【ブートレグ盤の歴史】
知らない間に昭和100年になってしまった。
普通の音楽に飽きたらブートレグ。そういうことにしている。音が悪かろうが、音符をトチろうが、切れば血の出るような勢いのある演奏がたまらなく好きだ。良薬口に苦しというが、心の風邪を引いたときに、ブートレグを聴くと癒されるのだ。あるいは、野生の馬の群れのように、草原を自由に駆け回る姿の美しさに見惚れるのと似てる。ブートレグ(=海賊)という名のとおり、堅苦しい因習に縛られない自由奔放な生き方が、演奏にも生き生きと反映されているからだろう。心のモヤモヤが少しずつほどけていくのだ。
  
なぜか海賊は20世紀の人気キャラだった(フック船長、ビッケ、キャプテン・ハーロック)
もちろんライブでもスタジオ録音と瓜二つの演奏をやってのけるミュージシャンもいるが、大半はスタジオ録音はキッチリ楽譜通り、ライブでは転ぼうがケガしようが前のめり、ということのほうが多い。そのことが良いほうに向く場合もあれば、失敗と思えるようなこともある。こうした人間臭いふるまいも、私自身は好きなのだ。
そもそもブートレグとは海賊という意味で、いわば正規のアーチスト契約を経ずにリリースされたレコードのことを言う。ただのコピーなら明確な著作権違反だが、ラジオ放送のエアチェック、ボツになったライブ録音などを、ブートレグと呼ぶようになった。つまり、今風に言えば非正規軍のゲリラ部隊ということができよう。その包装もダンボールの堅紙にゴム印を押した粗末なジャケットにビニール盤を押し込んだだけのもので、それを真似て正式にリリースしたライブ・アルバムもあったぐらいである。
 
 
上:ボブ・ディランによるロック初の海賊盤(1969)
下:ザ・フーによるブートレグ風の公式ライブ・アルバム(1970)
いずれも再生紙にビニール盤を詰めた簡易包装
まず最初のブートレグは何かと言えば、ビートルズでもボブ・ディランでもなく、クラシック界の指揮者 フルトヴェングラーのライブ録音である。こういうと、EMIの「バイロイトの第九」、グラモフォンの「復帰演奏会の運命」のことだと思うだろうが、こちらはフルトヴェングラー本人、またはベルリンフィルと、それぞれアーチスト契約を結んだリリースである。本当のブートレグは、1953年にアメリカのウラニア・レコードから発売された1944年にウィーンフィルと録音したベートーヴェン「英雄」である。25cmLPに納めるためテープを早回ししてエキセントリックさが倍増したレコードで、フルトヴェングラーのライブ録音の凄さをはじめて世に知らしめた迷盤でもあった。さすがにこれはマエストロが裁判を起こし廃盤に追い込んだが、戦後のどさくさに紛れてドイツ帝国放送(RRG)から旧ソ連に戦利品として持ち去られた、戦時中のマグネトフォン・コンサートの録音群はそうはいかなかった。最初はモスクワの音楽学生の学習用にお披露目されたのだが、いつしか西側にメロディア社のレコードが流出し、ナチス時代の録音に神経を尖らせていた故人の思惑に反して、様々なコピー商品が出回っていた。その後のフルトヴェングラーのライブ録音探しの熱狂度は、クラシック音楽では有名な話である。そのうちEMIやグラモフォンの大手レーベルが、海賊盤を正規販売したが、放送局所蔵のオリジナルテープが公開される21世紀に入るまで、AMラジオなみの酷悪な音質に振り回されていた。
  
左:裁判沙汰になって幻の名盤となった「ウラニアのエロイカ」
中:海賊盤の名の通り大戦後に戦利品として持ち去られたフルトヴェングラーの放送ライブ
右:EMI傘下のユニコーン・レーベルでプレスされた板起こし盤
ポップス系のブートレグのはじまりは、イギリスに本当に存在した海賊ラジオである。 BBCラジオでビートルズの生演奏が流れたのが1963年以降。この頃、BBCが軽音楽を流すのは一日のうち45分だけ。それにレコード会社の売り上げが落ちるからと団体が政治的に圧力をかけ、レコードをそのまま放送することは硬く禁じられていた。いわゆるDJなるものはBBCには居なかったのだ。これに飽き足らない若者たちはルクセンブルクのラジオを短波で試聴するのが流行だった。知っている人は判るが、短波は電波が安定しないと音声が波打ち際のように大きくなったり途切れたりで、音楽の試聴にはあまり向かない。これに目を付け、アメリカ風に24時間体制でレコードをかけまくるラジオ局のアイディアを実現すべく、英国の法律が行き届かない公海上の船舶からゲリラ的に放送したのが、1964年から始まった海賊ラジオRADIO
CAROLINEだった。

 
Radio London 1137kHz(266m) 機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった
またたく間に若者の心をつかんだ海賊ラジオは、当時20局以上も現れ、次第にレコード会社も売り出し前のバンドのデモテープを横流しするなどして、新しいポップシーンを牽引した。テープはオープンリールではなく、カーステレオ用に開発された堅牢な8トラックカセット(初期の業務用カラオケにも使われていた)で供給された。当時の船内スタジオには、山積みの8トラカセットテープがみられる。
 
8トラックカセット エンドレスで再生できて便利だった
しかし試聴環境はここでもAM放送で、しかも電池で動く携帯ラジオが結構人気だった。使用スピーカーは電蓄と同じ楕円スピーカーで、再生周波数8kHzの壁を挟んだHi-Fi録音の攻防は若者文化のなかで依然として根強く、最新のミュージックシーンを牽引していた。
 
ハンドバッグに似たデザインで人気だった英Roberts社のバッテリー駆動型 携帯ラジオ
海賊ラジオは1967年に法改正で一掃され、変ってBBCでトップギアなどのロック専門番組が、海賊ラジオの元DJによって始まった。この頃からBBCセッションは、アルバム発表前のスクープという様相を帯びるが、これこそ海賊ラジオのスタイルだったのだ。1960年代を通じてイギリスのポップシーンの牽引役はラジオだったが、おそらく、上記のポータブル・プレイヤーの立ち位置は、同じようなアンプ&スピーカーで聴いておりながら、AMラジオよりも鮮明な音という位置づけだろうか。それより高級なシステムでの試聴は、造り手からしても想定外だった。イギリスの若者は、最新のトレンドはラジオで味見して、気に入ったらレコードを買うというパターンで、それでも健全に音楽が育っていったのだから、時代特有の情熱があってのことだったと思う。
 
左:海賊ラジオの首領John Peel、右:自宅で作詞に勤しむDavid Bowie
 |
デビッド・ボウイ BBCセッションズ(1968~72)
デビッド・ボウイの第一期の最後を飾るジギー・スターダストのプロジェクトに至る軌跡をドキュメンタリー的に捉えた放送ライブの断片。この頃のBBCは、レコードを放送で流せない法律を逆手にとって、有能な若手にまだ未発表の楽曲をテスト的に演奏させるという奇策を演じていた。その数多ある若いミュージシャンのなかにボウイがいたわけだが、アレンジもほとんど練られていないままのスケッチの段階で、若者がギター片手に語りだしたのは、宇宙から降り立った仮想のロックスター、ジギー・スターダストのおぼろげなイメージである。それが段々と実体化して、やがて自分自身が夢のなかに取り込まれて行く状況が、時系列で示されて行く。当時のラジオがもっていた報道性をフルに動員した第一級のエンターテインメントである。 |
ポップス系のブートレグで有名なのが、ローリングストーンズの1966年の偽ライブ盤で、これはアーチスト本人たちが認めていない点で非正規盤というべきものだが、日本で発売されたときに本場のロックってこんなにスゴイんだと思わせた迷盤でもある。似たものにジャニス・ジョプリン「チープスリル」も最近になって観衆ノイズをリミックスしたとネタバレになった。
  
1960年代のライブは興奮した観客がステージにバッグを投げ込むは頭髪を掴むはの大騒ぎ
 |
ローリング・ストーンズ/got LIVE if you want it!(1966)
ビートルズがライブ活動停止宣言をしたら、遅かれ早かれ解散するだろうと噂になり、様々な海賊盤が出回ったらしい。これはその余波ともいうべきもので、実際のロックのライブはこんなもんだぜっ!という感じのものを造り上げてしまったという迷盤。スタジオ録音にグルーピーの歓声をオーバーダブしたり、あの手この手で盛り上げてやった結果、日本において真のロックとはこれだっ!というような過剰な反応があり、ザ・タイガースのデビューアルバムにまで影響が及んだ。ちょうどサティスファクションがアメリカでヒットした後の凱旋講演に当たるが、当のストーンズのメンバーは自分たちの伺い知れないところで編集された当盤を公式には認めておらず、レコード会社の意向で造られた正式の海賊盤ということができるかもしれない。 |
もっと本格的にゲリラ行動をとったのは、ボブ・ディランの「ベースメント・テープス」で、元となった海賊盤「グレイト・ホワイト・ワンダー」は、おそらく著作権管理用に収録した新曲のプライベート・セッションを、わざと流出させた確信犯的なものだったと推察する。ほとぼりの冷めた8年後に再編集して「ベースメント・テープス」として正規盤となった。
 
バイク事故の後に平和な家庭生活を取り戻すべく山にこもったボブ・ディラン
 |
ボブ・ディラン/ベースメント・テープス完全版(1967-68)
フォーク音楽をエレクトリック・バンド化する方向転換により、フォークの貴公子から反逆者へと一転したディランだが、1966年夏のオートバイ事故以降、表舞台から姿を消していた隠遁先の小屋にザ・バンドの面々を集めて楽曲の構想を練っていた、というもの。録音機材のほうは、アンペックスの携帯型602テープレコーダーで、フォーク音楽の蒐集にご熱心だったアルバート・グロスマンがピーター・ポール&マリーのツアー用PA機材から借りた。ディラン自身は、自分の詩と楽曲に対する独自性をデビュー当初から認識していて、著作権登録用の宅録を欠かさない人でもあったから、そうした作家業としての営みが専任となった時期にあたる。もしかすると自らをパフォーマーとしての活動は停止し、作家として余生を過ごそうとしていたのかもしれない。しかし、このスケッチブックの断片は、楽曲のアウトラインを知らせるためのテスト盤がブートレグ盤として大量に出回り、それを先を競ってレコーディングした多くのミュージシャンたちと共に、ウッドストックという片田舎をロックと自由を信託する人々の巡礼地と化した。今どきだとYouTubeで音楽配信するようなことを、非常に厳しく情報統制されていた半世紀前にやってのけたという自負と、これから生きるミュージシャンへのぶっきらぼうな彼なりの伝言のように思える。
|
しかし、1970年代に入るとラジカセの普及により、ラジオ放送のエアチェック、もしくはダビングという形で一般化するようになった。例えば1970年のベルベット・アンダーグラウンドの解散ライブは、ソニー製のカセットレコーダーで録られたものであるが、ウォーホル・レディーだったベルリン女子の個人録音という折り紙付きのものだ。
 
ブリジット・ポーク・ベルリン(1970)ロック嫌いだったが以下のライブはたまたま居合わせたらしい
 |
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド/Live at MAX's(1970)
ウォーホル・ファミリーとしてデビューした後、流れ流れてカンザスで開いた最後のパーティの様子。録音したのは、ウォーホル・ガールズの一人であるブリジッド・ベルリン女史で、ソニー製のカセットレコーダーで録ったというもので、この種のブートレグでは中の上という音質。当時のカセットレコーダーは、ポラロイドのインスタントカメラと同じく若者の三種の神器だったらしい。しかしこれが解散ライブとなったため、このカセットはとても貴重なものとなった。録音品質の枯れ具合がまたよく、場末のライブハウスという感じを上手く出しているし、なんだか1960年代そのものとのお別れパーティーみたいな甘酸っぱい切なさが流れていく。 |
もうひとつのターニングポイントは、戦後から徐々に50年間のアーチスト契約の切れた1990年代からのブートレグの応酬で、21世紀に入るとロックバンドのアーカイブも開放され、ラジオ局に大切に保管されていたテープライブラリーの公開、アーチスト本人の了承済みのライブ音源などが、CD出版の容易さも加わり、相当な数が出回るようになった。
 
