20世紀的脱Hi-Fi音響論(特別編)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「闇鍋コンピCD」では、コンピレーション・CDボックスセット(以下コンピCD)という曲者(くせもの)に一喜一憂するオヤジをモニターします。

闇鍋コンピCD
【雑貨屋のような魅力】
【埃を被った音をピカピカに】
【音楽とオーディオの素敵な関係】
【クラオタの闇鍋奉行】
冒険は続く
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。





【雑貨屋のような魅力】


21世紀に入って音楽ソースの一大事は、ネット音楽が流布した結果、音楽データの使い捨て現象に拍車がかかり、CDが値崩れを起こしたことだ。もともとコピーしただけの海賊盤CDは書店やDIYの軒先で1000円程度で売られていたが、今はどうかというと、著作権の過ぎた音源を中心にセットにして束売りして、1枚当たり300~500円という激安価格で売り込む手法だ。バナナのたたき売りのような手法であるが、バナナだってかつては高級食材だったのと同じで、CDもそういう感じになっている。そもそもエアチェック音源や板起こしでCDを造るのだから、カセットテープに好みの音楽を詰め込んだ思い出のある人には分かるかもしれないが、エアチェックや貸レコード屋のリソースをまとめて、自分なりのベスト盤をつくる感覚と全く同じである。

1970年代の恋愛黒歴史を経験した人は今どうしているだろうか?

しかし、2010年を過ぎる辺りから状況が変わってきたのは、廃盤のまま見向きもされなかった楽曲や、元のレコード会社が廃業したりしてオリジナルテープが失われたものなど、いわゆるレア音源を含むマニアックなコンピCDが増えたことである。
しかし、少し考えてみれば分かることが、CD化したとは言えカセットテープと同じような品質である。私なりに思うのは、音が悪くて当たり前、それをいかに料理してみせるかが、オーディオマニアたる腕の見せ所だと思っている。もちろん正規のオリジナルテープからのリマスター盤があれば目に留まるたびに購入しているが、そのような手間暇を掛けるだけの価値があるとみなされるのは、ほんの一握りのミュージシャンと楽曲だけ。それ以外の三流の音楽は、猫マタギ(猫もまたいで通り過ぎる小物の魚)のように思われるのも悔しい。逆に「腐っても鯛」という諺通りの超有名アルバムの煮ても喰えない音質のCDも存在するので、最終的に何が良いかは自分の耳で判断しなければならないのだ。

では、その三流の音楽を掻き集めたコンピCDが、どうして私にとって重要な存在なのかというと、レコード文化から生まれる時代感覚というか、オーディオにおける風流に繋がると思っているからだ。譬えて言えば、昭和の雑貨屋さんという感じだ。昔の雑貨屋といえば、売れる品も売れない品もリスの巣穴のように貯めこんでいる感じだったが、今や100均やドンキが主流、またはセレクトショップなどとお洒落な呼び方にもなっている。どう違うかというと、値引きや商品の展示の仕方であるのだが、雑貨屋に置いてあるものは、余り物があっても在庫処分など毛頭も考えず、一品一品の利益を皮算用して正規の価格で売られている。私は雑貨屋のごちゃごちゃした感じも、おもちゃ箱をひっくり返した感じで好きである。

コンピCDとはイメージで言えば雑貨屋と似てなくもない

では取り留めもないところで、我が愛するコンピCDの数々を紹介しよう。
1950~60年代のコンサートは、有名ミュージシャンのソロ・コンサートなんてほとんどなく、レビューショウ、ジュークボックス、電リクなど、世の中の面白そうな音楽を立て続けに聴かせるものが主流だった。そういうことを考えると、コンピ物とは雑煮のようなものではなく、むしろその時代に起こった出来事をまとめたスクラップブックのようなものである。

ホワイト・カントリー・ブルース(1926-38)

戦前の白人ブルースなんて猫マタギの代表選手だが、意外にも伝統のあることがこのコンピから分かる。作詞作曲をこなすフォーク歌手としてジャンルを形成する前は、いわゆる有名曲を個性豊かに歌う、ストリート音楽の片隅を占めていた。実際にはパフォーマンス・アートとしてのロックの在り方と深く結びついており、ヨーデル節に混ざって響くスライドギターの妙技に酔うのも一興である。
ハリウッド玉手箱(1927~55)

戦前の映画主題歌のコンピだが、これをジャズに絞って限定すると大きな損失にあたる。それはエンターテインメントの本質に触れるからである。最初のトーキーとして有名な「ジャズ・シンガー」さえ、アル・ジョンソンの出で立ちは大道芸だったミンストレル・ショウと変わりないものだし、あらゆる音楽的なルーツを吸収していった移民社会の縮図であるアメリカン・ポップスの根幹に関わる問題だからだ。ここではジャズ=ポップスの境界線が曖昧だった時期のアメリカらしさとは何か、という広がりがあると理解しておこう。
この企画の元を辿れば1974年に公開された映画「ザッツ・エンタテインメント」に触発されて、この手のSP盤蒐集では世界でも有数のコレクターである野口久光氏が厳選して、米デッカの映画主題歌を解説も含めて復刻したアンソロジーである。実はSP盤だけでこれだけ集まったものは、フィルムライブラリーを所有する当のアメリカにもなく、サウンドトラックの保存状態と比較しても意外に貴重だということに最近になって気付いた。渡米した浮世絵のコレクションと交換してあげても良いくらいの価値は十分にあると思う。復刻時期が古いので「針音なし」の高域の丸まった音声だが、再生機器のほうを整えるとアメリカンなサウンドが詰まっていることに気付く。玉手箱とは言い得て妙なネーミングであり、懐かしいだけで留めずに、出来立てホヤホヤの料理のように味わいたいものだ。
Mississippi Juke Joint Blues (9th September 1941)

