて言えば安物のMMカートリッジのようなマットな質感がある。おそらく1960年代に電池駆動のトランジスターラジオが増えるときに、真空管ラジオと遜色ないように音質的にチューニングされたものと思っている。
そのくせ小型トランスは磁気飽和しやすく、ライン信号レベルでも甘い倍音を出すので、DCアンプの味気ない音に彩りを与えてくれる。私なりの考えでは、これらのラジオ音声用トランスは、トランジスター特有の鋭利な奇数倍音を緩和するために、偶数倍音を補完するようにデザインされているように感じる。そのため真空管用のライントランスともテイストが違うようなのだ。もちろん真空管とトランスを使った機器でも同じような効果があると思うが、千円にも満たない小型トランス1個で済むなら、それで十分な気がする。

ラジカセ基板の段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性
トランスには磁気飽和による高次歪みと僅かなコンプレッションがあって、実はLPからCDに変わった後に音楽が味気なくなったのは、単にマスタリングの問題だけでなく、パッシブに動作する磁気歪みが関与している。同じような効果は、テープヘッド、カートリッジにもあり、唯一スピーカーだけが磁気回路をもつオーディオ部品となってしまった。ちなみに私の場合は、こうした事情は肯定的に捉え、ギターアンプ用スピーカーの分割振動も含め、倍音成分(高次歪み)を大歓迎で混ぜこんでいる。ただ倍音の出やすいのはパルス性の波形に対してであって、普通のサイン波はクリーンな音である。もちろん歪みが増大するブレークポイントがあるので、それ以上の音量を出さないのも使用上の注意としてあるが、Jensenとて70年前のプロ用ユニットなので家庭用として全く不便はない。