簡素なマイクでの収録、テープの頭出しに勤しむBernie Andrews
 |
ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962~65)
ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。 |
以上のようなブートレグ盤の生まれるシチュエーションは、スタジオ録音のように全てが整えられたわけではなく、むしろある種の出会い頭的にミュージシャンと関係者が交わることで、偶発的に録音された物だと分かる。出来不出来など問題なく、そこに居たミュージシャンの存在感そのものを捉えたドキュメンタリーでもあるのだ。それが音楽作品として整ったディスコグラフィーとは違う、雑なゴシップ記事のようなところもあり、定まった批評がない混沌としたところである。
従来のブートレグ盤の一番の問題は、その音質の悪さで、小さなAMラジオにマイクを向けて録音したようなものが少なくない。演奏にライブ特有の勢いがあるものの、過入力で音がつぶれたり、楽器間のバランスが崩れていたり、ハウリングや床を蹴ったときのノイズなど、純粋に音楽を聴くのに障害となりえるようなものも混ざっている。
もうひとつの課題は、レコード会社のように広報・宣伝のエキスパートが噛んでるわけではないのと、コアなファンが蒐集するレアアイテムだったりで、録音物に関する周辺情報が希薄で、いわゆるディスコグラフィーに体系付けられるようなアーチスト活動の流れが掴みにくい。良いか悪いかは、聴いている人が自分で判断するのが普通である。

【リマスターCDの常識&非常識】
さて21世紀に入り、半世紀の年季奉公を終えたミュージシャンの非公式扱いだった演奏記録が一般公開されるようになったが、オリジナルのテープに当たった音源は、これまでの海賊盤とは全く異なるテイストである。というのも、従来の海賊盤は訴訟を免れるため、AMラジオのエアチェック風の音質が大前提だったからである。しかし20世紀末あたりから、レジェンドなロックバンドなどは、自身で独立したプロモーションを行っており、ブートレグの意味合いが変わってきて、レコード会社では出版を渋るプライベート録音でも、自身の権益を守ったうえで公式にファンに提供しようとする動きが多くなってきた。
問題は音質に関するレビューで、これは賛否両論の嵐である。理由は、マルチトラック録音に飼いならされたステレオ装置や高級ヘッドホンで聴いて、高域が足らない、低音が少ない、と騒いでいるからだ。マルチトラック録音では、録音対象に10cmに満たない近接マイクで超高域まで繊細に収録するが、1950年代の一般のマイク位置は30cm程度が一番近いぐらいで、8kHzの超高域はノイズ扱いである。また交流電源のハムノイズ、ステージの床を踏む音などもノイズとして不要なため、100~200Hz以下はカットしている場合もある。代わりにライブ収録では4kHz辺りの中高域を強調して子音を明瞭にする傾向があり、多くのPA用エクステンデッドレンジ・スピーカー、ボーカル用マイクに、サウンド・キャラクターの癖がある。
こうした特徴を知らないで、重低音から超高域までフラットに聞き取ろうとするのだから、高音と低音に気を取られて、一番大切なボーカル域を聴き込むことができないのだ。新譜アルバム1枚(当時2800円)よりも10倍もの高級ヘッドホン、さらに100倍も高いステレオコンポから上から目線で、音が悪いと決めつけ、録音のせいにするのは、そもそも自分のオーディオ機器とブートレグ盤の相性が悪いと自ら告白しているようなものだ。そうしたこともあって、テープに落としてラジカセで聴くというプロの音楽評論家も居たとかいないとか。そんなこと自慢にもならないので、「自分はオーディオマニアではない」と言えば察してね~、という感じである。一方で、本場アメリカのストリート系パフォーマーの間では、日本製のラジカセ(モノラル)は最高のアイテムで、ラップもブレイクダンスもラジカセ1台あればOK。実はそれとこれは深い部分で繋がっているのだ。

ブートレグが一番輝くのは意外にもモノラル・ラジカセだったりする(苦笑)

1980年頃に始まったラップやブレイクダンスは日本製ラジカセが最高の機材だった
このため、ブートレグ録音を再生するにあたって、様々な課題について以下に述べることとする。
実はデジタル化の恩恵が多いブートレグ盤
よくデジタル・リマスターについて、デジタル臭いとか、昔のレコードの音のほうが良かったなどという意見を聞くが、実はブートレグ盤に関してはデジタル編集の恩恵を多く受けている。一番の違いは録音の波形を可視化しながらじっくり編集できることで、従来なら周波数帯域ごとゴッソリとフィルターを掛けていたが、不要なノイズだけゴミ取りすることが可能である。逆にPAミキサーを通さないドラムの音だけを抽出して、バランスを取り直すようなこともできるらしい。また録音テープの伸びによるワウフラッターのようなピッチの揺れなども修正している。マスタリングというよりはサルベージというのが適切な、地道な作業を施しているのだ。
オール・ユー・ニード・イズ・ライヴ 1960-79
2004年に出されたレコードレコクター別冊だが、この頃のブートレグ・ブームは尋常ではなかった。ともかくブートレグのライヴ録音を出さない(というより注目されない)バンドはメジャーとは言えないような雰囲気まであって、次から次へとリリースが続き、それに盤の評価が追いつかない感じでもあった。インターネットでの情報も錯綜していて、コアなファンには涙モノのアイテムでも、一般の人にとっては買って損したと騒ぎになるようなものもあったり、いわゆるメーカー保証のないところもブートレグ盤ならではのアルアル事案である。
もう20年も前に出版されたものなので、情報もかなり変わっており、ここに出てくるアルバムをみても、従来からよく知られた1970年代にステレオ編集された名盤が多くみられ、そこでの評価は鉄板なのであるが、そうではない有象無象のものが多かったことを当時を思い出しながら読むのも一興である。 |
これまで存在を知られなかったパフォーマンスのリリースを「発掘音源」という言い方は、実際にそう呼んで妥当なくらい、有象無象のテープ倉庫から見つけ出したり、プライベートなコレクションから選び出したりと、ともかく眠っていた白雪姫を揺り起こすような感じだ。だが「発掘」という言葉がチープに感じられるのは、インターネットによる情報が広がり拍車が掛かっているからだとも言える。つまり存在そのものは知られていても、リリースに値するような状態の良いテープまでたどり着くには、非常に険しい道があるといえる。個人的には、この日、この場所という、奇跡のめぐり合いだと思っている。
一方で、残された音源の音質があまりに良いので、雑音や演奏ミスのない正規のスタジオ録音と被ってしまうということで、リリースが見送られてきたものもある。ステージのプログラムが、まだアルバムとしてまとまる前にフライングで試演した結果、全体としてまとまりのないものになったものもある。そうした視点は、特にアルバム自体の歴史的な評価が確定している場合にあり、私は心を真っ新にして聴くべきだと思っている。
ブートレグ盤で最も活躍したのは、スーツケースに収まった可搬式テープレコーダーである。特に1954年から製造されたアンペックス 600テープレコーダーと620アクティブ・スピーカーは、世界中で愛用された。これのスペックは40~10,000Hzで、それまでのアセテート盤に比べ保存も編集も容易ということで、様々なシチューエションで使用された。アクティブスピーカーの620には、JBL
D260と6V6プッシュプルアンプが内臓されており、D260はD208のコーン紙にLE8Tのセンターキャップを取り付けたようなAmpex社の特別仕様で、センターキャップは黒くアルマイト加工され鳴きを抑えるようにしている。
 
 
Ampex 600&620と内臓されたJBL D260(OEM製品)、テープ録音の再生周波数
601型ステレオ・テーレコーダーを手に取りご機嫌なビング・クロスビー
モノラルかステレオか
ブートレグ音源の一番の難関は、放送用のモノラル音源だと言える。なにせ1960年代末まで世界の90%の人はステレオを持たず、モノラルで音楽を聴いていたというのだ。シングル盤はともかくLPアルバムまでもモノラルでリリースされることが多かった時代である。AMラジオ、テレビの音楽バラエティーで新曲の情報を入手し、買ったレコードは卓上レコードプレーヤーで鑑賞、ダンスやお酒を楽しみたいいならダイナーやスナックに出かけジュークボックスを掛ける。そういう時代だったのだ。1970年代に入ってもモノラル・ラジカセ一台で完結できたし、ラジオ番組もエアチェックで繰り返し聞けた。
 
そういうモノラル=アナログな環境で育った人々が、デジタル時代に入って急激にステレオだけを聴くように転換した。理由は1980年代にウォークマンをはじめとするヘッドホン・ステレオ機器の登場である。その後は携帯型CDプレーヤーの登場で、高音質でどこでも聴けるという利便性も重なり、CD売り上げも未曾有のビリオンセラー(10億円台)の時代を迎えた。モノラル録音との別離も急激なもので、ステレオヘッドホンで聴くモノラル音声は、頭内定位という不自然な音に見舞われる。つまり外に向かって開放的にサウンドが広がるステレオに対し、モノラルは頭の中でぐるぐる巡っているのだ。そういうのが適した音楽もあるにはあるが、自然にない人工的なサウンドであることは間違いない。いつしかモノラル録音は偽物という烙印を押されるようになったのだ。
一方で、モノラル=アナログ原人の逆襲もあり、それはあろうことかステレオサウンドの神様とまで崇められた”ウォール・オブ・サウンド”の創始者フィル・スペクターから発せられた。LP盤の製造が一端休止した1990年に「Back
to MONO」という4枚組のコンピレーション・アルバムを発売した。中身は1960年代の代表盤のモノラル・バージョンのリイシューで、従来はステレオ盤こそが正規盤であり、モノラル盤はステレオ装置を買えない貧民のためのものと言われてきたところ、ウォール・オブ・サウンドはモノラル録音こそ正規なのだと宣言したのだ。それは録音現場の写真でも明らかなように、精緻なミキシング作業ではなく、狭いスタジオ空間の縮退現象(音の反響が逆相になり音圧が低下する現象)を利用したアコースティックな躍動感の演出であった。ポップスをシンフォニックに響かせたいという思いは、ホール全体を揺るがすような一体感をどのように録音に納めようかということの実験ともいえ、その湧き上がるようなリズム感に多くの録音エンジニアが追従したのだ。その過度期を生きた人々が、モノラル時代を懐かしむように話し出したのは21世紀に入ってからのことである。

ウォール・オブ・サウンドのセッション:バンドはすし詰め状態、ボーカルは別録り(衝立なし)
モータウンでシュプリームスなどの録音を担当したボブ・オルーソンの証言によると、当時はアメリカ人の90%がモノラルで音楽を聴いていたと豪語するだけあって、モノラルミックスを先行して収録していたので、録音現場ではモノラルミックスしかしていなかったという。ところがある日、社長が現場に来てステレオで収録していないのをみて、ステレオで収録するように要求したところ、オルーソンがもたもたしているので、あやうくクビになりかけたという。オルーソンの言うところのステレオとは、録音後のテープを取り出し「あの楽器を左、この楽器を右に分けるだけ」というものだった。カルフォルニアのドアーズ担当のエンジニア、ブルース・ボトニックは、録音仕立てのテープを自らアセテート盤にカッティングして、知り合いのDJにそれとなくAM放送(もちろんモノラル)で掛けてもらい、深夜のカーラジオでコロムビアやビクターなどの大手のスタジオの録音と混ぜこぜで聞き流して、リスナーの反応を聴くのが楽しみだったという。これらの証言は、モノラル時代の自由な雰囲気に彩られており、そうしたプロモーション活動の連携先が、AMラジオだったりジュークボックスだったりしたのだ。