1941年のミシシッピ州コアホマ群クラークスデール市の黒人たちが集う5つの店(ジューク・ジョイント)にあったジュークボックスに詰まってたレコードのリストに載っていたSP盤を集めたコンピレーション・アルバム。場所が場所だけに素朴なデルタブルースを集めたものかと思いきや、はるかシカゴやニューヨークのジャズバンドを従えたブルースがどっさり詰まっていた。なので聞き流すと当時のラジオ番組を聴いているような錯覚に陥る。この手の復刻盤は音質の悪いことが多いが、これは愛情をいっぱい注いだ良質な復刻である。
メンフィス・レコーディングスVol.1/サン・レコード(1952~57)

戦後のロックンロールの発展史を語るうえで、ニューヨークやロスのような大都会に加え、メンフィスという南部の町が外せないのは、まさにサム・フィリップスが個人営業していたアマチュア向けのレコード製作サービスがあったからである。地元のラジオDJをしながら黒人音楽を正統に認めてもらうべく追力した人で、このコンピにあるようにエルヴィス・プレスリー、ロイ・オービソン、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュというスターたちのデビュー盤のほか、正式に会社として運営する以前に発掘したミュージシャンに、B.B.キング、ハウリン・ウルフなどブルース界の大物も控えていて、多くはサン・スタジオで録音したレコードを名刺代わりにキャリアを積んでいった。このシリーズはサン・レコードのシングル盤全てを復刻するものの1巻目にあたり、10枚組180曲という膨大な記録でありながら、そのどれもがジャンルの垣根を跳ね飛ばす個性あふれるタレント揃いであり、上記の大物スターはまさに玉石混交の状態で見出されたことが判る。元のリリースがSP盤なので、ハイファイ録音と勘違いすると少し面喰らうが、逆によくここまで状態よくコレクションしたものと感心する。
アラン・フリードのロックンロール・バーティ(1950年代)

ロックンロールの名付け親、名物DJのアラン・フリードが催したコンサートの様子を収録したもの。オムニバス形式で、有名無名のバンドが次々紹介される。既に名声を得ている人もいるわけだが、フリードの頼みとあって1曲だけの演奏でもキッチリ歌ってくれる。しかし、若者の歓声の凄さは半端ではなく、当時のダンス狂の片鱗を伺わせるに十分である。
Cruisin' Story 1955-60

1950年代のアメリカン・ポップスのヒット曲を75曲も集めたコンピで、復刻音源もしっかりしており万人にお勧めできる内容のもの。ともかくボーカルの質感がよくて、これでオーディオを調整するとまず間違いない。それとシンプルなツービートを主体にした生ドラムの生き生きしたリズムさばきもすばらしい。単純にリトル・リチャードのキレキレのボーカルセンスだけでも必聴だし、様々なドゥーワップ・グループのしなやかな色気を出し切れるかも評価基準になる。
ジョージ・マーチン初期録音集(1951-62)

ビートルズのプロデューサーとして有名な人だが、スタンダードからコミックソングまで器用にこなす才人でもあった。1950年代イギリス特有のトラッド・ジャズやスキッフルの録音もさりげなく入っているので、意外によく知っている人が編纂していることが判る。おそらくビートルズを充てられたのも、日本の外盤営業部の人がデビュー盤を聴いて「宇宙人」と評したのと同じ感想だったのかもしれない。後の放送録音でも判るが、ともかくあることないこと4人でペチャクチャ話し出す状況は、今でいうタレントの鏡のようなものだが、当時としては声が被るという意味で完全にマナー違反。それが音楽性にも現れると予想した時点で「マーチン氏なら」と白羽の矢が立てられたのかもしれない。何はともあれ、肉汁たっぷりのEMIサウンドを堪能できる1枚となっている。
ウエスタン・カーニバルの時代(昭和33~37年)

東芝レコードの看板となったウエスタン・カーニバルの舞台を彷彿とさせるアーカイブで、オリジナルのモノラル録音を集めていて重宝する。山下敬二郎、釜萢ヒロシなど最初のロカビリーブームを牽引した人と、後半には越路吹雪、朝丘雪路、水島弘、坂本九、ジュリー藤尾など、正統派の歌手もそろえていて、聴きごたえも十分。
ニューポート・フォーク・フェステlバル(1959)

長い歴史をもつフォーク・フェスの第1回目の記録。呼びかけ人には、アメリカ中の民族音楽をフィールド録音で蒐集したAlan Lomax氏が含まれており、フォークブームが起こった後の商業的なものではなく、むしろ広義のフォーク(=民族)音楽の演奏家が招待されている。屋外会場ということもあり録音品質は報道用のインタビューで用いられるものと同じもので、フォークは言葉の芸術という感覚が強く、特に楽器にマイクが充てられているわけではないのでやや不満が残るかもしれないが、狭い帯域ながら肉厚で落ち付いた音質である。
ブルービート/スカの誕生(1959-60)

大英帝国から独立直前のジャマイカで流行ったスカの専門レーベル、ブルービート・レコードの初期シングルの復刻盤である。実はモッズ達の間では、このスカのレコードが一番ナウいもので、ピーター・バラカン氏が隣のきれいなお姉さんがスカのレコードをよく聞いていたことを懐述している。ノッティングヒルに多かったジャマイカ移民は、このレーベルと同時期からカーニバルを始めたのだが、ジャマイカ人をねらった人種暴動があったりして、1968年に至るまで公式の行事としては認可されない状態が続いていた。それまでのイギリスにおけるラヴ&ピースの思想は、個人的にはジャマイカ人から学んだのではないかと思える。ともかくリズムのノリが全てだが、それが単調に聞こえたときは、自分のオーディオ装置がどこか間違っていると考えなければならない。
昭和ビッグ・ヒット・デラックス(昭和37~42年)