Jensen C12R+Visaton TW6NGの1kHzパルス応答特性(ライントランス有)
斜め横から測っても中高域のピーク成分はリンギングで残る
これらのレガシー感のあるモノラル・パーツは現在も製造を続けており、Jensen C12R、Visaton TW6NG、サンスイトランスST-17Aは、3つ合わせても1万円前後で手に入る大変お買い得な商品である。変に50~70年も前に製造された劣化状態も不確かなビンテージ機器を探し求めるよりは、ずっと安定したシステムを構築できるし、現在のデジタル環境にも容易にフィットさせることができる。なにせ、タイトで骨太な中低域の反応、艶やかな高次歪み、そして再生音の全域での出音のタイミングの一体感など、デジタル時代で失われたテイストを、これらのレガシーなアナログデバイスが全て兼ね備えていると言ってもいいのだ。
ではジュークボックスで聴くビートルズ初期アルバムをレビューしよう。あえて音質が未熟でラジオっぽいと言われる初期のモノラル録音を、ジュークボックス並みの大型モノラルスピーカーで聴くことで、体当たりで迫ってくるロックの真髄が体験できる。それはライブでも安定した力量を示すパフォーマンスバンドとしてのビートルズを再評価する機会となること請け合いである。
【生のビートルズを実感】
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プリーズ・プリーズ・ミー(1963) |
このアルバムの録音は、もともとシンプルな近接マイクで収録されているため、16cmのラジオ用スピーカーで聴くことで、若い溌剌としたビートルズの魅力が引き立つのだが、より大きな口径のPA用スピーカーで再生すると、ライブ感のより強い演奏が体験できる。ドラムとベースラインの骨格がより明瞭になることで、こっちのほうが実態に近いのかもしれない。
というのも、当時のレコードは、ダンスホールなどで使用したり、レコード・コンサートのような催し物もあったりと、家庭用に限らない多用途な目的に適合するように、広い会場で大きな音で鳴らしてもバランスの取れる音響に設計されているからだが、その音響設計の中心にあったのがアメリカ製のジュークボックスだった。
ところがレコード業界の法的な支配権の強かったイギリスでは、レコードを買わずに聞けるような商売は排除されていたため、英国内でのジュークボックスの製造開発は保留されたまま、店に置く機会もあまり見られない。このため、1960年代のオーディオ機器は、格安のポータブルプレイヤーか、そこから一気にステレオシステムに飛び越えるしか方法が見つからないのである。
しかし、ここでのビートルズは、ラジオやテレビで当時のR&Rナンバーのカバーを演奏していたのと同じ要領で、ビートルズの魅力とは何かを表現しており、それがそのまま30週売り上げ1位の地位を保っていたと思える。等身大のビートルズを体験するのに、大型モノラル再生装置は必要なのだ。 |
【音楽活動のトラウマを抱えた人情劇】
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ビートルズ・フォー・セール(1964) |
人気絶頂で迎えた1964年のクリスマス・セールに向けて急遽企画されたアルバムだが、ややシックなジャケ絵からも想像できるように、オリジナル曲ではフォーク・ブームにも意識を向けたアコースティックなナンバーが魅力となっている。むしろ日本でのビートルズ需要はこちらにあるのだと思うのだが、シングル盤でのヒット曲がないのと、アメリカと日本では、「ビートルズ
'65」と「ビートルズNo.5」として、例のバラバラ事件に発展したために、思ったより認知度は低いように感じる。
そもそもビートルズは、スキッフルという英国版カントリー・ブルースの洗礼を受けて生まれたバンドなので、むしろ自分たちの足場をしっかり踏みしめるように、クソ忙しい年末商戦を見透かしていたのだろう。この冷めきった目線が、フォーク音楽という一見人懐っこい風情に注がれることで、彼らが大人の人格をもったミュージシャンであることを宣言した感じになっている。カントリー風のアプローチはアメリカで空前の売れ行きとなったが、イギリスではやや下火になったスキッフルへの懐古的な雰囲気に受け取られ、シングルカットが見送られたと考えるのが妥当である。
一方のチャック・ベリーやDr.フィールグッドなどのR&RやR&Bのカバーは、ド迫力で炸裂する。演奏テクニックのほうは確実に上がっているのに、それを聴いてもらおうにもビートルマニアの黄色い奇声に阻まれ、思うように音楽活動のできないトラウマを一気に吹き飛ばすような弾きっぷりの良さが心を揺さぶる。
大型モノラル再生装置で聴くこのアルバムは、1965年に大きな決定を下す予兆として、熱血と冷徹の温度差をより大きくクローズアップする。 |