大物ミュージシャンがリスペクトしてやまない電蓄のゴッドファーザー
そうしたモノラルとステレオが混在する音源に囲まれて暮らす場合に、ほとんどの人はステレオ装置のほうが高音質なので、モノラルもステレオ装置で聴くことになる。ところがステレオ装置というのはモノラル録音をひどい音で再生するようにできている。逆にステレオ録音はモノラル録音への下位互換をもった規格なので、やりようによってはモノラル装置でも違和感なく聴ける。結論から言うと、モノラル録音もステレオ録音も、基本的には全てモノラル装置で聴くべきなのだ。問題はそのモノラル装置の組み方であるが、実用的な問題は次章に述べる。
有名ではないが歴史的なドキュメント
ここに集めたのは上記のマニア本には載ってないが、超一級の歴史的ドキュメントである。私とてマニアの端くれとして、こんなCDを持ってんだぜ!的なことを言って見せようと思ったのだが、飽きずに聴くことは本当に大切だと今は感じている。どれもリアルタイムで流れた音源でありながら、長く忘れられたラジオ番組なども含めた。
 |
グレン・ミラー楽団&アンドリュース・シスターズ:チェスターフィールド・ブロードキャスト(1939~40)
戦中に慰問団を組んでノルマンデー上陸作戦のときには、勝利の旗印としてラジオからグレン・ミラー楽団が音楽を流したと言われるが、それはジャズがナチス・ドイツから有色人種による退廃音楽として排除されていたからでもある。白人のジャズ・バンドというのは、二重の意味で血統主義を否定するプロパガンダとなった。
カラーフィルムで撮られた映画「グレンミラー物語」があるために、ベニー・グッドマンやサッチモのように戦後も長い芸歴のように思いがちだが、これは1942年に楽団を解散する前のライブ音源である。タバコ会社のチェスターフィールドが提供した無料コンサートで、当時はラジオで放送されるコンサートでは観客からお金を取ってはならないという法律があり、これは抽選で入場券の当たった人が観衆となっているが、スウィングジャズの盛況ぶりも伝える記録となっている。
元がアセテート盤の復刻なので、ザラッとした感じがデジタルとの相性が悪いように感じるだろうが、そこをしっかり鳴らせるバランスを見つけるまで辛抱してほしい音源である。 |
 |
ジャンゴ・イン。ローマ1949-50
第二次世界大戦中、ロマ系でジャズ奏者だったためナチス政権に追われて、ヨーロッパ中を流浪しながら潜伏していたジャンゴ・ラインハルトだが、このセッションは戦後にローマで旧友のステファン・グラッペリと再開した折に、アセテート盤で収録したプライベート録音である。その後RCAから抜粋盤「ジャンゴロジー」が出たが、このCD4枚組はその全セッションを収録したものである。初期のアコースティック楽器を使ったSP盤も良かったが、エレアコに切り替えた後のジャンゴの演奏も弘法筆を選ばずの諺どおり、その後のジャズギターの最高のマスターピースになっている。実はテープレコーダーをいち早く手にしたビング・クロスビーは何とかレコーディングしようと、賞金を掛けてジャンゴの行方を探したのだがとうとう見つからず、代わりにこの録音の存在が後に公表されるようになった。 |
 |
ウッディ・ガスリー/パフォーマンス1949
戦前からのフォークソングの旗手だったウッディ・ガスリーが、ニュージャージーで公演したライブ録音。当時、まだ試作品に近かったウェブスター社のワイヤーレコーダーで録音されたものだが、特殊なソフトウェアを使って修復したというもの。ともかく歌が始まる前のしゃべりが長く、それだけでもライナーノーツが書けそうな感じだが、観客とのコミュニケーションを大切にしていた様子が判る。同様な録音に米国議会図書館からAlan
Lomax氏に委託されたインタビュー音源があるが、実はライブでのMCも同じだったというのが最大のオチである。この後のガスリーは赤狩りの嫌疑と共に難病に侵されて病院から出られなくなるなどで、生きながらにほぼ伝説化していた。この公演は、ニューディール政策を歌で支援していた時代からの旧知のコミュニティでのもので、子供から大人まで参加したアットホームな雰囲気に包まれている。 |
 |
スウィンギング・ウィズ・ビング!(1944-54年)
ラジオ・ディズの看板番組ビング・クロスビー・ショウの名場面を散りばめたオムニバス3枚組。1/3はアセテート盤、2/3はテープ収録であるが、レンジ感を合わせるために高域はカットしてある。このCDは多彩なゲストと歌芸を競い合うようにまとめられているのが特徴で、アンドリュース・シスターズ、ナット・キング・コール、サッチモ、エラ・フィッツジェラルドなど、肌の色に関わらずフランクに接するクロスビーのパーソネルも板に付いており、文字通り「音楽に人種も国境もなし」という言葉通りのハートフルな番組進行が聴かれる。まだ歌手としては売り出してまもないナット・キング・コールにいち早く目を付けて呼んでみたり(ナット自身は遠慮している様子が判る)、壮年期はやや力で押し切る傾向のあったサッチモのおどけたキャラクターを最大限に引き出した収録もある。この手の歌手が、何でも「オレさまの歌」という仰々しい態度を取り勝ちなところを、全米視聴率No.1番組でさえ、謙虚に新しい才能を発掘する態度は全く敬服する。利益主導型でプロモートするショウビズの世界を、彼なりの柔らかな身のこなしで泳ぎまわった勇姿の記録でもある。 |
 |
日曜娯楽版大全(1951~54)
今までの戦後ラジオ史は1952年からスタートしたラジオドラマ「君の名は」からで、女湯から客がいなくなる珍現象を取り上げるに留まっていた。まだGHQが目を光らせている時代のこと、一億総懺悔の真っ只中で、公共の電波を使ってラジオで喜劇、お笑いなど・・・実はあるんです。1949~54年の三木鶏郎の「日曜娯楽版」「ユーモア劇場」は、天下の国民放送NHKラジオで視聴率70~90%をさらったというのだから驚きである。音楽責任者だった三木鶏郎が、自ら大金をはたいて購入したソニーのG型テープレコーダーで、番組の音楽を記録したもの。ところどころテープが伸びて聞き辛いものも散在するが、当時の番組の雰囲気を再現できているといえよう。背景に流れる重厚なブラス・セッションとは裏腹に、それをあえて笑い飛ばすような冗談の数々。後半戦は、安保、水爆、賄賂といった政治ネタを披露するが、やってるほうも結構命がけである。 |
 |
アラン・フリードのロックンロール・バーティ(1950年代)
ロックンロールの名付け親、名物DJのアラン・フリードが催したコンサートの様子を収録したもの。オムニバス形式で、有名無名のバンドが次々紹介される。既に名声を得ている人もいるわけだが、フリードの頼みとあって1曲だけの演奏でもキッチリ歌ってくれる。しかし、若者の歓声の凄さは半端ではなく、当時のダンス狂の片鱗を伺わせるに十分である。 |
 |
美空ひばり 青春アワー(1958)
美空ひばりがTBSラジオで持ってた「美空ひばりアワー」という番組で、芸能生活10周年という節目の年の記録でもある。リスナーのお便りコーナーでは、女学生が映画館への立ち入りを校則で禁止されてるなど、生活感のあるラジオらしい話題もあって面白い。あと、当時のSP盤を放送する際の音質も、トークとの違いで気になる点でもある。歌舞伎座での歌謡ショーの実況では、裏声、こぶしと入れ替わる七色の声は、ライブでも健在である。録音の帯域は狭いが、良質なモノラル音声に特有の中域に十分な倍音を含んでおり、これが抽出できるかが、この手の録音と長く付き合う試金石である。 |
 |
ジョン・ケージ:25周年記念公演(1958)
ジョン・ケージ45歳のときにニューヨークの公会堂で開かれた、作曲活動25周年記念コンサートのライブ録音。友人で画家のジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグらが企画したという、筋金入りのケージ作品だけのコンサートだった。さすがに4'33"は収録されいないが、ファースト・コンストラクションIII(メタル)、プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュードなど、楽器構成に隔たりなく前期の作品がバランスよく配置されたプログラムである。公会堂でのコンサートは夜8:40から開始されたにも関わらず、聴衆のものすごい熱気に包まれた様相が伝わり、当時の前衛芸術に対するアグレッシブな一面が伺えて興味深い。 |
 |
ニューポート・フォーク・フェステlバル(1959)
長い歴史をもつフォーク・フェスの第1回目の記録。呼びかけ人には、アメリカ中の民族音楽をフィールド録音で蒐集したAlan Lomax氏が含まれており、フォークブームが起こった後の商業的なものではなく、むしろ広義のフォーク(=民族)音楽の演奏家が招待されている。屋外会場ということもあり録音品質は報道用のインタビューで用いられるものと同じもので、フォークは言葉の芸術という感覚が強く、特に楽器にマイクが充てられているわけではないのでやや不満が残るかもしれないが、狭い帯域ながら肉厚で落ち付いた音質である。 |
 |
ゲイリー・デイヴィス牧師/ガーズ・フォークシティ 1962
盲目のゴスペル・フォークの名手であったゲイリー・デイヴィスのライブを、弟子のステファン・グロスマンがプライベート録音したテープをリリースしたもの。こういうお宝が突如21世紀に出てくる背景には、当時のミュージシャンはレコード会社と契約する際に、契約期間中に演奏したものは他のレコード会社からリリースしない専属契約を強いられたため、著作権の失効する時期までお蔵行きにせざるを得ない事情があった。
1960年代はこうしたプライベート録音が多くあり、コアなファンには喜ばれる一方で、一般の人には評価が追い付かず情報が錯そうしている感がある。例えば、ガーズ・フォークシティが前年にボブ・ディランがデビューした由緒正しいミュージック・ホールだ、なんて触れ込みはほとんど不要である。なぜならば、ゲイリー・デイヴィスのほうがフォークソングの何たるかを身をもって体現していて、まるで大地にしっかり根を下ろした大樹のように会場を包み込んでいるからだ。観衆も他のライブのように演奏中に歓声を上げるなんて無粋なことをせずに、互いに申し合わせたようにじっと聞き入っている。その偉大さは後のディランがベースメント・テープで残像を追っていることからも明らかである。 |
 |
ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962~65)
ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。 |
 |
Suturday Night at the UPTOWN(1964)
アトランティック在籍のソウルスター8組が一堂に会したレビューショウの一幕で、フィラデルフィアのアップタウン劇場に金曜の昼だけティーンズ限定で50セントで聴けたというもの。プログラムも雑だし音も悪いのだが、このときの観衆がコーラス隊となってバンドと一緒になって気持ちよく歌っているのが何とも微笑ましいライブとなっている。良く知られるドリフターズなどは、スタジオ・セッションでは楽譜通り、そこから聴き手によって広がる世界が別にあることが判る。パッテイ&エンブレムズなどは、最初のドリフターズの反応をみて、出だしのワンコーラスまるまま観衆に預けてしまう余裕ぶり。こうしたコール&レスポンスは黒人教会のゴスペル歌唱でも同じようにやっているもので、日常的な情景であることも伺える。 |
 |
ローリング・ストーンズ/got LIVE if you want it!(1966)
ビートルズがライブ活動停止宣言をしたら、遅かれ早かれ解散するだろうと噂になり、様々な海賊盤が出回ったらしい。これはその余波ともいうべきもので、実際のロックのライブはこんなもんだぜっ!という感じのものを造り上げてしまったという迷盤。スタジオ録音にグルーピーの歓声をオーバーダブしたり、あの手この手で盛り上げてやった結果、日本において真のロックとはこれだっ!というような過剰な反応があり、ザ・タイガースのデビューアルバムにまで影響が及んだ。ちょうどサティスファクションがアメリカでヒットした後の凱旋講演に当たるが、当のストーンズのメンバーは自分たちの伺い知れないところで編集された当盤を公式には認めておらず、レコード会社の意向で造られた正式の海賊盤ということができるかもしれない。 |
 |
ボブ・ディラン/ロイヤルアルバート・ホール・ライブ(1966)
フォークの歌詞をロックにしてやろうというジャンルを切り拓こうとしていたディランが、ロックの聖地イギリスに乗り込んで真偽を問うという公演の記録。海賊盤として長らく出回っていたが、マスターテープの修復と共に30年余りの月日を経てようやく正式リリースとなった。アメリカでフォーク団体の総スカンを喰らったエレクトリック化の問題は、ここでもまだ燃え上がっており、前半のアコースティック・セットの静寂とは打って変わって、後半のエレクトリック・セットでは、幕間で観衆から「ユダ!(裏切者)」と罵声を浴びたり、手拍子を延々と続けて演奏を妨害されたりと、まさに戦闘状態。バックバンドを務めたザ・バンドのメンバーもこの時期の嫌がらせや批判にショックを受けて、ディランの事故休養中に音楽活動をやめる人もいたというので、それなりの心の傷も負っていたと聞く。時代が求めたヒーローの意味と、背負うべきものとの乖離が、荒々しいロックとして鳴り響いているように感じる。 |
 |
ピーター、ポール&マリー・ライヴ・イン・ジャパン 1967
来日した海外ミュージシャンでは、ビートルズがダントツの人気だろうが、このフォークグループの日本公演のほうがダントツに面白い。というのも、この公演全体がアメリカという国に抱く日本国民のカオスぶりを総括しているかのように思えるからだ。ひとつは、演奏中の観衆の驚くほどの行儀良さで、それでいてギター1本の弾き語りだけで思う存分歌うことのできる環境が整っていることである。それが素直に3本のマイクで脚色なく収められている。同グループのアメリカ公演の騒々しさに比べると、そのアットホームぶりに驚くのである。そして極めつけは、日本語でのMCを務めた中村哲の渋い声で、ギター前奏で語るポエムがすでにカオス状態に入っている。そしてポール氏の声帯模写に入るとバラエティー満載。オマケは舞台写真でのマリー嬢の毛糸のワンピース。どれもが別々のアイディアから生まれた断片であるが、アメリカンなひとつの現象として観衆が受け容れている。礼儀正しく知性のある国民性、という外面だけを見つめるには、このカオス状態を理解するには程遠い。自然であること、自由であること、何かを脱ぎ捨てる瞬間が、アメリカンなひと時として詰まっているのだ。 |
 |
サイモン&ガーファンクル/ライヴ・フロム・ニューヨークシティ1967
ちょうど映画「サウンド・オブ・サイレンス」がヒットした頃のニューヨーク・フィルハーニック・ホールでのライブで、ポール・サイモンのアコギ1本だけでのフォーク・デュオをじっくり堪能できる。当時はもっと大勢のオーディエンスを抱えた屋外ライブ風のアルバムが発売されたが、35年の封印を解いたこのライブ盤のほうが、自然な音楽の流れで心温まるステージに仕上がっている。 |
 |
ボブ・ディラン/ベースメント・テープス完全版(1967-68)
フォーク音楽をエレクトリック・バンド化する方向転換により、フォークの貴公子から反逆者へと一転したディランだが、1966年夏のオートバイ事故以降、表舞台から姿を消していた隠遁先の小屋にザ・バンドの面々を集めて楽曲の構想を練っていた、というもの。録音機材のほうは、アンペックスの携帯型602テープレコーダーで、フォーク音楽の蒐集にご熱心だったアルバート・グロスマンがピーター・ポール&マリーのツアー用PA機材から借りた。ディラン自身は、自分の詩と楽曲に対する独自性をデビュー当初から認識していて、著作権登録用の宅録を欠かさない人でもあったから、そうした作家業としての営みが専任となった時期にあたる。もしかすると自らをパフォーマーとしての活動は停止し、作家として余生を過ごそうとしていたのかもしれない。しかし、このスケッチブックの断片は、楽曲のアウトラインを知らせるためのテスト盤がブートレグ盤として大量に出回り、それを先を競ってレコーディングした多くのミュージシャンたちと共に、ウッドストックという片田舎をロックと自由を信託する人々の巡礼地と化した。今どきだとYouTubeで音楽配信するようなことを、非常に厳しく情報統制されていた半世紀前にやってのけたという自負と、これから生きるミュージシャンへのぶっきらぼうな彼なりの伝言のように思える。
|
 |
Cream BBC Sessions(1966~68年)
新しいハードロックというジャンルの誕生秘話である。長尺のフリー・インプロビゼーションを収録したライブ録音で名を馳せたが、こちらのBBCでのセッション録音は短尺ながら、まだアイディア段階の未発表曲も含む、実験的な要素が多いもので、ギター、ベース、ドラムの3人がガッチリ組んで繰り出すサウンドは、エフェクターを噛ませずに乾いた生音をそのまま収録している。このため、普通のステレオで聴くと、収録毎の音質の違いなどが気になり、なかなか音楽に集中できない。正規録音のあるなかで、長らくお蔵入りしていた理由もうなずける。ともかく一発勝負の収録だったことの緊張感が先行しながらも、サウンドを手探りで紡ぎ上げていく感覚はBBCセッション独特のものだ。今の時代にこうした冒険的なセッション収録は許されないことを考え合わせると、オーディオも含めて音楽業界がビジネスにがっちり組み込まれたことの反省も感じる。 |
 |
フィルモア・イーストの奇蹟/アル・クーパー&マイク・ブルームフィールド(1968)
ロックのライブ録音というと、ややアクシデント的な話題が先行して、なかなか演奏の中身まで行き着かない。それも一期一会のステージパフォーマンスとなれば、なおの事である。この録音は、そうした奇遇が重なって成り立っている1960年代終盤の記録である。
ブルース・ギターの名手マイク・ブルームフィールドとキーボディストのアル・クーパーは、ボブ・ディランのハイウェイ61で共演して以来の仲良しで、結局ディランがザ・バンドに切り替えた後に、「スーパー・セッション」と題したインスト中心の即興演奏ステージを展開していた。基本的にブルース・ロックの古典ともいえるような構成なので、オリジナル曲を掲げたクリームや派出なパフォーマンスのジミヘンのような脚光は浴びなかったし、同じメンツでも当時としては西部での公演がリリースされたので、こちらは2009年になって発売された発掘音源である。
この録音で何をチェックしているかというと、冒頭のアル・クーパーのMC部分で、胸声が被らずにクリアにしゃべれているか、それでいてインスト部分がスカキンにならず、ブルースのこってりしたタメが出きっているか、など色々とある。 |
 |
ジェームズ・ブラウン/SAY IT LIVE & LOUD(1968)
録音されて半世紀後になってリリースされたダラスでのライブで、まだケネディ大統領とキング牧師の暗殺の記憶も生々しいなかで、観衆に「黒いのを誇れ」と叫ばせるのは凄い力だと思う。ともかく1960年代で最大のエンターテイナーと言われたのがジェームズ・ブラウン当人である。そのステージの凄さは全く敬服するほかない。単なるボーカリストというよりは、バンドを盛り上げる仕切り方ひとつからして恐ろしい統率力で、あまりに厳しかったので賃金面での不満を切っ掛けにメンバーがストライキをおこし、逆ギレしたJBが全員クビにして振り出しに戻したという伝説のバンドでもある。長らくリリースされなかった理由は、おそらくこの時期のパフォーマンスが頂点だったということを、周囲からアレコレ詮索されたくなかったからかもしれない。ステージ中頃でのダブル・ドラムとベースのファンキーな殴打はまさしくベストパフォーマンスに数えられるだろう。 |
 |
キング・クリムゾン~エピタフ(墓碑銘)~(1969)
1969年に「21世紀の精神異常者」で衝撃的なデビューを飾る直前に、BBCのトップギアに出演したときの音源から、解散前にアメリカで行ったライブ収録まで、一気に駆け抜けた第一期のクリムゾン。ファンがラジオでエアチェックしたものや、ステージ・スピーチなどに隠し撮り音源を含むなど、これまでの「非公式盤」と手を取り合って、1997年になって切り貼りで構成したドキュメントである。ともかくアルバム1枚を製作したのみで空中分解したプログレらしい潔さは、むしろこうしたドキュメントによって彼らの葛藤の中身が真実味を帯びてくる。同じフィルモア東西会場では、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドのスーパー・セッションが繰り広げられており、クリムゾンは創意工夫の枠を超えた演奏技術を求められていた。彼らはアメリカに渡って初めて、自分たちの先進性のみがコンサートで認められる手応えを感じたのかもしれない。この後のクリムゾンは名実共に、超絶セッション・バンドにカミングアウトしていくのであるが、そうした大気圏突入前の緊迫した面持ちが演奏に現れている。 |
 |
ザ・ドアーズ/アクエリアス・シアター・ライブ(1969)
魔物に憑りつかれたようなジム・モリソンの即興的なボーカルと、それを盛り立てようとするバンド(ギターヒーロー不在)との格闘の記録で、ボツになったブートレグ音源が21世紀に入って次々と正規にリマスターされることで、当時の熱気あるパフォーマンスが露になった。ところがこのアクエリアスのステージはレコーディング用に組まれたこともあって、これまでハプニング続きだったステージに比べブレーキの掛かった大人しいものだったらしく、観ていたストーンズの面々はあざとい演出臭さを嫌ってシラけていたという。そもそもストーンズはシカゴ・ブルースをお手本にしていたし、ドアーズの呪術的なアプローチには不信感しかなかっただろう。ちなみにアルバムにふんだんに使われている写真は音源よりも少しばかり若い頃のもので、実際のライブでのモリソンは太った長髪でモッサリ髭を蓄えた風貌だった。そういう時代が交錯しているカオスを嗅ぎ取れれば幸運だ。 |
 |
コンプリート・マトリックス・テープス/ヴェルヴェット・アンダーグランド(1969)
ニューヨークでウォーホル・ファミリーとしてスタートした「バナナ・ジャケ」の若者も、旅芸人よろしく西部への当てのないツアーを組んだ。1969年のシスコの場末のライブは、一番聴衆が少なく最も充実していた時期を記録している。綿密に作曲されたミニマル音楽のように、徐々にコードとリズムをずらしながら30分余を進行していく「シスターレイ」などは、モーリン・タッカーの繊細なドラムと相まって、前衛的で幻覚的な効果をもたらす。この頃から流行の兆しのあった特別なギターテクを誇示するわけでもなく、カリスマ的なボーカルがいたわけでもないが、他では真似のできない特別なものになっている。後世にオルタナ系の神とまで謳われたスタイルは、むしろ解散直前のダグ・ユールがドラムを務めた時期のように思うほどだ。こうしたパフォーマンスを実演で何回できたのか判らないが、ヘロインという題名の楽曲を忌み嫌われてメディアから締め出されていたなかで、何もかも自由にやれることの永遠に長い時の流れを感じる。 |
 |
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド/Live at MAX's(1970)
ウォーホル・ファミリーとしてデビューした後、流れ流れてカンザスで開いた最後のパーティの様子。録音したのは、ウォーホル・ガールズの一人であるブリジッド・ベルリン女史で、ソニー製のカセットレコーダーで録ったというもので、この種のブートレグでは中の上という音質。当時のカセットレコーダーは、ポラロイドのインスタントカメラと同じく若者の三種の神器だったらしい。しかしこれが解散ライブとなったため、このカセットはとても貴重なものとなった。録音品質の枯れ具合がまたよく、場末のライブハウスという感じを上手く出しているし、なんだか1960年代そのものとのお別れパーティーみたいな甘酸っぱい切なさが流れていく。 |
 |
ぶっつぶせ! ! 1971北区公会堂Live/村八分(1971)
恐るべきロックバンドである。今だとガレージパンクっぽい雰囲気と理解されるだろうが、この1971年には凡そそういうジャンルそのものがなかった時代を駆け抜けたバンドの壮絶な記録。本人たちはストーンズの進化形と思っていたかもしれないが、いきなり充実したロックンロール・サウンドを叩きだすポテンシャルは、全く凄いの一言につきる。海の向こう側ではギタープレイヤー専制主義のブルース・ロックが全盛期だったから、ちょっと見逃してしまったという感じである。あえていえばヴェルヴェットのそれと近いが、あっちがアート指向なのに対し、こっちは徹底した破壊主義。同時代の映画「薔薇の葬列」や「新宿泥棒日記」などと並べても、全く色あせないカウンターカルチャーの色彩を放っている。そういう意味でも、後に定式化されたパンクやヘヴィメタに近いのである。録音は典型的なブートレグだが、聞きやすい音質である。 |
 |
デビッド・ボウイ BBCセッションズ(1968~72)
デビッド・ボウイの第一期の最後を飾るジギー・スターダストのプロジェクトに至る軌跡をドキュメンタリー的に捉えた放送ライブの断片。この頃のBBCは、レコードを放送で流せない法律を逆手にとって、有能な若手にまだ未発表の楽曲をテスト的に演奏させるという奇策を演じていた。その数多ある若いミュージシャンのなかにボウイがいたわけだが、アレンジもほとんど練られていないままのスケッチの段階で、若者がギター片手に語りだしたのは、宇宙から降り立った仮想のロックスター、ジギー・スターダストのおぼろげなイメージである。それが段々と実体化して、やがて自分自身が夢のなかに取り込まれて行く状況が、時系列で示されて行く。当時のラジオがもっていた報道性をフルに動員した第一級のエンターテインメントである。 |
 |
ジュディ・シル/BBC Recordings(1972~73)
異形のゴスペルシンガー、ジュディ・シルの弾き語りスタジオライブ。イギリスに移住した時期のもので、時折ダジャレを噛ますのだが聞きに来た観衆の反応がイマイチで、それだけに歌に込めた感情移入が半端でない。正規アルバムがオケをバックに厚化粧な造りなのに対し、こちらはシンプルな弾き語りで、むしろシルの繊細な声使いがクローズアップされ、完成された世界を感じさせる。当時のイギリスは、ハード・ロック、サイケ、プログレなど新しい楽曲が次々に出たが、そういうものに疲れた人々を癒す方向も模索されていた。21世紀に入って、その良さが再認識されたと言っていいだろう。 |
 |
タンジェリン・ドリーム/ブートレグ・ボックス2(1976~83)
当時はプログレの一翼と考えられたように、電子音楽で言われがちなプログラム・ミュージックというよりは、アナログシンセの可能性を実験的に探求するライブパフォーマンスが際立っていた。実際に世界各地で行ったライブ録音を聴くと、商業アルバムと連動したコンサートと、即興演奏を30分区切りで行うパフォーマンスとを切り分けていたようである。共通するのは、マッシヴに積み上げられたアナログシンセのタワーに向かって黙々と演奏する姿で、そこから出てくる音楽の雄大さとの乖離が大きく、電子楽器という仮想サウンドを創造するという行為の魔術的な側面を強調する。ここでの1976~83年のパフォーマンスは「ストラトスフィア(浪漫)」以降の若干ポップス寄りのアレンジをしていた時期で、サスペンス・SF・ホラーなど映画のサントラなども多く手掛けていたこともあり、どこかで聴いたことがあるという断片的な記憶が流れていく。 |
 |
ケイト・ブッシュ/ツアー・オブ・ライフ1979
デビューして2年経った後にイングランドをぐるりと回ったツアーのうち、マンチェスターでのテレビ収録音声をCDにしたもので、この年代では珍しく音声はモノラルである。アルバムではあれだけ凝ったミキシングを自らこなす才人だけあって、ライブではどうかと思うだろう。例えばオーバーダブを積み重ねるクイーンはライブ収録を嫌っていたが、どうもこのアルバムもケイト姫のご機嫌を損ねたらしい。しかし、心配はご無用。最初は不安な部分があるものの、ちゃんとケイト・ブッシュ・ワールトが全開でございます。 |
 |
エリック・クラプトン/Unplugged(1992)
かなり時代は飛ぶが、MTVでのビデオ収録音源ということで放送規格の範疇に入れた。デジタル録音がようやく完成形に近づいた時期に、同時にシーケンサーによる打ち込み&コピーでの音楽製作も可能になり、そうした流行に抗うかたちで挑戦したシリーズ物のひとつで、クラプトンの溺愛するブルースを静々と歌い上げている。とはいえMTVのスタジオライブという仮想現実的なかたちでの提供となり、使用マイクもシュアー58、AKG
C1000Sとアマチュアでも購入できるもので済ますなど、むしろ現在のYoutubeに近い方法で挑んだパフォーマンスだったことが判る。もちろん音質はテレビと同じで、カメラワークに合わせて的を絞ってクローズした音像で、それほどレンジを広げずに少し薄っぺらい音に仕上がっているが、自分のオーディオ装置がテレビ以下なんてことを暴露するようなことにならないことを祈る。 |