こちらは歴とした正規盤で、日本コロムビアと日本ビクターが共同で編纂したオムニバス。レコード大賞ものなども外さず入っていながら、モノラルがオリジナルのものは、ちゃんとモノラル音源を収録している点がポイント。青春歌謡にはじまり、演歌、GSまで網羅して、個性的な歌い口の歌手が揃っており、ボーカル域での装置の弱点を知る上でも、この手の録音を再生するためのリファンレンスとして持っていても良い感じだ。
これらの名曲の多くは、1970年代以降にステレオで再録音されており、各歌手のベスト盤にはステレオ再録音が収録されていることが多いのだが、あらためてモノラル初盤を聴くとその溌剌とした表情に驚きを禁じ得ない。
Suturday Night at the UPTOWN(1964)

アトランティック在籍のソウルスター8組が一堂に会したレビューショウの一幕で、フィラデルフィアのアップタウン劇場に金曜の昼だけティーンズ限定で50セントで聴けたというもの。プログラムも雑だし音も悪いのだが、このときの観衆がコーラス隊となってバンドと一緒になって気持ちよく歌っているのが何とも微笑ましいライブとなっている。良く知られるドリフターズなどは、スタジオ・セッションでは楽譜通り、そこから聴き手によって広がる世界が別にあることが判る。パッテイ&エンブレムズなどは、最初のドリフターズの反応をみて、出だしのワンコーラスまるまま観衆に預けてしまう余裕ぶり。こうしたコール&レスポンスは黒人教会のゴスペル歌唱でも同じようにやっているもので、日常的な情景であることも伺える。


さて、これらのジャンルの垣根なしの闇鍋状態をどのように堪能すべきか? 大方の人は自分のオーディオ機器を棚に上げて、いずれのジャンルを「相性が悪い=音が悪い」で切り捨ててしまうだろう。しかし、それは録音を再生するオーディオ機器がニュートラルな状態ではない(ギアを上げっぱなしで走り続けている)ため、本来のHi-Fiの意義を見失っているのだ。あえて言えば、F1レースで勝つために機材を買いそろえたが、小さな石ころでも躓くような状態に陥っているのだ。そんな些細な理由で、20世紀に多大な影響を与えた数々の演奏を無視するなんて、私にはてきない。




【埃を被った音をピカピカに】

コンピCDを購入したとき、いの一番に思うのは、これらをCD化するにあたり、編集に携わった人たちは、どのような理由で、この音を聴いて売れると感じたのかだ。布団を被ったような音も多かったが、それでも貴重な音源だからとド根性で聴いていた。埃を被った骨董趣味だと言われてもしょうがない感じだった。
では、このような事態を招いた原因を述べると以下のようになる。
  1. SP盤の復刻はスクラッチノイズを除去するため電話の通話並みに高域を削いでいた。
  2. 放送音源は専属契約したレコード会社から訴訟を逃れるためAM放送のエアチェックを偽装した。
  3. 初期のステレオ録音はミキシングが未熟で、正常なステレオ機器で聴くと奇怪な現象(片耳ドラム、ビッグマウス、エコー宇宙など)に襲われる。
  4. CDは高音質だという幻想のまま、使い古しの劣化したテープをそのままCDにコピーしただけの商品が蔓延した。
  5. 以上の奇妙な録音をゴチャ混ぜにしたCDがコンピ物だと誤解を受けることになる。
このような録音のがれきの山を前にして、音楽鑑賞などと言うのは間違いだと誰もが思っていたのだが、それにしつこく40余年も付き合っていたのが私である。もちろん、昔の録音には無かった古楽や電子音楽なども、負けず劣らずの枚数を購入しているが、古い録音のアーカイヴも同じように増え続けているのが実際である。

*************************

ところが最近になって試聴環境が整ってくると、まるでレコードの溝から埃をごっそり取り払った感じで、いつまで聴いてもまるで飽きない。ミニワットのMT複合管で30cmフィックスドエッジ・スピーカーを鳴らすというもの。スペックは1.2W、100~8,000Hzという古いラジオとそのまま同じだが、そこから出てくる音は全然違う。その経緯について以下に述べよう。


我が家のスピーカーの周波数特性(灰色:コンサートホール、点線:映画館規格)
同インパルス応答:綺麗な1波形に整っている

【1930年代から存在したHi-Fiラジオ】
これは驚くかもしれないが、1930~40年代に最もHi-Fiだったのは映画館(特に大型劇場)、家庭で聴けるものとしてはラジオだった。特にラジオはAM放送であったにも関わらず、ライブコンサートの実況生中継が盛況だったし、2wayスピーカーを有した高級Hi-Fiラジオも売られていた。タンスと同じぐらい大きいキャビネットをもつ大型ラジオは、写真館でも家族の団欒を演出する必須アイテムであったところをみると、その憧れぐあいも推し量れる。スウィングジャズの最盛期は、まさにラジオ実況で最高潮に達したのだ。WEはトーキーで有名だが、有線(つまり電話回線)での大陸横断Hi-Fi伝送に成功しており、これが爆発的にジャズの流布に役立ったのだ。例えばミシシッピー州のジュークボックスに詰まっていたブルースは、地元に多い弾き語りではなく、ジャズ・オーケストラ伴奏のものが多くを占めていた。その一期一会の機会を逃さずに迎え撃つのに、通常のAM音声を再生する古レンジ・スピーカーに加え、ちゃんとツイーターも付いていた。

ラジオの看板番組を持っていたベニー・グッドマンとグレン・ミラー


WEによる有線での大陸横断Hi-Fi伝送実験
ストコフスキー&フィラデルフィア管の演奏をワシントンまで届けた

最初のラジオスター=ビング・クロスビー
写真館の必須アイテムだった大型ラジオ

【1950年代のHi-Fi狂騒曲】
この早熟だった戦前のHi-Fiラジオに対し、FM放送、LP盤の登場により、15kHzまで拡張されたのが1950年代である。新しいタイプのフルレンジ・スピーカーに加え、ホーンツイーターを装着した鋭敏な高域をもつスピーカーも増えてきた。低域を伸ばすためバスレフ型エンクロージャーが標準的になり、エッジも柔らかいフリーエッジに変わっていった。猫も杓子もHi-Fiムードに彩られていたが、10年も経たないうちにステレオ化されたので、この時期のモノラル録音はやや特殊な事情に包まれているように思われている。