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ひとつ気を付けたいのは、最近の音質改善をうたったリマスター盤へのネット評で、あきらかに再生音がフラットな一方で、低音がブカブカに緩んで、パルス波にナーバスに反応するスピーカーか、またはヘッドホンで聴いて、さも一人前に音質評価をしている現状がある。オーディオ機器の特性がフラットだからサウンドが正確と考えるのは、初歩の初歩のようでいて、初心者が一番躓きやすい落とし穴で、おおむね低音も高音も過剰なドンシャリ状態で試聴している。
規格上でのフラット再生は、無響室という特別な部屋で50cm~1mの近接距離で測った特性で、部屋の反射波があると低域は後追いで膨らみ、高域の音響エネルギーは拡散して減衰する。この自然なアコースティクスを学んで、ドンシャリ病から脱するのがオーディオ初心者から踏み出すべき第一歩である。と言ったのは、1980年頃に来日したタンノイの役員の感想である。KEF社長は「日本のスピーカーは攻撃的だ」と一蹴した。その伝統は今も続いていて、1960年代以前のレコード文化を正視できないまま、レガシーの滝つぼに一緒くたに落としているのだ。
21世紀になりアナログ盤への復帰が顕著で、2022年にはCDの売り上げを上回ったとかいうが、その準備はほとんどなされていないといえよう。5cm程度のフルレンジが付いたプレーヤーを回して、アナログレコードだから音が良いなんてのもかなり怪しい話である。それでいて、ヴァンゲルダーやビートルズ周辺の初期プレス盤は、世界中で買い付けられ日本に一番集まっているという。これはLP盤の所有者とそうでない人の身分社会というかヒエラルキーを形成していて、特にポップス関連では、大衆性という一番重要な要素がないがしろにされている。
この大衆性を追及したのはラジオっぽい音であり、100~8,000Hzにその全てが詰まっているのだ。例えば、ビートルズのアルバムのCDリリースを最初に監修したジョージ・マーチンは、「自分はシンバルの音がどれだけ鮮明に聞こえるかなんて興味がない」と断りを入れているが、それをちゃんと理解した人がどれだけいたか、未だに分からないままである。さらに20世紀最大のセールスを挙げたアルバム「スリラー」のプロデューサー
クインシー・ジョーンズは、ウェストレイク・スタジオという由緒あるスタジオで録音しながら、150~7,000Hzしか再生できないオーラトーン5cという10cmフルレンジでミックスするようにエンジニアに実行させた。結果は、モノラルで貧弱なフルレンジスピーカーを実装したテレビで再三流れた、長尺のミュージックビデオの成功である。これと前後して1980年代の日本のニューミュージックがCMソングで軒並みヒットしたのも、同じオーラトーンを使ってモノラルミックスされた音源を用いたからであった。
相次ぐ録音規格の進展と拡張主義に、人間の進化は追いつかないどころか、人間がコンピューターなみに正確な聴覚をもっていなければならないと勘違いしている。Hi-Fi初期のミッドセンチュリー時代に培った人間の聴覚に心地よいサウンドの追及は、いまだに十分な評価が得られないままなのだ。聞こえなくていい音は聴かなくていい。そういう割り切りができないまま、イジイジと40kHzまで拡張してしまった20世紀のレガシー・オーディオの重鎮とは、、サッサと
さよなら しよう。
【モノラルのおまじない】
1960年代ポップスのモノラル録音のサウンドポリシーについて、ロックとは何かという壮大な探求心が生んだまがい物のように感じる人も多いと思うが、その理由の大半は高域の張ったフラットな特性のスピーカーで聴いているからだ。これを読んですごく変なことを言っている人も多いと思うが、実は1960年代のモニター環境が必ずしもフラットではなかったというトリビアが存在する。では何が基準だったかというと、レコードをホールで鳴らしたときに正常に聞こえるようになっていた、と答えれば理解しやすいだろう。
以下のコンサートホールを実測した結果を参照してほしいのだが、出足の周波数分布は200~1,000Hzまでフラットで、それ以下もそれ以上もダラ下がりである。そして低音はホールのエコーに助けられ後だしジャンケンでエネルギーが増すのに対し、高音はレベルの変化なくたゆたう感じになる。一般的には、高音のほうがホール毎の音場感の違いを特徴づける要素が多く、その僅かなエネルギーの差を表現するために、ツイーターに繊細な反応を求めるのが、現在のHi-Fiスピーカーの設計方法である。逆に言えば、オーディオがフラットでなければまずい理由は、ステレオで表現される音場感に大きなウェイトが置かれている。エビ天に譬えると、モノラルがエビ本体の大きさを気にするのに対し、ステレオはころもの食感(サクサクか食べ応えあるか等々)にこだわっていることになる。


コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)
 
我が家のスピーカーと実際のホールトーンの比較(点線は1930年代のトーキーの音響規格)
この周波数バランスで聴くモノラル録音は、ほぼ自然な状態で鳴り響く。けしてローファイではなく必要十分なレンジ感で、中低域から中高域までが一体感をもって進行するのだ。それゆえに、音楽にもっと集中して聴けることになる。これがモノラル時代の周波数特性の黄金比だといえよう。
ちなみに、ブリティッシュ・ロックの話題に必ず出てくるタンノイのスピーカーだが、大型機種にはツイーターのレベル調整ほか、トレブルロールオフ機能が付いていて、部屋の広さやアコースティックに合わせて調整できるようになっている。1960年代は2kHzからロールオフできるようになっており、これをみてコンサートホールとの相関性を持たせていることが分かるだろう。高域をわざわざ切って捨てるなんてもったいない、なんて思うのは早計で、タンノイの重役は日本のオーディオファイルの音を聴いて「西欧のナマの音楽をできるだけ多く聴かなくてはならないと思う」と説教したし、KEF社長は「日本のスピーカーは攻撃的だ」と一蹴した。無響室で測ったようなフラット再生が正確なのではなく、むしろ異常なこととして受け止められていると考えるのが自然だろう。

1960年代末のタンノイ モニターゴールドのトレブルロールオフ機能
私自身はついこの前知ったのであるが、1970年代からアブソリュート・サウンド誌に参画していたオーディオライターのアート・ダドリーは、同誌を辞めた後にアルテックのヴァレンシア(後にフラメンコ)をリファレンスにして批評活動を再開したということだった。そこでは、オーディオに必要な要件について「タイミング」という言葉をしきりに使っており、生涯の敵は「性能に問題ないと繰り返す専門家」と「周波数特性の専制主義者」である。このことを深く悟ったのは、歴史的なソングライター アーヴィング・バーリンの自宅を訪問したときのことで、そこで聴いた長年使いこまれたポータブルの蓄音機と電蓄の音が、78rpm盤とLP盤のどちらにおいても、あまりに家のインテリアと馴染んでいて感服したという。ちなみにダドリー氏がオーディオ機器の批評に正式に参加するときは、盟友のジョン・アトキンソンがダドリー氏の好む音響特性についてフォローするお約束となっているが、1kHz以上は-3~4dB/octでロールオフする独特なカマボコ型である。一方では、アメリカのライターらしくフォークやロックへの愛情をたっぷり注いでいた点も、オーディオ進化論が既に緩やかな漸近線を画いてピークに達していた20世紀末から21世紀において、一風変わっているけど趣味性の高いコラムとして読まれていた。実はこれが21世紀オーディオの最先端でもあったと思うのだが、あまり日本では話題にならなかった。この辺もモノラル専用オーディオシステムの難しさである。
 
アート・ダドリーのリスニング・ルーム(アルテック フラメンコが目印)と音響特性
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私は人間が音楽に感動する要素は、人間の聴覚における社会性を育んできた言語的ニュアンスにあると思っている。つまり音楽の大方の情報は200~6,000Hzぐらいの範囲に納まっているのだ。そいういう意味もあって、私はスピーカーの機能性として、まず第一に人間の声をリアルに表現することを大事にしている。
そこをさらに踏み込んで、スピーカー径を大きめの30cmとしている。その理由は低音の増強のためではなく、200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。
このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたJensen C12Rのようなエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。よくスピーカーの再生能力としてフルボディという言葉が使われるが、モノラルの場合はスピーカーそのものの大きさが等身大であるべきだと思っている。
それと、スピーカーのダイレクトな振幅をじゃましないために、エンクロージャーを後面開放箱にしている。これはJensen C12Rの共振尖鋭度Qts(最低共振周波数fo付近でのコーン紙の動きやすさを示す数値)がQts=2.5という、ガチガチなフィックスドエッジだから可能なことでもある。逆に通常のバスレフ箱用に設計されたQts=0.3~0.5ぐらいのフリーエッジでは、後面開放箱に入れるとフラフラして使い物にならないので注意が必要だ。例えば同じJensenでも高級なP12NはQts=0.7で、バスレフポートの間口が広い、古い設計のハスレフ箱に合ったものとなっている。

人体の発声機能と共振周波数の関係 |
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唇の動きに見とれるか、顔を眺めてうっとりするか…
やっぱり胸元まで見ないと実体感が湧かないでしょ! |