【ブートレグ盤を中心にしたオーディオ・システムの探求】
やっとこのページの本題に入ろう。
大半のライブ録音で問題なのは、どの録音も音が悪い、もしくは、良好に再生するオーディオ機器がない、という現実に直面している。ライブ録音の音が悪いと感じるのは、単純にはHi-Fi録音の基準を満たさない、もしくはステレオ装置との相性が悪いということに尽きる。これは昔からそうで、FMチューナーで聴くAM放送の音は、雑音や混信を嫌ってひどいフィルターが掛けられていて、おそらく4kHz辺りからスッパリとカットされ、AM放送の公称値8kHzを大きく割り込んでおり、ともかく音が悪かった。そのうえ、普通のステレオスピーカーは、重低音再生に気を取られて、動きが鈍重なうえ中域がマットでドンヨリしている。いわゆる胸声が強くこもった音になるのだ。
逆にラジカセのような家電製品のほうが、AM放送の音声が明瞭というジレンマがあった。私などはFEN東京のウルフマンジャックやAmerican TOP40を聴くときはラジカセで聴いていたぐらいだ。実は古いライブ録音も同様な傾向があり、PA装置もラジオ放送も過剰な重低音や超高域は設備機器の破損を招く事故に繋がるため、100~8,000Hzという帯域に留まっている。この帯域内で、重低音や超高域の助けを借りずにアキュレートに再生する技術が、かつてのオーディオ技術のコア部分であったのだ。
私はいつも思うのだが、大半の人はラジカセからステレオに移行する際、間違ったハイファイ理論を吹き込まれ、ラジカセから正しくグレードアップすることに失敗して迷走していると思える。それは1950年代から21世紀の現在まで、同じコンデンサーマイクとテープ録音機でも、録音年代によって相性がでてしまうという不可思議な現象からみてとれる。つまり新しいオーディオ製品にある種の癖を持たせることで、以前とは違うモノであると信じ込ませているのだ。逆にモノラル&ローファイではそういう錯綜は起こらない。ここではブートレグ盤を再生するためのオーディオの正しい進化系統について説明しよう。