一方で、規格としてのHi-Fiが存在しても、即日全ての録音がLP盤になったわけではなく、むしろシングル盤は78回転のSP盤で売られることが多く、1960年代初頭まで現役だった。いわゆるオールディーズ、懐メロと言われるジャンル分けは、コレクターがSP盤を再生できる環境にあるかないかの違いである。またラジオ番組は、昔ながらのアセテート盤で地方局に行くことも多く、BBCに出演したビートルズのアセテート盤が残されている。1960年代は、ポップスやロックがAM放送でしか番組枠がなく、Hi-Fiでの試聴はステレオ放送の開始された1970年代まで待たなくてはならなかった。

このようにAM放送とLP盤とが混在していたため、この時代はHi-Fiとは言え10kHzまでであり、戦後まもなくしてもWE 755A、ダイヤトーンP610A初号機、JBL LE8Tなどのフルレンジの名機にも引き継がれていた。とはいえ、ラジオ、SP盤、映画館と横並びの音声規格で進んでいた時代なので、100~6,000Hzを受け持つエクステンデッドレンジに対し、ツイーターはその上の半オクターヴを受け持つ程度に留まっていた。この方法はJBL D130に175または075ツイーターを追加する方法などに残されている。



上:ダイヤトーンP610A初号機W、中E 755A:、下:JBL LE8T
フルレンジの名機だが共に10KHzフラットが基本

しかしそれで不満をもって聴いていたのではなく、1960年代のロックの進展をみれば分かるように、むしろ食いつくように貪欲に自分たちの好む音楽を求めていったのが現実だ。つまりスペック上の音が貧しくとも、音楽は健全に育っていくのものである。

【私の1970年代Hi-Fi事情】
さて、話を小生のオーディオ道楽に戻そう。小生は中学生になってテレビの歌謡番組を卒業した頃から、何に夢中になったかというとFEM東京(AM 810kHz)から流れる洋楽だった。夜8時からウルフマンジャックのガガ~ンという雷鳴と、ウワォ~~~ンと叫ぶ声で始まる1時間は、テレビのある団欒から身を引き、自分の部屋に引きこもって、まさに自分だけで音楽を楽しむ至福の時間であった。映画「アメリカン・グラフィティ」にもゲスト出演していた芸歴の長いDJだけに、新旧のアメリカン・ポップスを織り交ぜて紹介する懐の深さと、常に陽気にエキサイティングに流すやり方は、黙って音楽を聴くよりもずっと楽しいかった。しかし、期待して買ったステレオから聞こえるAMラジオの音は、それはそれは酷い音だった。ツイーターに主導権を奪われ雑音を嫌うスピーカーゆえ、高音をバッサリ切り落として、潤いのない干物のような音。さすがのウルフマンジャックも犬の遠吠えそのものだった。そこで活躍したのが、ステレオよりもずっと格下(価格も1/10)のラジカセだった。

アメグラ世代の心を鷲掴みにしたウルフマンジャック

しかしラジカセがAMラジオの限られたスペックから、ウルフマンジャックの魅力を最大限に伝えるのには理由があった。そして、その理由に気付いたのは、オーディオ歴20余年経った30代半ばのことである。それはAMラジオの音声規格の元となっているボーカル域の再生にコツがあり、ラジカセはAMとFMの両方を違和感なく鳴らすために、AMラジオの音声100~8,000Hzをフルレンジ1発で再生し、FMラジオのHi-Fi帯域の10~15kHzをオマケのようなツイーターで補完する音響設計をしていたのだ。そして100~8,000Hzを再生するスピーカーはフルレンジではなく、エクステンデッドレンジと呼んでいたのである。
ちなみに通常のHi-Fiスピーカーは、ウーハーの分割振動(ビリ付くような歪み)を嫌って、1~2kHzで高域を切って、3~6kHzの中高域をツイーターに委ねている。これが何を意味するかというと、ボーカルの母音はウーハーで発し、子音はツイーターに分けて委ねることになる。つまり、母音から立ち上がる迫力あるウワォ~~~ンが、子音のタイミングがブツ切りでずれて、アホォ~~~としか聞こえないのだ。さらに悪いことに高域とのバランスを欠いたウーハーは100Hz以下の重低音のほうに浮気して、低能率&鈍重な発音でモゴモゴ重たくウ~ンウ~ン唸るだけで、何が楽しいのかさっぱり分からない。これで負け犬の遠吠えに聞こえる理由はハッキリした。

1970年代の日本のFMラジカセの周波数特性(基本はAMラジオ音声)

私としては、この時代が一番音楽を楽しんでいたように思う。それは、若さゆえの感受性の強さだと思っていたが、案外そうでもないと理解するようになったのは、40代半ばを過ぎた頃のことである。では、いにしえのモノラル・ラジカセが蓄えた知恵を色々と見てみよう。

秘伝その1.フィックスドエッジ・スピーカーを後面開放箱に収める
モノラル・ラジカセに実装されているスピーカーは、バスレフで低域を伸ばすようなことはしていない。ラジオ局で採用されたダイヤトーンのロクハンだって、ラジオに実装されるときはフィックスドエッジの別物になっていた。
また実際にAM放送を試聴すれば分かるのだが、高域の狭いAM放送のアナウンサーの声は、無闇に低域を伸ばすとモゴモゴした胸声になってしまい、よく聞き取れない。100Hz以下はロールオフさせるのが正解なのだ。しかし、これは四畳半~六畳間というウサギ小屋の多い日本の家屋のことを考えると、低音の縮退(反響音で特定の周波数が凹む現象)が起きてしまうため、無闇な重低音の拡張は無意味となる。