裏蓋を取って後面解放! |
自宅のJensen C12R+Visaton TW6NGの美麗なタイムコヒレント特性 (上:インパルス、下:ステップ、どちらも手足がピンと伸びた10.0
モノラル録音を聴くときに見受けられるのが、ステレオ・スピーカーの真ん中で鎮座して聴くのと同じように、モノラルスピーカーの真正面に座って聴いている状態である。ステレオ試聴でのルールにこだわり、両耳に均等にフラットに聞こえることが正確な音だと思うのだろうが、これは実は間違いで、モノラル時代の正式の試聴方法は斜め横から聴くことである。これはBBCラジオの調整卓やシュアー社のカタログにも堂々と載っている公式のレイアウトである。当時のスタジオでも、録音に対し一番責任のあるプロデューサーが、モノラルスピーカーから斜めの位置に座っているのが分かるだろう。
 
モノラル期のBBCスタジオとShure社1960年カタログでのスピーカー配置の模範例(モノラルは斜め横から)
 
ジョージは片側のスピーカーの前に居座り、ポールは反対側のスピーカーを聴いている(1963)
 
モノラルでプレイバックに聴き入るエルヴィス(1956)とクリームの面々(1967)
以下の図は、点音源の現実的な伝達イメージである。モノラルからイメージする音は左のような感じだが、実際には右のような音の跳ね返りを伴っている。私たちはこの反響の音で、音源の遠近、場所の広さを無意識のうちに認識する。風船の割れる音で例えると、狭い場所で近くで鳴ると怖く感じ、広い場所で遠くで鳴ると安全に感じる。 こうした無意識に感じ取る音響の違いは、左右の音の位相差だけではないことは明白である。つまり、壁や天井の反響を勘定に入れた音響こそが自然な音であり、部屋の響きを基準にして録音会場の音響を聞き分けることで、元の音響の違いに明瞭な線引きが可能となる。このため、ヘッドホンで部屋の響きを無くして直接音だけを聴くことは、モノラル録音では想定されていないと考えていい。
 
左;無響音室でのモノラル音源 右:部屋の響きを伴うモノラル音源 |
もうひとつは斜め横から聴くと片耳だけで聴いていることにならないか?という疑問である。しかし実際には、パルス波のような鋭敏な音はスピーカーのほうに向いている耳にしか届かないが、もう片方の耳はエコーを聴いているようになる。人間の脳とは便利なもので、音が直接届かない反対側の耳でも同じ音として聞こえるように感じ取っている。さらに両耳に生じる頭の大きさのわずかな時間のずれを感じ取って、勝手に音場感なるものを脳内で生成してしまう。

両耳間時間差(ITD)と両耳間レベル差(ILD)の模式図(Xuan Zhong (2015)
比較的大きなモノラルスピーカーを部屋にどうやって置けばいいか困ると思うという人も多いかと思うが、私の場合は、オーディオをモノラルにまとめて以降は、デスクサイドにスピーカーを置いて試聴するようにした結果、オープンスペースが部屋に生まれることになった。30cmクラスのスピーカーはステレオだと仰々しい大きさに思えるのだが、ちょうど人間が一人分、椅子に座っているようなスペースに収まる。これはル・コルビジュエのモデュロールをみても明らかなのであるが、一般家屋のスペースファクターは洋の東西を問わず、押し並べて人間の身体の大きさに最適にできている。モノラルスピーカーでの試聴は、人間中心にレイアウトして心地よさが増すのだと思った。

ル・コルビュジエのモデュロールと自作スピーカーの寸法関係
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最後のおまじないは、デジタル録音への呪いを解くことである。とくにCD特有のギラギラした音というものだが、これは大変な誤解である。DATで聴くデジタル録音は、カメラでいうホワイトバランスを取るためのマットな灰色のような音色で、アナログ特有のノイズや高次歪みのない無響室のような空間である。ギラギラしている原因は、初期のCDプレイヤーのほとんどが使用していたシャープロールオフのデジタルフィルターから発する、プリ・ポスト・エコーという高周波でのリンギング成分からくるものである。これがどの周波数領域でも付随してくるため、累積したパルス性の高周波ノイズがギラギラした音に聞こえるのである。
 