まずはラジオである。
オーディオ批評家が家電の音響設計をちゃんと評価したものとして、1967年に長岡鉄男が音楽の友誌に「原音再生」というコラムを紹介しよう。いわく、どうせ中途半端なステレオを買うくらいなら、テレビの音のほうがいいという趣旨を述べている。
 |
ローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。 |
加えて、テレビの音声が音をあまりいじくることなく素直だとコメントし、長径18~25cmのテレビ用楕円スピーカーのうちできるだけ能率の高いものを1m四方の平面バッフルに取り付け、5極管シングルでジャリジャリ鳴らすのが良いのだとした。ラジオ用、テレビ用のスピーカーで能率の高いものは、一般にストンと低域が落ちていて、中音域のダンピングがよく、特に音の立ち上がりは、20~30cmのハイファイ・スピーカーをしのぐものがあるとも記している。
以下は1970年代にFMラジのエアチェックが可能になったラジカセの音響特性だが、フラットなのは100~6,000Hzで、主にAM放送の音声を担当、それより上の高域はデュアルコーンにしたり、メタルのセンターキャップを張ったり、ツイーターを追加したりで補っている。これでもAM放送とFM放送の音質の差が分かるのだから、コアとなるボーカル域の重要さが分かるだろう。

1970年代の日本のFMラジカセの周波数特性(基本はAMラジオ音声)
そもそもHi-Fi(High Fidelity=高忠実度)という言葉は、戦前の1930年代から存在していて、ラジオの実況放送が最先端を行っていた。当時のHi-FiラジオはAM放送ながら、既にスーパーヘテロダイン回路を搭載し、32kHz帯域のフィルター(音声16kHzまで)、2way~3wayのスピーカーを実装しており、SP盤にはスクラッチノイズを軽減するノッチフィルターが装備されていた。戦後のHi-FiラジオはドイツのFMラジオが牽引したが、AM放送とのコンパチであったため、AM放送の帯域(100~6,000Hz)に合わせたエクステンデッドレンジ・スピーカーに対し、FM放送の帯域(~15kHz)に合わせてツイーターを追加する方法が取られたが、これは1970年代の日本製ラジカセにも引き継がれた由緒ある設計である。つまりボーカル域で周波数を分解することなく、1本のエクステンデッドレンジで完結できるように設計されていたのだ。独イゾフォンのカタログをみても、携帯ラジオ用の5cmから本格的PA用の30cmまで幅広く製造されていた。
  
  
ステレオ以前のモノラル音響機器には豊富な選択肢があったのだが…今は全く見かけない
次にコンサートPAのHi-Fi化の歴史をおさらいしてみよう。
PA機器にHi-Fiを持ち込んだのは、トーキーシステムが最初で、Hi-Fiラジオと並行して行われたが、こちらは200~5,000Hzの旧式の大型ホーン(WE方式)、もしくは30cm径のダイナミックスピーカー(RCA方式)の両端を補完するかたちで進展した。これに割り込んできたのがJBLことランシング氏で、低域のシャーラー・ホーンと高域のマルチセルホーンでの広帯域再生に成功し、MGM社のトーキーシステムのコンペで栄冠を勝ち取った。事業的には上手くいかなかったランシング氏を買収したのがアルテック社で、VOTT(ヴォイス・オブ。ザ・シアター)の商標を冠して戦後のトーキーシステムを牽引した。このとき羽振りの良い映画業界の収録のために、録音スタジオのプレイバックシステム(これもアルテック社の商標)として開発したのが、604同軸フルレンジとA7システムだ。多くの人はA7を映画館用としているが、実際にはアイコニック・システムと同様にスタジオでのプレイバックモニターとして多く使われた。このときの音楽用のクロスオーバー1.2kHzが、その後のHi-Fiスピーカーの標準的な仕様となっているが、これは大出力を前提にしたウーハーのエッジの共振を避けるために設けられた閾値であり、一般の家庭用はJBL D130にみられるように5kHz前後まで伸ばすように設計されていた。
 
生演奏と同じ音圧で再生するためのアルテックのVOTTプレイバック・システム
ポップスのコンサート会場でHi-Fiを最初に持ち込んだのは、グレースフル・デッドのウォール・オブ・サウンド・システムで、JBLのスピーカーを積み上げた4way構成の巨大PAシステムをもって、屋外でのキャラバン公演を行った。それまではギターアンプに見られるようにエクステンデッドレンジ・スピーカーだけでまかなっていた。しかしマルチウェイ化されたPA機器でも、要となるボーカル域はD130が不可欠で、100~6,000Hzでのレスポンスの素早さは他のユニットでは代えがたいものであった。このJBL
D130はエクステンデッドレンジと呼ばれるユニットであり、これは口径や耐入力は違えど、ラジカセにも使われていたものである。つまり、PA機器とラジオに共通して言えるのは、狭い帯域での音声に対してもアキュレートに再生できる、エクステンデッドレンジ・スピーカーの存在である。

グレイスフルデッドのWall of Soundシステム(銀色のセンターキャップがD130、1970年代)

1950年代を彩る歴代エクステンデッドレンジ・スピーカー
1960年代前半まで、ライブ・ステージのPA装置には、ギターアンプと同様の30cmエクステンデッドレンジ・スピーカーが使われたが、これは1940年代のスウィングジャズの時代から続いていたものである。1940年代のPAスピーカーの要求性能は、ジャズ・オーケストラのホーンやドラムの生音に混ざって、ボーカルやギターを拡声することにあり、なによりも生楽器に負けない出音の俊敏さが命であった。PAスピーカーのギターアンプ専用への移行は、シカゴ・ブルースからロックへと進んだのだが、これは現在でも同じであり、ジャズギターのクリーントーンからヘビメタのハードディストーションまで、幅広い音色をもっているが、動員観客数の増加に従ってW数を増やしていった歴史でもあった。一方では、AMラジオ、コンサートPAは、横並びの音声規格として1960年代まで続いたのである。
 