上のラジカセの周波数特性を見て分かると思うが、ラジカセに搭載されていたフルレンジ、ウーハーともども、エクステンデッドレンジというAMラジオ専用のスピーカーだった。これは戦前から続く音声規格で、ボーカルをマイクで拡声するために、ハウリングに強く、交流電源のハムも拾いにくいなど、必要十分な周波数レンジとして登場したのだが、事柄はラジオだって同じである。
1950年代ドイツでFM放送が全国ネットになった(フルトヴェングラーらがライブ実況で出演した)際に、家庭用真空管ラジオが2way化されても、AM放送の明瞭度を確保するためにボーカル域を一筆書きで再生したのだが、このルールは1970年代のラジカセにも引き継がれていた。録音規格に合わないオーバースペックなステレオ機材でリマスター盤を聴いて、低音が高音がと騒いでいるのは、バカの骨董品である。

1950年代のジーメンス製真空管FMラジオ(ECL82プッシュプル15W)

1970年代末の日立製ステレオラジカセ(パワーIC 4W+4W)

もうひとつは、フィックスドエッジの機械バネによる反発力を利用した、瞬発力の強い再生音である。これはインパルス応答をみると分かるが、出音がロールオフして徐々に隆起するのに対し、引き際がスパッと断たれる感じである。Hi-Fi用のウーハーはこうはいかず、ツイーターよりずっと後に出音が現れる。これに後面開放箱の空気抵抗のない状況が加わると、リズムが飛び跳ねるように音楽が運んでいく。

ラジオもテレビも後方にスリットが設けてある(けして廃熱のためではない)

秘伝その2.日本の家屋ならアンプ出力は3Wで十分
これは戦前からの常識であるが、家庭用ラジオは1W前後、大きな電蓄でも3W前後が主流だった。1970年代の日本製モノラル・ラジカセも、トランジスター2個をトランス結合したB級プッシュプルで2Wぐらい、パワーICでBTL化しても5W前後に抑えていた。能率90dB/Wm以上が当たり前のスピーカーを鳴らすのに、それ以上のバカでかい音を出すのは、近所迷惑というものだ。私はECL82という1950年代に開発されたMT複合管を、三結シングル1.2W出力で聴いているが、ピーク出力だとウルサイぐらいに鳴る。ウサギ小屋には適材適所が必要なのだ。

ナショナルMAC18:18cmフルレンジをトランス結合B級プッシュプル2Wで対応

ソニー1980スタジオ:2wayスピーカーのHi-Fi仕様、BTLシングルプッシュで3W出力

もうひとつは、トランス結合B級プッシュプル回路で、トランジスタがラジオに実装された初期から1970年代前半まで、家電製品の主流だった。現在、このラジオ用トランスを昭和30年代から変わらず製造しているのがサンスイトランスで、事業を引き継いだ橋本トランスが製造販売している。私が気に入ったのはST-17Aというトランスで、少しカマボコ型なのだが、艶のある中域とMMカートリッジのような太い音が魅力だ。1970年代末にラジカセにもパワーICが実装されるようになったが、わざわざITL-OTL回路(インプット&アウトプット・トランス・レス)と宣伝しているところをみると、まだまだB級回路を搭載した家電の多かったことを物語っている。

ラジカセ基盤に実装された小型トランス

*************************

【私のコンピ対応の結論】
こうしたHi-Fiという名のもとに生じる誤解をひも解いて、自分なりに納得のいくオーディオ環境を整えるまでには、結構な年月を要した。一番の大きな切っ掛けは、全てのCDをステレオ録音も含めてモノラルで聴くということにした点だ。最初は、子供もできてリビングのステレオで音楽を聴くことが困難になったことから、いわば引き籠もるかたちでサブもモノラルシステムを構築しはじめたのだが、10年も経つとこちらのほうがメインのオーディオシステムになった。

2012年にはじまったモノラル隠居生活


2025年のモノラル・メインシステム:古ぼけた映画館と同じだが綺麗なインパルス応答

我がモノラルシステムの大きな転機は、2015年にJensen C12Rという30cmフィックスドエッジ・スピーカーをメインに据えてから訪れた。これはエレキギターのアンプ用に復刻生産されたもので、ルーツは1947年のアルニコ磁石だったP12Rまで遡る。このP12Rは1957年ぐらいからRock-olaのジュークボックスに使われ始め、1960年代初頭にはC12Rがアメリカの3大ジュークボックス・メーカー(Rock-ola、Seeburg、Wurlitzer)で採用されていたという、レジェンド中のレジェンドなスピーカーである。その後に、昭和30年から作り続けているサンスイトランス、真空管時代と同じ仕様で造っているVisaton社のコーンツイーター、共立電子と摂津工業がタッグを組んで昭和風キットに仕立てたECL82シングルアンプなど、私の嗜好に合うパーツを少しずつ集めて現在に至っている。



1960年代からセラミック磁石&コーンツイーターになったジュークボックス(Rock-ola Capri, 1963)
左上:ジュークボックスと一緒にポーズをとるレイ・ディヴィス(キンクス)(1984)
左下:マイク・マックギア(ポール・マッカートニーの弟)(1974)
右下:ノッティングヒルのパブ「ピス・ハウス(小便小屋)」(1969)


最初はラジオぐらいのもので十分だとはじまったモノラル隠居生活だったが、そのうち大型電蓄かジュークボックスなみのものまで育った。しかし、ジュークボックスなみにグレードアップした我がモノラル・システムも、基本はモノラル・ラジカセとそれほど変わらない。40年近くオーディオ趣味に携わっているが、結局1970年代のモノラル・ラジカセの音が忘れられずにいたのだと自戒している。最初はローファイ・モノラルの特使だと悪ぶっていたが、今ではホームラジオと変わらないスペックこそが、最高にニュートラルなオーディオ環境だと思っている。