左:1980~90年代に多かったシャープロールオフ・デジタルフィルターのポスト&プリエコー
右:最近増えてきたスローロールオフ・フィルター(プリエコーがない、MQAでも採用)
ちなみにCDの開発時期は、FM放送(50~15,000Hz)が音楽業界のマーケティングの勝敗を支配していたため、デジタルノイズなどFM放送の砂嵐(三角ノイズ)の遥か向こうの蜃気楼のようなもので、ほとんどの録音エンジニアは16kHz以上を楽音として必要ないとコメントし、CD規格も20kHzまでで十分だと踏んだのである。例えばデジタル録音に対応したてのアビーロードは、1970年代初頭に入れ替えたトランジスター式ミキサーに、モニタースピーカーをB&W801を付けただけである。主要なマイクもノイマンU87のままだし、レコーダーがデジタル方式になってノイズレベルが下がっただけで、基本的に誰もがアナログ方式の延長線にあることを当たり前のように考えていたのだ。

B&W実装前後のアビーロードスタジオ(1980年)
前面のコンソールはビートルズ解散直後に新調したもの
ところが、いざ市場にCDが出てしまうと、20kHzまで再生できないオーディオ製品は落第点を食らうという強迫観念にかられ、あろうことかデジタルノイズまで再生することを容認してしまったのだ。この規格の読み違えをよそに、デジタル対応オーディオ機器は、CDプレイヤーの出す高音の損失をできるだけ邪魔しないダイレクト接続が根付き、ただでさえ伝送能力の弱いDAコンバーターのI/V変換後のプリアンプ部が省略されることで、波形に抑揚のない浅い音が主流になった。さらに運の悪いことにイギリス製の高級ステレオスピーカーで採用した金属ドームツイーターでは、20kHz付近に壮大なリンギングを引き起こすように設計され、脳を麻痺させる作戦に出た。この手のスピーカーのインパルス応答をみれば分かるが、単純なパルス波形が見るも無残なギサギサ波形に化けていることに気が付くだろう。一方で、人工的な高周波パルス波攻撃で麻痺させられたオーディオ空間は、他の波形を平等に聞き取ることにも成功し、8~16kHzでのパルス波形のリニアリティの優れたツイーターだけが生き残るようになった。問題は、この帯域をノイズとして扱っていた古い録音だが、中高域のキャクターの変化に過敏になってしまい、逆に高域をカットした復刻盤は、足取りの重たい冴えないウーハーだけで再生した老人のような音楽に変貌するようになった。1970年代すでに広がっていた新旧世代の壁は、断崖絶壁、無酸素状態の山脈のように立ちはだかるようになったのだ。
 
1990年代の高級ハードドームツイーターの周波数特性(20kHz付近に激しいリンギング)
 
高級ハードドームツイーターのインパルス応答(左:入力、右:出力)
ちなみに私が主張するミッドセンチュリー・スタイルのオーディオは、1940年代に設計されたPA用スピーカーの技術を採用すると、きれいな1波長の波形に整っていることが分かる。これだとギラギラしたデジタルノイズで音が濁る前に、楽音が前に飛び出ていく状況が容易に想像できるだろう。
  