初期のPAはジャズオーケストラに混ざってボーカルやギターの拡声に使用された(1940年代)
 
ストリートからコンサートホールまで、1960年代までのライブのPAはギターアンプのみが主流
次にエクステンデッドレンジ・スピーカーを使った高級オーディオについて述べよう。
1950年代の高級オーディオ機器のなかには、エクステンデッドレンジを中心に据えた製品も少なくない。デッカ社のデコラ・ステレオ、テレフンケンのO85aモニターシステム、Rock-ola社のジュークボックスなどで、いずれもステレオ初期の1960年代初頭まで存在していた。これらにはコーンツイーターが使われたが、それはラジオや電蓄に使われたものと同じであった。違うのはエクステンデッドレンジの口径で、概ね30cmのPA用が選ばれ、アンプも5極管のプッシュプル(EL34、6L6など)が当てがわれた。

テレフンケン O85aモニタースピーカー(1959?)、Isophonのスピーカーユニットの周波数特性
 
デッカ Decolaステレオ蓄音機とスピーカー部分(1959)、EMI DLSシステムのスピーカー特性
アメリカではHi-Fiレコードの発売後の高級電蓄はあまり多くなく思うかもしれないが、それはジュークボックスがいたるところで聴けたからである。1950~60年代のアメリカ製ジュークボックスには、Jensen社のエクステンデッドレンジが使用され、現在ではエレキギターのアンプ用スピーカーとして生き残っているが、実際には汎用のPAスピーカーとして開発されたものだ。エレキギターのハード・ディストーションのサウンドを聴いて、さぞかしスゴイ歪んだ音を出すだろうと想像しがちだが、あれはアンプの真空管を過入力で歪ませた音を拡声しているだけで、ジャズやブルースのようにサイン波を流せば普通に甘くクリーンな音が出る。実際に私はJensen
C12R(12インチで一番安い物)を使用した自作システムを構築しているが、ツイーターを加えると普通にHi-Fiな音である。それよりも30cm径という大口径であるにも関わらず、ツイーターと遜色ないスピード感のある中低音に特徴があり、古いロカビリーのツーステップも生き生きと鳴りだす。これなくしてはオールディーズもあれほどの盛況を呼ばなかったであろう。ギターアンプのみならず、ジュークボックスにおいても、Jensen社のPA用エクステンデッドレンジは大活躍していたのである。
 
 
1960年代初頭のRock-ola製ジュークボックス(コーンツイーター付)
左下:ジュークボックスと一緒にポーズをとるレイ・ディヴィス(キンクス)(1984)
右下:マイク・マックギア(ポール・マッカートニーの弟)(1974)
ちなみにジェンセンのエクステンデッドレンジ・スピーカーは、アメリカン・サウンドの生みの親のような存在で、1947年に開発されて以来、ギターアンプ以外に、可搬型の録音機や映写機、ジュークボックスなど、あらゆる業務用PA機器のシチューエションに合わせOEM生産していた。そのうちC12Rは一番安価なユニットだったが、一時期はジュークボックスの3大メーカー(Rock-ola、Seeburg、Wurlitzer)の全てにJensen
C12Rが使用されていたぐらいである。実のところJensenの12インチ エクステンデッドレンジ・スピーカーこそが、アメリカン・ポップスのレジェンド中のレジェンドなのだ。
 
Rock-ola TempoII |
Seeburg KD |
Wurlitzer 2500 |
mid:2x12inch Jensen
high:1xHorn Jensen |
low:2x12inch Utah Jensen
high:2x8inch Utah Jensen |
mid:1x12inch Jensen
low:1x12inch Magnavox
high:1x7inch Magnavox |
 |
 |
 |
 |
 |
 |

大物ミュージシャンがリスペクトしてやまないモノラル界のゴッドファーザー
最後にエクステンデッドレンジ・スピーカーの特徴について語ろう。
1960年代の半ばからHi-Fiスピーカーからエクステンデッドレンジ・スピーカーが消えていった。その理由は、中高域の激しいリンギングを歪みとして排除し、ツイーターでの定位や音色の描き分けを明晰にし、なおかつ100Hz以下の重低音もフラットに再生しようとするウーハーの役割を重視していたためだ。ちょうど1.2~2.5kHzにクロスオーバーを置くのも、そうした理由と重なっている。そこで得たものは広帯域でフラットな再生音だが、同時に失ったものはボーカル域でのレスポンスの均質さと躍動感である。
改めてエクステンデッドレンジ・スピーカーを使ったシステムのタイムコヒレント特性をみてみると、驚くほどレスポンスが綺麗な1波長で整っている。つまりボーカル域で時間軸での波形の順序がきっちり揃っているのだ。通常のマルチウェイスピーカーではこうはいかず、振動板の軽いツイーターが先行し、その後にウーハーが続くようになっており、その間にネットワーク回路による位相反転で深い谷間が生じている。このキャラクターの差があるため、高域を特別にピックアップしていないライブ録音では、途端にバランスの悪い音に聞こえるのだ。
ちなみにタイムコヒレント特性とは、パルス波形が入力されたときのスピーカーの過度特性で、時間軸での波形の一致を示すものだが、ほぼ99%のHi-Fi用マルチウェイ・スピーカーが、ツイーターだけにパルス音の再生をまかせ、ウーハー側が受け持つボーカル域とは連動していない。ウーハーは重低音を再生するために特化して鈍重になり、その反応がボーカル域の1.2~2.5kHzまでを支配しているのだ。人間の聴覚の特性で先行音効果というのがあって、先に聞こえた音のほうが大きく聞こえる特徴があるため、音色や定位感を示すパルス波をツイーターで先行して再生することで、ステレオらしい広がりとカラフルな音になるのだ。ところが、パルス波をノイズとして丸めた古い録音では、このおまじないが効かないのでツイーターはかすりもせず、牛歩のように鈍重なウーハーのモゴモゴした音だけを聴く羽目になる。
しかし何度も言うようにエクステンデッドレンジ・スピーカーを使った場合は、そのような齟齬は起きない。ボーカル域での波形が整っているからだ。エクステンデッドレンジは、100Hz以下の低音が出ない、8kHz以上の高音が出ないという、中途半端な規格でHi-Fi向きではないと思われているが、それはボーカル域をアキュレートに拡声するのに特化した仕様だからである。これが古いライブ録音の再生には打ってつけのスピーカーなのだ。
左:昔ながらのJensen C12R+コーンツイーター、右:現在のスタジオモニター

さて、ここからはデジタルの洗礼をうけた後の世代の人に送る、モノラル入門である。モノラル装置の構築にあたって手本とすべき方針を立てると、①ラジオ風の音を目指す、②ジュークボックスの仕様をまねる、ということになり、世にいうスタジオモニターでも、ましてや大規模PAシステムでもないことが分かる。では、そのシステム構築例を紹介しよう。
①まずは高品質な真空管ラジオの音を目指せ
ラジオっぽい音というと、現在のラジオは10cmスピーカーでも大口径と言われるくらい貧弱だ。それでいて低音まで出そうと欲張るものだから反応も鈍い。こんなスピーカーで古いロックを聴いても、誰も心がときめかないだろう。またかつてはラジオと仲良しだったカーステレオだって、CDが入りこんで以降は重低音と超高音の嵐で、やはり聴いてて耳が痛くなる。本当に味のあるラジオの音は既製品では壊滅状態なのだ。
そこでスピーカーの基本に立ち返れば、それは古い仕様のフルレンジ・スピーカーを後面開放箱に付けての再生となる。どのラジオもそうであったがフルレンジが後面開放箱に納めてあり、そのハキハキした反応で聴いてこそモノラル録音の魅力が際立つ。現在のHi-Fiフルレンジやウーハーのように、バスレフ箱に入れた重低音再生に特化された仕様では、200~800Hzの中低域の反応がボヤけてしまい、躍動感のない平板な音か、高域ばかり目立つバランスになってしまうのだ。まずは中低音から中高域まで、出音のタイミングが整った音で聴くことをお勧めする。
そこでお勧めするのは、16cmユニットのVisaton FR6.5で、同社には他に高性能なユニットもあるなかで、Qtsが高く平面バッフルでも使える点と、耐入力が高く音量を稼げる点、そして何よりも中高域のシャリっとした感触が決め手となる。斜め横から測った周波数特性では4~5kHzに強い共振がありトーンのアクセントになっているが、ステップ応答をみると最初の波形にピシッとしたピークがあるものの、それが思っているほど尾を引かないことが分かる。これを40cm角の後面開放箱に入れることで、ハキハキした躍動感のある音が生まれるのである。このユニットは能率がやや低めだが、耐入力が40Wあり、結構な音量でもヘタることがない。元は天井スピーカーに加え楽器用PAと言うだけあって、少々の無理も何とか受け容れてくれる根性持ちでもある。ライブのモノラル録音で不自然さに悩んでいる人は、まずこのVisaton
FR6.5から始めるべきである。
 
Visaton FR6.5の正面特性

 
斜め45°から計測した周波数特性とステップ応答
②さらなるステップアップ:コーンツイーターと大口径エクステンデッドレンジ
さて、このフルレンジ=ビギナー用でモノラル録音の聴き方を学習した多くの人は、次なるステップを思案することとなるのだが、モノラル録音を相手にした場合、一般のステレオ装置のように周波数レンジの拡張は意味がない。肌荒れや毛穴をジロジロ見て面白いと感じる人は極限られた人たちである。むしろ中高域の指向性の広さや、中低域の腰の強さを増強したほうが良い。
通常のフルレンジは、高域の指向性が30°程度に狭まり、そのことがモノラルなりの音場感を制限してしまうのだが、先の3D-Klangラジオのように中高域の指向性を広くしてやると、モノラル録音が部屋一杯に鳴り響く態勢が整う。こう言うとステージPAに使われる大型ホーンを思い浮べる人が多いのだが、ここは1950年代の家庭用ラジオの流儀にしたがいコーンツイーターを選択しよう。
コーンツイーターと言ってもオーディオ用に耐えられる品質のものは限られるのだが、独Visaton社が製造している2種類のコーンツイーターは、昔の真空管ラジオの保守部品として設計されている希少な存在だ。Visaton
TW6NGは、斜め横から聴くと5kHzと13kHzに強いリンギングがあり、インパルス応答をみてもビーンと鳴る三味線のサワリのような役割をもっていることがわかる。現在のオーディオ技術では定位感や残響音を乱す要因として真っ先に排除されるのだが、樹脂製のセンターキャップから溢れる艶やかな音色といい、まさにレガシーなアナログテイストを受け継いでいる。ツイーターについてはホーン、リボン、ドームと色々と試してみたが、1960年より古い録音を聴くならコーンツイーターが最もよいマッチングを示すと思う。

ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性
もうひとつの中低域の腰の強さのほうだが、フルレンジは口径の関係で500Hz以下はエンクロージャーの反射音で補うため、輪郭の太い柔らかい音に終始する。かといって、低音が足らないからとバスレフ向きのフリーエッジのウーハーをあしらうと、モノラル録音の低音のスピード感に付いていけない。この矛盾を解決するのが、フィックスドエッジの大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーである。フィックスドエッジは大口径でも機械バネのようにコーン紙を引き戻す作用があって、200Hzぐらいまで明瞭で躍動感のあるサウンドになる。そのかわりエッジの共振から生じるピーク&ディップがあり、全体に歪みっぽい音になりやすいため、特にステレオ録音の定位感や音場感を乱すために1960年代以降はほとんど製造されなくなった。
さすがのVisaton社も、ウーハーのほうは最近の広帯域&低能率のものだけで、どうもシャリっとした音の出ないものばかり。そこで見つけたのが、なんとギターアンプ用ユニットのJensen
C12Rであった。これも開発当時の1947年は汎用PAスピーカーとして売り出され、Rock-ola社などジュークボックスにも使われた由緒ある商用ユニットである。
これとVisaton TW6NGを組み合わせると、ドンピシャのタイミングで波長が重なる。インパルス応答も綺麗な1波形に整っており、引き際もJensen
C12Rのフィックスドエッジの機械バネが功を奏してストンと落ちる。実は30cmでここまで動的応答が素早いユニットは希少で、ドラムがドカッと決まる迫力はもとより、ボーカルが体ごとリズムを取り躍動感をもって再現される。
 