*************************

Jensen C12Rとの出会いで、オールディーズと呼ばれるアメリカン・ポップスの世界に目覚めたわけだが、実は歌謡曲やクラシックでも相性が良い。いわゆるミッドセンチュリー時代のラジオ電蓄の仕様を踏襲しながら、各国のデバイスを組んで造られた無国籍な状態だからだと思う。例えば、アメリカ製はJensen(製造はイタリア)だけで、コーンツイーターとチャンデバはドイツ、真空管ECL82は東芝、ライントランスはサンスイのラジオ用である。入り口側を固めるCDプレイヤーはラックスマン、簡易ミキサーはヤマハなどの日本製。これが特定のジャンルに隔たらない混血オーディオの秘策のように思うが、実は限られた予算で自分好みの音を練り上げていくと、音楽のジャンル分けなどあまりコダワリがなくなったというのが実態だ。


私のモノラル・スピーカーのチューニングは、約1mの近接距離でコンサートホールの音響に近似したカマボコ特性とし、タイムコヒレント特性を200~8,000Hzで綺麗に揃うように整えている。
実際の録音スタジオでのマイク位置は、精々30cmの近接位置であり、そうでないと録音の鮮度が保てない。それゆえに、Hi-Fiらしい音の定義は近接マイクの音そのものとされてきた。しかし、自然なアコースティックに沿った音響はずっとカマボコ型なのだ。逆に音の鮮度というのは、音が近くに聞こえる(音が前に出る)中高域の鋭敏さにあるのではなく、中低域と一体となったブレの無さである。低域に気を取られたスピーカーがラジオやテレビのアナウンスで胸声が強くモゴモゴするのは、重低音が遅れて良いという思い込みにかまけて、重たく反応の悪いウーハーにボーカル域を委ねてしまったからだとも言える。このバランスを取るのに苦慮していたのが、実は1940年代のPA装置だったというのだから、これは進化ではなく退化だったのだ。私のスピーカーから聴こえるのは、録音が古くても新しくても変わらない、自然な音楽の躍動感と楽器間のバランスである。


コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)


私は人間が音楽に感動する要素は、人間の聴覚における社会性を育んできた言語的ニュアンスにあると思っている。つまり音楽の大方の情報は200~6,000Hzぐらいの範囲に納まっているのだ。そいういう意味もあって、私はスピーカーの機能性として、まず第一に人間の声をリアルに表現することを大事にしている。
そこをさらに踏み込んで、スピーカー径を大きめの30cmとしている。その理由は低音の増強のためではなく、200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。
このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたJensen C12Rのようなエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。よくスピーカーの再生能力としてフルボディという言葉が使われるが、モノラルの場合はスピーカーそのものの大きさが等身大であるべきだと思っている。
それと、スピーカーのダイレクトな振幅をじゃましないために、エンクロージャーを後面開放箱にしている。これはJensen C12Rの共振尖鋭度Qts(最低共振周波数fo付近でのコーン紙の動きやすさを示す数値)がQts=2.5という、ガチガチなフィックスドエッジだから可能なことでもある。逆に通常のバスレフ箱用に設計されたQts=0.3~0.5ぐらいのフリーエッジでは、後面開放箱に入れるとフラフラして使い物にならないので注意が必要だ。例えば同じJensenでも高級なP12NはQts=0.7で、バスレフポートの間口が広い、古い設計のハスレフ箱に合ったものとなっている。


人体の発声機能と共振周波数の関係
 
唇の動きに見とれるか、顔を眺めてうっとりするか…
やっぱり胸元まで見ないと実体感が湧かないでしょ!
 
裏蓋を取って後面解放!


コンサートホールの響き(2kHzからロールオフしたカマボコ型)とボーカル域の発音(100~8,000Hzが一筆書きでスルッと鳴る)という、アコースティックで自然な音のニュアンスを究めれば、自ずとどの時代の録音もニュートラルに再生できるレベルに収まるようになった。これは古い録音に限ったことではなく、新しい録音でもそこそこ聴けるというレベルに留めるのがコツである。Hi-Fiの定義をフラットで広帯域というのは、20世紀に残された録音の幅広さと比べれば、本当は間違っている。

特性は古ぼけた映画館と同じだが綺麗なインパルス応答





【音楽とオーディオの素敵な関係】

ややぶしつけかもしれないが、歴代のミュージシャンがあの世で演奏したら、どういうコンサートになるだろう。「ウィアーザワールド」のような合作だろうか? いや、これはこの世の社会問題に対し手を携えたものだ。それとも「ブルースブラザーズ」のようなオールスターキャストの映画だろうか? いや、これも生前にあの名パフォーマンスをもう一度見たいと願った制作者の執念が作り上げた作品だ。今ならロック・ミュージシャンやソウル歌手も、グラミー賞やナイト士爵を授与されることも珍しくないが、多くの歌手は流行が終われば、そのこと自体を長く記憶に留めておくことができないのだった。しかし、21世紀に入って発掘される音源には、そういう記憶の片隅にあった何かが、リアリティー番組のように展開するものが増えてきた。つまり過去の音源は、けして「あの頃」を懐かしむだけのものではなく、生きたドキュメンタリーとして制作されはじめたのだ。

私がミッドセンチュリー・スタイルのHi-Fi仕様に行き着いたのは、1950年代という時代に限定した音楽鑑賞をするためではない。むしろその前後の時代の橋渡しをしたものと認識している。ちょうど、SP盤とステレオLPとを繋ぎ合わせるミッシングリンクのような存在なのだ。今ではほとんど廃棄されているが、ミッドセンチュリーのHi-Fi移行期は、ほとんどの人がDIYで対応していた。理由はLPレコードの価格が高く、オーディオにお金を掛けるのは本末転倒だったからだが、お陰でミッドセンチュリーのコアな部分に侵入するまで本当に時間が掛かった。
特にポップスに関する情報は、家庭用オーディオにはほとんどなく、ラジオかジュークボックスという存在を直視するのに、多くの偽情報を淘汰しなければならなかった。例えばタンノイがアビーロードスタジオの標準モニターだとか、JBLのスタジオモニターでロカビリーを聴くとか、あまりゲセない内容のものが多く、リマスター盤が出るたびに議論の嵐になっていた。その結果がビートルズ以前と以後のポップス・シーンの違いを延々と論じるオヤジが増殖していったのだ。