自宅のモノラル・システムのインパルス応答(綺麗な1波長で整っている)
一方で、英EMIの録音陣は、24bit/96kHzのart処理を実行するにあたり、真空管マイクプリがデジタル録音と相性の良いことに気が付いた。それは、それまでどうしても硬さが取れないデジタルサウンドに対し、真空管特有のサーモノイズが混ざることで和らいだからだと思われる。次第にこれは、デジタル録音では理論的に起こりえない、パルス成分への高次倍音の付加にもつながり、それまでアナログ方式では当たり前のように享受していた、パンチがあり艶やかなサウンドが蘇ってきたのである。さらにNEVE社の初期のトランジスター式ミキサーに付属していたライントランスにも、同様な艶やかな高次倍音が加わることが分かり、それまでトランスレスが当たり前だったアナログ伝送系に積極的にライントランスが加わるようになった。現在の真空管アンプ・ブームもこれに続くものであるが、柔らかく聴き疲れしないというリビング向けの意味ではなく、録音現場では積極的な音づくりに使用されていることに留意すべきだと思う。
以上のように、CD規格のサウンドポリシーは、FM放送を巡ったアナログ技術にあり、そのFM放送規格は1950年代から大きく変わることなく存続していたのである。この事実関係を探ると、CD規格はモノラル時代から変わらぬアナログ規格の申し子である。その証拠に、CDプレーヤー以外のオーディオ機器は20年間以上もアナログ機器で囲まれていた。むしろ21世紀のパソコンやi-Podの普及により、デジタルでの音声伝送が認知されたというべきで、本格的なデジタルアンプなどはごく最近の出来事である。逆にCD以降を古いラジオ用のアナログデバイスで噛ますと、ふつうにラジオ風の暖かい音がする。CD規格の策定時のスタジオ環境もアナログ機器だらけだった。だから私はCDのアナログ臭い音がたまらなく好きなのだ。
もうひとつは、過去にアーカイヴされたCDの山の扱いだが、それを再生するCDプレイヤーの選択について述べる。CDプレイヤーの都市伝説として、デジタルだからどの機器からでも同じ音が出るというのがあるが、これはかなり曲解したものである。同じ理解度で、CDがスタジオのマスターテープの音そのままであると言われた時期があるが、結果は散々なものである。このように、1950~60年代のモノラル音源について、CDならどんなプレーヤーでも同じように鳴っているだろうと思うひとは不幸だと思う。
私の使っているラックスマン D-03Xは、モノラル録音の再生には全くのお勧めで、かつて購入したCDが実は結構緻密な情報をもっていたんだと感心するような出来で、中域から湧き出るクリアネスというか、音の見通しの良さは、とかく団子状になりやすい収録帯域の狭いコンテンツには、かなりのアドバンテージになる。おそらくIV変換回路あたりからの丁寧なアナログ回路の造り込みが功を奏しているように思える。このD-03Xはただ高音質というだけではなく、BBC音源やライブ・ブートレグ盤のような一聴して雑な収録でも、かつてNHK-FMで聞いたような肉厚で物腰の柔らかい躍動感(デンオンの業務用CDプレーヤーDN-960FAを思わせるような安定感)が再現できているので、ラジオ規格との相性が良いのだと思う。よく最新オーディオというと音の定位感や立体感ということに注目が行きがちだが、中域の音像がクリアで芯がしっかりしているとか、音楽表現の基本的なものを律儀に求めている機種というのはそれほど多くない。このCDプレーヤーの開発者は、1990年にD-500X'sを開発した長妻雅一氏で、最近はネットワーク・オーディオのほうに専念していたが、フラッグシップのD-10Xの影でCD専用プレーヤーの開発を音質面・モデル面を一人で担当したというもの。D-500X'sとは違う意味でアナログ的なアプローチが徹底されていながら、ラックス・トーンをやや封印した真面目な造り込みと、見た目にも業務用っぽい無粋な顔立ちでよろしい。

ちなみにD-03XのデジタルフィルターはMQA規格に準じたショートロールオフで、パソコン内のソフトウェアDACから発生させたシャープロールオフと比較すると、プリエコーのリンギングが少なく、パソコンのアナログ出力に感じた中高域のテカリとかドラム音の滲みのようなものは、デジタルフィルターのクリアネスと関連があるとみた。ただし、ラックスマンの開発者の話だとCD側のチューニングをシャープロールオフで行ったが、MQA規格のショートロールオフとの辻褄を合わせるのに苦慮したような言い方をしていたので、おそらくCDはシャープロールオフなのだろう。ただ以前に比べてエコーのレベルも低減されているだろうから、むしろ本来のCD音質(U-MATIC?)の性能に近づいているように感じる。
 