Jensen C12R(伊SiCA社で製造中)


周波数特性(斜め45度計測) |

インパルス特性 |
音調を整えた後のJensen C12R+Visaton TW6NGの周波数特性とインパルス特性
以上はパーツの選択であるが、これだけでは音は整わない。モノラル録音におけるニュートラルなサウンドについてポイントを述べよう。
秘策1)ホールの音響と同じにするべし
生テープをそのままリリースしたブートレグ盤は、それはラジオかPA装置で聴くことを前提にしている。
ラジオの場合は、電波状況によって様々なノイズ(SN比の低下、ハムノイズ、混変調ノイズなど)があるため、むやみに周波数を広げられない。もうひとつはラジオの音響出力が1~2Wと低めに最適化されていて、スピーカーも中高域を強めに再生したほうが活舌が良く聞こえるように工夫されている。一時期、テレビのスピーカーがハリウッド風のアクション映画への対応で重低音再生に傾いたため、セリフが遠く聞こえるというミスマッチも生じたが、本来のバランスを見失った結果でもある。
PA装置では、ハウリング、ハムノイズは付き物で、これも周波数を制限する理由になっている。さらにPAミキサー経由のテープ流し録りの場合は、マイクがドラムやホーンに設置されていない場合もあって、バランスの修復にひと苦労したものもあるとのこと。観衆ノイズも場を盛り上げるアイテムだが、クラシックでは咳払いが気になるし、ビートルズのライブの異常な絶叫なども聴くに絶えないものだ。またMCが胸声でモゴモゴして何言ってんだか分からないというのも多い。これもPAスピーカーと会場の音響を再現していないため起こるアルアル事案である。
私なりに40年近くこの問題と格闘した結果、試聴位置での周波数分布は昔のトーキー規格で聴くのが最適であることが分かった。
昔のトーキー規格とは、ホールでの音の拡散を加味した自然な音響特性で、見ての通り100~2,000Hzより両端はロールオフしたカマボコ形の、1930年代から現在まで続く伝統的な音響特性である。よくSP盤復刻のリイシュー盤で、スクラッチノイズを嫌って高域に強いフィルターを掛けたものが多かったが、ロールオフしたほうが自然な響きになる。フラット再生では、ブーンと鳴る低音やカサコソ響く高音を無闇に増幅するだけで、一向に音が良くならない。

J.B.ランシングの開発したVoice of the Theatreとトーキー劇場の音声規格(アカデミー・カーブ)
ここで、私のシステムで周波数特性がカマボコ型なのが気になる人も多いだろうが、これこそ実際のコンサートホールはこの特性に近いのである。モノラル期のライブ収録はほぼラジオの収録に準じており、楽音を近接マイクで収録し、再生側ではホールの音響特性を模擬していく方針であった。


コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)
 
自作スピーカーの特性(いずれも斜め45°から計測、ホールのトーンと近似)
左:Jensen C12R+Visaton TW6NG、右:Visaton FR6.5
秘策2)エコーの加減を調整するべし
私はステレオもモノラルで聴くためにミキサーを噛ましている。ヤマハの卓上ミキサーMG10XUは、カラオケ大会でも使える簡易PA用だが、心臓部となるオペアンプは自家製チップを使いノイズレベルが低く音調がマットで落ち着いてるし、3バンド・イコライザー、デジタル・リバーブまで付いたオールインワンのサウンドコントローラーである。ヤマハのデジタル・リバーブは24bit換算の精緻なもので、リマスター時点でかけて16bitに落とすよりずっと自然なニュアンスで艶や音場感を調整できる。

ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタルリバーブ(註釈は個人的な感想)
これのデジタル・リバーブは、世界中の音楽ホールの響きをを長く研究してきたヤマハならではの見立てで、簡易とは言いながら24bit処理で昔の8bitに比べて雲泥の差があるし、思ったより高品位で気に入っている。リバーブというとエコーと勘違いする人が多いのだが、リバーブは高域に艶や潤いを与えると考えたほうが妥当で、EMT社のプレートリバーブ(鉄板エコー)は1970年代以降の録音には必ずと言っていいほど使われていた。残響時間とドライ・ウェットの調整(大概が30~40%の間で収まる)ができるので、録音状態に合わせてチョちょっといじるだけで聴き映えが変わる。
ロック用で気に入っているのが、1番目のホール・リバーブNo.1で、アメリカンなマットなテープ録音の雰囲気をもった音色で、よりシリアスでマッシブな力感を出したいとき、低域のリズム感を犠牲にすることなくニュートラルに整えることができる。
実はこれらのリバーブの後段にローファイなサンスイトランスを噛ましているのがミソで、ちょうどリバーブと磁気飽和したときの高次歪みがうまいことミックスされることで、楽音とタイミングのあった倍音が綺麗に出てくる。正確な再生というよりは、楽器のような鳴らし方が特徴的だ。
秘策3)デジタルでもアナログ風にまとめるべし
一般にCDの音はギラギラしたイミテーションのような音と思っている人も多いが、元来のデジタル録音の音は、マットでだだっ広いキャンバスのようなもので、原理的に互いの信号が干渉しないため、音が重なり合うときに発生する倍音成分も出ない。ではギラギラした音の原因はというと、大概は1990年代までに多かったシャープロールオフ型デジタルフィルターの、ポスト&プリエコーによるパルス性ノイズの累積によるものだ。このデジタルノイズの厄介なのは、どの帯域にも存在するパルス波に反応するので、楽音と関係のないノイズが常に累積することとなる点だ。これをさらにダイレククト接続といって、全く緩和しないで素通りさせてしまったものだから、パチパチ、ザラザラしたキャラクターが乗るのがデジタル的だと勘違いしたのだ。さらには、このデジタルフィルターのノイズ領域を鮮烈に共振させ、ハレーションを起こすよう設計された高級スピーカーが英国を中心に広まり、いわゆるピュア・オーディオの分野でデジタル風な音が世界共通のものになったのだ。全ては人工的にデジタル的な音を創成して、アナログを排除していったのである。
シャープロールオフ型フィルターのインパルス特性、かつて流行したハードドームツイーター
パルス波はどの楽器にも発生するためポスト&プリエコーの呪いから逃れられない
ブートレグ盤について、CDならどんなプレーヤーでも同じように鳴っているだろうと思うひとは不幸だと思う。ラックスマンのD-03Xは、一般に音が悪いと思われている発掘音源の再生には全くのお勧めで、かつて購入したCDが実は結構緻密な情報をもっていたんだと感心するような出来で、中域から湧き出るクリアネスというか、音の見通しの良さは、とかく団子状になりやすい放送用録音のように帯域の狭いコンテンツには、かなりのアドバンテージになる。おそらくIV変換回路あたりからの丁寧なアナログ回路の造り込みが功を奏しているように思える。同じ放送録音の規格品で、かつてNHK-FMで聞いたような肉厚で物腰の柔らかい躍動感(デンオンの業務用CDプレーヤーDN-960FAを思わせるような安定感)が再現できているので、ラジオ規格との相性が良いのだと思う。よく最新オーディオというと音の定位感や立体感ということに注目が行きがちだが、中域の音像がクリアで芯がしっかりしているとか、音楽表現の基本的なものを律儀に求めている機種というのはそれほど多くない。このCDプレーヤーの開発者は、1990年にD-500X'sを開発した長妻雅一氏で、最近はネットワーク・オーディオのほうに専念していたが、フラッグシップのD-10Xの影でCD専用プレーヤーの開発を音質面・モデル面を一人で担当したというもの。D-500X'sとは違う意味でアナログ的なアプローチが徹底していながら、ラックス・トーンをやや封印した真面目な造り込みと、見た目にも業務用っぽい無粋な顔立ちでよろしい。

ちなみに現在では、シャープロールオフのデジタルフィルターはレガシー遺産となっており、録音側でノイズをシェルピングしたり、エコーの少ないデジタルフィルターを選べるようになったりと、改善する方向にある。ちなみにD-03XはMQA規格に準じているため、スローロールオフ型フィルターを使用、プリエコーがなくスッキリした音の立ち上がりとなる。私のモノラル・システムのトータルな特性をみても、波形再生のクリアネスが高いことが分かる。
MQAに使われるスローロールオフ型フィルターのインパルス特性と自作スピーカーの比較
私はおもにCDプレーヤーで音楽を聴いているが、高音にキャラクターを持たせない仕組みの一環として、ラジオ用トランスを噛ましている。使用しているのは昭和30年代から製造を続けているサンスイトランスで、ちょうど真空管からトランジスターに移行する際に、B級プッシュの分割用に使われていた物だ。これがなかなか味のある音色で、中域以外のわずかにラウンドする特性は、徐々に位相を変えてピントをずらす役割をもっている。それでいて磁気飽和しやすい性分なので、パルス成分に対しては高次倍音を発生させ深い艶のある音を出す。これもずっと鳴り続けるのではなく、楽音のあるときだけ連動して一瞬の間だけ艶が生じる。イコライザーで高域を持ち上げるよりは、ずっと上品なテイストである。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

Jensen C6VとサンスイトランスST-17Aの組合せで1kHzパルス波を再生したときの倍音(高調波歪み)
秘策4)モノラルは斜め横から聴くべし
もうひとつは、モノラル録音はスピーカーの正面から聴いていなかったことである。よくステレオ装置でモノラル録音を聴くと、真ん中に定位して音の広がりが少ないと嘆く人は多いのだが、そもそもモノラル録音は斜め横から聴くのが普通だったのである。これは写真でわざとポーズを取っているのではなく、シュアー社のマニュアルにおいても教示されている公式のものでもある。
 
 
モノラルはくつろいだ姿勢で聴いてOK、踊ろうが歓談しようが自由自在

Shure社1960年マニュアルにあるスピーカーの配置方法
斜め横から聴くと片耳だけで聴いていることにならないか?という疑問があるかもしれない。しかし実際には、パルス波のような鋭敏な音はスピーカーのほうに向いている耳にしか届かないが、もう片方の耳はエコーを聴いているようになる。人間の脳とは便利なもので、音が直接届かない反対側の耳でも同じ音として聞こえるように感じ取っている。さらに両耳に生じる頭の大きさのわずかな時間のずれを感じ取って、勝手に音場感なるものを脳内で生成してしまう。

両耳間時間差(ITD)と両耳間レベル差(ILD)の模式図(Xuan Zhong (2015)
さて余談だが、上のShure社のマニュアルの一番右にあるのは、モノラル電蓄を持ってる人がサブスピーカーを巧く使ってステレオらしい音場感を得ようというものだ。これはイゾフォンのカタログにも載っていて、小さいサテライトスピーカーでも効果を発揮すると紹介している。何だが折衷案のようで頼りなさそうだが、私なりに上記の30cm2wayと16cmフルレンジを並べて鳴らしてみたところ、これがライブ録音とすごく相性が良い。音のタイミングとしては、FR6.5が先行するのだが、それを覆うようにJensen
C12Rの低域とVisaton TW6NGの高音とが補完してくる。意外に役に立ったのがヤマハのデジタルリバーブのうち12番のテープディレイで、ホールの反射音とタイミングを合わせると、ライブ録音にあちがちな団子状になった音もほぐれて鳴らしきれる。それでいて、FR6.5の中域が先行音効果で輪郭よく浮かび上がるのだ。禁断のアドオン3ウェイとでも呼ぼう。
秘策5)ステレオとモノラルが混在する盤はモノラルで聴くべし
モノラル録音を物色していると、少しばかり困ったことが生じる。それは同じCDのなかにモノラルとステレオが混在することだ。これがフォークの弾き語りぐらいなら違和感は少ないが、コンサートライブともなれば音の広がりがどうとかというだけで、音楽に集中できなくなる人が続発する。そこで上記のようにモノラル装置を組んだ人であれば、ステレオ録音も迷わずモノラルで聴くべきだと思う。そのほうが演奏スタイルに一貫性がもてて、鑑賞や評価がニュートラルになるからだ。だっておかしいじゃない? 同じミュージシャンの録音が1960年代と1970年代で急に音場感が変わるなんて! それだけステレオ装置で聴くモノラル録音は最悪な状況なのだ。逆にステレオ初期はモノラル盤の併売も行われており、モノラルへの下位互換規格であった45/45ステレオ方式の恩恵でもある。
では、ステレオ録音のモノラル化をどういうやり方で処理しているか疑問におもうかもしれない。実はこの件は難問中の難問で、多くのベテランユーザー(特にビンテージ機器を所有している人たち)でも、なかなか満足のいく結果が得られないと嘆いている類のものだ。
ステレオ信号のモノラル合成の仕方は様々で、一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、よく「ステレオ⇔モノラル変換ケーブル」として売られている良く行われている方法である。しかし、この方法の欠点は、ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、高域の不足した潤いのない音になる。多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音をモノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
次に大型モノラル・システムを構築しているオーディオ愛好家に人気があるのが、ビンテージのプッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにできあがる。しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5~10万円もするトランスを取っ換え引っ換えしなければならず、一般の人にはお勧めできない。ひどいときには600Ωの電話用トランスをハイインピーダンスの機器につなげ、高域を持ち上げて音がよくなると勧める店もあったりと、イワシの頭も信心からと言わんばかりで、何事も自分の耳で確かめなければならない。
最後に私が実践しているのは、ミキサーの2chの高域成分をイコライザーで互い違いに3~6dBのレベル差を出して合成することで、昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。