Goffin & King Song Collection(1961-70)

キャロル・キング夫妻の初期のポップ・ソング集をカバーも含めてあちこち集めた英エースによるオムニバス4枚。一般に楽曲紹介は最初にヒットしたシングルで勘定されることが多く、「ビートルズがオールディーズを駆逐した」なんてくだらないことを言う人が多いので、その後の歌の行方についてあまり関心が向かないが、最初の時期のR&B、ロカビリーに加え、時代の流れに沿ってロック風、ソウル風、サイケ風など、歌い手の自由に任せて料理しても、素材の良さが生きているのはさすがだ。デビューして10年も経っていないのに、この時点で20世紀初頭からブロードウェイで活躍していたコール・ポーターやアーヴィング・バーリンなどのソングライターと同じような境遇に預かっているのだから本当におそれいる。それも従来から言われるビジネスモデル主導の芸能界ポップスなんていう気配は微塵もなく、リスペクトしているミュージシャンたちが本当に気持ちよく演奏している様子が伝わってくる。
英エースの仕事ぶりも徹底していて、企画段階から正規音源を掘り当てリマスターも丁寧に施され、ジャケットと演奏者の写真も解説と共にしっかり収められている。ブリル・ビルディングの音楽業界を画いたケン・エマーソン 著「魔法の音楽」の巻末に載せても良いくらいの資料性の高さをもっている。ただの寄せ集めコンピのように盤質の良否による玉石混交のような音質の変化も気にならないし、こなれたベテランのラジオDJのように、自然な流れのなかでミュージシャンの個性が際立つように1枚1枚が編集されている。新旧世代の入れ替わりを象徴するように、モノラル、ステレオが半々で混在しているが、これをいちいち頭を切り替えて聴くなんてバカの骨董のようなものだ。全部モノラルにミックスして聴け。
 


事実を述べると、ポール、ジョン、リンゴスターの3名は、自分の空想のジュークボックスのプレイリストを所持しており、内容はオールディーズに類するレジェンドなR&Bやロカビリーのナンバーを基礎に、新しい楽曲を足していく方式を取っている。けしてオールディーズを軽蔑していたわけではなく、むしろ自分たちが同じジュークボックスのプレイリストに並ぶことが夢でもあったのだ。それは初期のアルバムやBBCライブでも盛んに演奏したカバー曲にも直接現れている。ニューヨークに移り住んだジョン・レノンが購入したのは、立派なステレオ装置ではなくSeeberg社のジュークボックスだった。

1965年に買った携帯型ジュークボックスとそのコンピCD
→晴れてNY自宅に本物のジュークボックスを置いてご満悦なジョン

その名も「マタドール(闘牛士)」:フラワームーヴメントの残り香が漂う時代

ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962-65)

ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。


一方で、このSeeberg社の1973年製ジュークボックスは、ディスコが流行る頃のものだったので、サウンドとしては低域がズンドコ鳴るタイプ。もっとマニアな大滝詠一(1959年製AMI)やマーク・ボラン(1960年製Rock-ola)などは10年落ちの中古を購入、ポール・マッカートニー(1947年製Wurlitzer)はSP盤仕様のビンテージだった。ポールのジュークボックスは、元々スタジオにあったものだが、自宅に持っていったらしい。ジョンと喧嘩別れした原因のひとつに挙げられよう。

思い思いのポーズでジュークボックスの前ではしゃぐロックレンジェンドたち

ここで思い出して欲しいのは、ジュークボックスで聴くレコードは全てシングル盤であり、いわばコンピ物と同じ状態なのだ。違いと言えば1曲1曲を選曲しなおさなければならず、コンピCDのように無為に聞き流すようなことができない。いや、むしろそういうBGMのような聴き方が、個性溢れるミュージシャンの評価を貶めているのだと主張する人もいる。しかしもう少し考え直して欲しいのは、私のように新たにプレイリストを構築するような人が、コンピCDに納められている楽曲を中古レコードで買い集めるのに、どれだけの費用と年月を有するかであり、むしろその苦労のほうが自慢になりえるぐらいハードワークであることは想像に難くない。むしろコンピCDを活用しない手はないのだ。

その一方で、貴重なアーカイヴに相応しいオーディオ環境の整備がある。多くの人は最高のオーディオ機材を集めたもので聴くとか、録音スタジオのモニターシステムが一番だと思っているらしいが、そのココロは録音ソースの細部に至るまで聴き込むことであるのだが、上記のようなレジェンドたちはそういう聴き方をしていない。聴いて一番楽しい方法を選んでいるのだ。
私が好きだったウルフマンジャックのDJスタイルも、ダイナーで好きな曲を肴にワイガヤする若者たちの残響であると思う。ロックンロールの生みの親アラン・フリードのムーンドッグショウは、黒人白人の区別なくラジオで流した最初のレビューショウであり、黒人ミュージシャンに顔の広いのレコード屋の店主を担いでのベンチャー事業だった。なぜラジオも動員したかと言うと、当時の法律でラジオ放送するコンサートは、観客からお金を取ってはいけないことになっていたが、これを逆手に取った無料コンサートに若者たちが群がったのは想像に難くない。

思い思いのかたちでジュークボックスを囲んで音楽を楽しむ人たち

ロックンロールの生みの親アラン・フリードのムーンドッグショウ(ラジオでも生中継)