ライン出力でのインパルス特性の違い:D-03X-USB(左:ショート)、パソコンDAC(右:シャープ)
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以上のように、モノラル録音には、100年に渡り録音された音楽文化をやさしく抱擁するような魅力にあふれている。それは人間がこの100年間で進化していないのと同じで、聴覚から身体能力までアナログ的なニュアンスを維持したままである、つまり、近寄って会話したり、人肌が触れ合ったり、そういうコミュニケーションを大切にしているのと同じなのである。
そこで私が提案するのは、①周波数特性を自然なアコースティックに戻すこと、②出音のタイミングをシンプルに整えること、③モノラルスピーカーの試聴位置を斜め横にして部屋の響きを取り入れること、④オーディオ機器のデジタル対応の仕方を正常に戻すこと、などモノラル目線からみた無駄な機能を無くすことである。それは単に機能を落とすというよりも、音楽を聴くにあたり無駄な贅肉をそぎ落とすことである。
しかし現在、そこにアプローチしたモノラルでローファイなオーディオ機器は、世界中のどのメーカーでも作っていない。そこで私は、ステレオ機器を少しずつ解体しながら、CDなどデジタル音源でもミッドセンチュリーのテイストをもった良質なモノラルシステムへと変容させていった。


先にも述べたように、ミッドセンチュリー時代から設計を変えずに製造を続けているエクステンデッドレンジとコーンツイーター、それにラジオ用トランス、という、レジェンドなオーディオ部品以外は、ミキサーからプリメインアンプまで、現在手に入りやすい普通のステレオ用機器を使っている。そもそもCD再生を基本にチューニングしているのだから、新旧入れ混じったハイブリッドなモノラルシステムといえる。そのため、自宅のオーディオシステムをステレオからモノラルへと移行するのも比較的簡単にできるように策定している。なんと言ったって、レジェンドなスピーカーとトランスの三種の神器が合わせて1万円ポッキリなのだ。こんなお得な話はない。
ブリティッシュ・ロックの名盤を極めるべく、初期プレス盤を買い漁り、当時の最高級のオーディオ機材を集結するのもビンテージの妙味だが、より汎用性のある1950年代のジュークボックスやラジオ電蓄の音響設計を踏襲することで、その前後に起こった様々なリソーズを網羅できるし、そのほうが断然楽しいのである。
これは本物のミッドセンチュリー時代のビンテージ機器が、アナログ盤と周辺機器を製造中止した1990年代から押しなべて高騰を続けている(4倍~10倍!)のと、良い状態で残っている機材の数もめっきり減って、希少性が高くなっていることと関連している。これはアナログレコードでも同じで、モノラル初期プレス盤などは歴としたオークションに掛けられるコレクターアイテムと言っても過言ではない。こうした文化遺産を個人所有とはせず、後世に引き継ぐためにも、レプリカ相当で何とかやり繰りできる方策も見出す必要を感じているわけだ。
 
レコードが先かオーディオが先か…どこか迷路に迷い込むようでもある
そういう意味で、私のモノラル・システムは、100年間におよぶレコード史に耐えうるニュートラルな再生能力をもっているのに加え、21世紀に入って後も新品で機材を購入でき維持管理できるものに落ち着かせている。結局、目指したのは、特別な最高のものではなく、平凡な日常を彩るのに最適なものとなる。そうした機会をもつために、100年前の演奏に対しても平等に接することのできるオーディオを、真のフィデリティ(忠実性)と呼んで差し支えないと確信している。

※モノラルを愛する人にはこのロゴの使用を許可?しまする
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