ここで上記の課題を踏まえて、ブートレグ盤の再生によくあるNG集を見てみよう。数字だけを追い続けるスペック表示に安易にこじつけられた「正確な音」が、ブートレグ盤によって無残にも打ち砕かれるのを理解してほしい。あえて言おう。ブートレグ盤はマイクの生音を忠実に収録しているので、マルチトラック録音に飼いならされた音場重視のステレオスピーカーは直ちに敗退する。多くの人はかような事態に接したとき「録音が悪い」と決めつけるが、事実はマイクの生音をニュートラルに拡声できない歪んだオーディオ理論に原因がある。
①レコードに刻まれた音を隅々まで聴くのが正しいのか?
これは一見正統な意見のようにみえるが、問題はその方法である。日本には原音主義というのが昔からあって、レコードに刻まれた音が本物ソックリでなければならない、それをあたかもコンサートホールのS席で聴いているような音場感溢れるものでなければならない、などなどの厳しいルールを課してきた。それゆえ、モノラル録音はその存在そのものが偽物であるかのように扱われてきたのだ。しかしその判定基準は、マルチトラック録音が主流となった1970年代以降のステレオ録音に対してである。古いロックの愛好家が選ぶ、タンノイやJBLのスピーカー、シュアーやオーディオテクニカのカートリッジなどは、いずれもフラットなレスポンスを誇るスタジオモニター、プレイバックシステムだが、実はそれだけが真実なのではない。




1970年代初頭の英国のミキシングルーム(上:デッカ・スタジオ、下右:アビーロードスタジオ)
さすがにミキサーはマルチトラックに備え低ノイズのためソリッドステート化されているが
いずれもタンノイとJBLのユニットを使ったモニタースピーカーを使用している
上のアラン・パーソンズの「狂気」(1972年6月-1973年1月)のミキシングでは、JBL 4320が既に導入されていながら、さらにモノラルチェック用にオーラトーン5cまで持ち込んでいる。様々な意味でプログレの最前線にあったのだが、英国のほとんどの若者が依然としてAMラジオとモノラル卓上プレーヤーで聴いているという実情を、よく呑み込んだ賢い選択ができる人でもあった。同様なことはザ・フーのロジャー・タウンゼントも、自宅の卓上プレイヤーで楽曲をチェックしている。
 
Auratone 5Cと周波数特性(AM放送とFM放送のクロスチェックをしてた)
 
自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey
 
電蓄に付属していたEMI 92390型ワイドレンジユニット
さらにモータウンのボブ・オルーソンの証言によると、スタジオのプレイバックはアルテック604だったが、多くの東海岸のエンジニアは「本当の音決め」のためにテープを自宅に持って帰り、AR3aのような家庭用Hi-Fiスピーカーでバランスを取り直していたという。ご存じの通り、AR社のスピーカーは高域を落とした特性を「ノーマル」としており、フラットは高域が過剰なものとしていた。モータウンの編集ルームは、演奏時のコントロールルームとは別室にあり、そこではAR-3aがステレオで、Altec 604Eがモノラルで置いてあった。今でいうマスタリングのはしりのようなものだが、EMIではまだそういうことは行われていなかったと言えるだろう。ちなみに、良く見るとこのAR-3aはウーハーが上側、つまり上下逆さまに置かれており、後のJBL 4310のレイアウトはこれを真似たのではないかと思われる。
 
1960年代後半のモータウンのミキサー室
Studer C37 8chオープンリールでダビングしながらミックスダウン
両脇に逆さ置きのAR-3a、中央にAltec 604Eモノラル

アコースティック・リサーチ社の東海岸サウンド(高域がロールオフしている)
もうひとつの事件は、ビートルズがホワイトアルバムの収録中に起きた。マルチトラック録音の利便性を活用して、メンバーがトライデント・スタジオで別働隊を組んで「ヘイ・ジュード」のセッションをアセテート盤(テープの規格違いではない)にトラックダウンしたところ、それをアビー・ロードで聴くとひどく高域が足らないことに気が付き、関係者でかなり揉めたという。
「レコーディング・ザ・ビートルズ」に記載されているケン・スコットの述懐では、トライデント・スタジオでは素晴らしいサウンドだったのが、アビー・ロードで聴くと凶悪な音に変わったので、ジョージ・マーチンに「これはどういうことかな?」
と録音の不備について問いただされた。スコット:「ええと、昨日聴いたときは目を見張るようなサウンドだったんですけど」、マーチン:「昨日は目を見張るようなサウンドだったって、キミはどういうつもりなんだね?」そこで戻ってきたポールが気転を効かして言った「ああ、そうだな。ケンはここのサウンドがクソみたいって思ってるんだ。」一同:「なんてこった」と言いながら(コントロールルームの)階段を下りてヒソヒソ相談しはじめたので、ケン・スコットはもうこれで死んだと思ったらしい。
結果的には録音はOKとなり、問題はアルテックのモニターに原因があるということが判り、イコライザーで補正することで事なきを得た。この件があって、アビーロード・スタジオは1968年に全モニターをLockwoodに変えることを決定した。
 
アルテック604Bの特性、アビーロードスタジオでのビートルズ
 
左:トライデント・スタジオ(1967)、右:アビー・ロード Studio3でのピンク・フロイド(1968)
共にトライデント社カスタムメイドのミキサーとロックウッド社のモニターを使用
こうした事実からみても、1970年代前半までのポップスの録音について、広帯域でフラットな再生が正確な音というのは、半分以上ウソということがわかるだろう。それは自然なアコースティックを知らない人が広めた都市伝説に近いものだといえる。
②アナログ盤や真空管なら音が良くなるのか?
よくロックファンでオーディオに凝ってる人が、アナログ盤のいっぱい詰まった棚や、真空管アンプや大型スピーカーなどビンテージ機材を自慢気にしているのが見られるが、これは昔からロックのLPを聴いてきた人が、自分の思うように音をコントロールできるので、そのように言っているのだと理解したほうがいい。棚の99%は正規のスタジオ盤だし、ブートレグ盤を正しく再生できるような装置は、数あるオーディオメーカーも製造していないのだ。それよりもアナログ時代のブートレグ盤の音質の悪さを知らずに、アナログ盤だから貴重なんてのは、マニア向けアイテムとして売りさばくためのステマだと言っても過言ではない。今ならちゃんとミュージシャンの権益も確保されたオフィシャルな発掘音源を第一に考えるべきだ。
そもそもCDプレイヤーの音が正確で、それを後でイジるのはピュア・オーディオのルールに反すると言ったのは誰なのだろう? 古いプリメインアンプにはイコライザーという便利な機能が付いていて、アナログ時代のオーディオ評論家である瀬川冬樹氏も五味康祐氏も、部屋やスピーカーの特性に合わせてイコライザーを積極的に使うべきだと言っている。
やや誤解しやすいのが、デジタル時代になってサウンドステージでの定位が厳密にコントロールできるようになったお陰で、イコライザーにまとわりつく位相変化が悪影響を及ぼすことである。一方で、ステレオ録音での定位感は、超高域のパルス波の先行音効果に依存しているので、超高域の鮮度が落ちると途端につまらない音になる。この辺の劣化につながる伝送ケーブル、回路の取り回し、スピーカースタンドの剛性などが、繊細に影響しやすく設計されているのだ。

1970年代のBBCでのミニホール音響実験 |

BBC LS3/5a |
一方で、古いブートレグ盤はどうだろうか? むしろ現代のオーディオ技術では当たり前のこととなっている、過入力による音割れの回避、SN比のクリアネス、音色を強調するバルス信号、リバーブによる音場感、楽器間のバランスなど、すべてにおいて不足していることが分かるだろう。その悪路を乗りこなすのは、F1のようなレーシングカーではなく、四輪駆動のオフロード車である。安全のために様々な機構が付いていないと、脱輪、水没、オーバーヒートなどトラブルの連続であることは目に見えている。そこを「一部お聞き苦しいところがあることを了解ください」なんてお断りだけで、納得できるわけはないのである。もっと踏み込んで「モノラル録音に適したオーディオ環境での鑑賞をおすすめします」というのが正解なのだ。
逆に最新のデジタル・オーディオ機器で聴いたモノラル録音の感想はといえば、2台のスピーカーの中央に定位するのが正しいとか、音に広がりがないので聞きづらいとか、そもそもモノラル録音を聴くにあたって準備が不足した状態が「正しい」と思っている不思議ちゃんのオンパレードである。ここで反省して、ウォール・オブ・サウンドの歴史から勉強しなおせば良いのだが、自分が買った高級なステレオ装置、もしくは自分の耳が正常なことを過信することで、一番大事な演奏を見失うのは、人生にとって損失となるはずだ。実はブートレグ盤への苦情として一番多いのが、この手の無駄な時間を過ごしたことへの怒りである。でも、それってオーディオ環境を整えていない自分の責任なんですよ?
また真空管アンプにすれば、デジタル臭さは緩和されると思っている人も多いが、実際はトランスの音色を聴いているに過ぎない。トランスレスの真空管プリの音を聴いた人ならわかるが、トランジスターより明瞭な音である。むしろトランジスターのほうが眠い音だといえる。これは1960年代末にマルチトラック録音導入の際に懸念事項となったSN比の確保のため、サーモノイズの低いトランジスター回路を使ったミキサーと入れ替えるスタジオが増えたのだが、ドアーズの録音を担当していたブルース・ボトニックは、事前に通告もなくミキサーが真空管からトランジスターに入れ替わったため、それまで真空管ミキサーなら得られた「天井の高いパンチのあるサウンド」が編集中のテープからすっかり失われたのを知って、別のスタジオへの転職まで考えたという。当時のNEVE社の妥協案は、1073型マイクアンプに倍音のよく出るライントランスを設けることで、真空管からの移行期を乗り切ったが、後によりソリッドな音のする1080のほうに替えていった。1073はボーカルやアコースティックギターなどに存在感をもたせたいときの特別な手段となっている。アナログらしいサウンドの原因は、真空管ではなくトランスにあったのだ。
こうしたアナログ盤や真空管ならではのサウンドは、それだけが原因ではなく、むしろデジタルを積極的に使いこなしていないことの裏返しでもある。ブートレグ盤に関して言えば、世間が言う正確な何かよりも、自分に好ましい何かを求めたほうが、ずっと健全に音楽を鑑賞できるというべきだ。少なくともブートレグ盤を手にして、音が悪いので当たり外れが多いと感じているなら、あなたにとってニュートラルなオーディオ環境をぜひ手に入れてほしい。

※モノラルを愛する人にはこのロゴの使用を許可?しまする
ページ最初へ
|