Complete Stax-Volt Singles 1959-1968

AtlanticとMotownの華やかな競演は何かと話題が尽きないが、ブラック・ミュージックで孤高の存在のレーベルこそSTAXとChessである。このうちシカゴのChessはブルースとロックのコアなレパートリーをもつが、メンフィスのSTAXはソウル専門と言っていいほど内容がシフトしている。メンフィスと言えばサム・フィリップスのSUNレコードが有名だが、ちょうどサムがラジオDJ のほうに専念する時期と入れ替わるように出現し、この南部の街に特有の味のある演奏を記録している。とはいってもSTAXのオーナーだった2人はこの業界に全く詳しいわけではなく、廃業した古い映画館を買い取って録音スタジオにリフォームして、少し気まぐれにも近いかたちで創業した。逆に言えばその素人風のやり方が、メンフィスという街に流れる独特の空気を生のままで残し得たようにも思うのだ。
このCDセットはそのシングル盤をほぼ年代順に並べたものだが、偶然だろうが流して聴くと地元のラジオでも聴いているような気分に襲われる。おそらくリリースの順序を気分で決めていたら、前回はアレをやったので次はコレ、という感じに積み重なっていったのだろう。大手スタジオのようなスケジュールが過密なところでは、ミュージシャンの個性がぶつかり合い競合する熱気のほうが勝っているが、STAXの少しクールに決めている感覚は、こうした時間の流れの違いにも現れているように感じる。
有名なのはオーティス・レディングだが、実はAtlantic名義で出たアルバムにも、サム&デイヴ、ウィルソン・ピケットなどSTAXで録られたものが少なからずあり、ひとえに伴奏を務めたブッカー・T &ザ・MG'sの奏でる深いタメの効いたプレイによる。音数で勝負しようとするミュージシャンは多いが、これほどシンプルで何もいらないと主張を通すソウル・バンドはほかに皆無である。これは1970年代の巨大なPA機器を山積みしたロックコンサートとは明らかに違うのだ。場末のミュージックバーでしか聴けない産地直送の音であり、背後に流れる独特の空気は、録音テクニックの味付けでは出てこない。このことがSTAXでの録音を孤高のものとしているように思えるのだ。


ここでもうひと押ししたいのが、ウォール・オブ・サウンドにおけるモノラル録音へのリスペクトである。一般にウォール・オブ・サウンドはステレオ録音の一大流派と見なされているが、エコーをたっぷり利かせて広がりのある音場感を出すとか、サウンドが壁一面にマッシブにそそり立つとか、色々と言葉のイメージだけが先走っているが、実は当人のフィル・スペクターは、1990年代に入って自身のサウンドを総括して「Back to MONO」という4枚組アルバムを発表し「モノラル録音へのカミングアウト」を果たした。実はウォール・オブ・サウンドの創生期だった1960年代は、モノラルミックスが主流で、これに続いて、ビートルズのモノアルバムが発売されるようになり、その後のブリティッシュ・ロックのリイシューの方向性も定まるようになる。少しづつであるが、アメリカの1960年代のポピュラー音楽でもモノラルミックスの意義が認められつつあるのは喜ばしいことだ。
一方で、ウォール・オブ・サウンドの実体とは、1960年代当時のティーンズなら誰もが持っていた携帯ラジオでの試聴がターゲットで、フィル・スペクター自身が定義した「ティーンズのためのワーグナー風のポケット・シンフォニー」とは、多くの人が思うようなワーグナー風のオペラハウスの再現ではなく、ポケットのほうに重心があったと言えよう。先見の明があったといえばそれまでだが、フィル・スペクターのサウンドは1980年代になっても神のように崇められるのである。

初期のトランジスターラジオの聞き方はトランシーバーのように耳にあててた(ヘッドホンへと発展?)


シュープリームス:ア・ゴーゴー(1966)

まさに破竹の勢いでR&Bとポップスのチャートを総なめしたシュープリームスだが、このアウトテイクを含めた2枚組の拡張版は、色々な情報を補強してくれる。ひとつはモノラルLPバージョンで、演奏はステレオ盤と一緒なのだが、音のパンチは攻撃的とも言えるようにキレキレである。これはBob Olhsson氏の証言のように、モノラルでミックスした後にステレオに分解したというものと符合する。もうひとつは、ボツになったカバーソング集で、おそらくどれか当たるか分からないので、とりあえず時間の許す限り色々録り溜めとこう、という気の抜けたセッションのように見えながら、実は高度に訓練された鉄壁な状態で一発録りをこなしている様子も残されている。可愛いだけのガールズグループという思い込みはこれで卒業して、甲冑を着たジャンヌダルクのような強健さを讃えよう。


同じことはイギリスでの海賊ラジオ局にも言えて、当時はレコードをラジオ局で流すことは、レコードの売り上げを下げるという理由で法律で禁止されていて、イギリスにはDJという職業は無かった。この法律を回避すべく、公海内に船を浮かべラジオ放送したのが海賊ラジオであった。レコードを買う前に、どの曲がいいかの品定めにも利用していたとみられ、次第にミュージシャンたちも未発表の楽曲を8トラック・テープに入れて、テスト放送で反響をはかるなどの試みをするようになり、海賊ラジオの盛況ぶりは1960年代のブリティッシュロックを牽引し、新しいサウンドを渇望して走り抜けたのだから不思議と言えば不思議である。最終的には、これらの海賊ラジオのDJはBBCに就職し、今度は若手ミュージシャンをゲストに呼んで未発表の楽曲をいち早く紹介していくトレンド番組を制作した。そこで紹介しきれない自分の物語をアルバムに託したのが、イギリス風のコンセプト・アルバムといえるのだが、その断片に生きていた状況をどのように再現したらいいのだろうか? 全てがアルバム制作に結びつくようなプロデューサー目線で解説するのではなく、当時追い掛けをしながらラジオをウォッチしていたリスナーの目線が大事なのだ。


Radio London 1137kHz(266m) 機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった

8トラックカセット エンドレスで再生できて便利だった

当時人気だった英Bush社 TR82

英Roberts社のバッテリー駆動型 携帯ラジオ

自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey

新装したアビーロードで「狂気」編集中のアラン・パーソンズ(1972)
JBL 4320ステレオと中央にオーラトーン5cモノラル


デビッド・ボウイ BBCセッションズ(1968~72)

デビッド・ボウイの第一期の最後を飾るジギー・スターダストのプロジェクトに至る軌跡をドキュメンタリー的に捉えた放送ライブの断片。この頃のBBCは、レコードを放送で流せない法律を逆手にとって、有能な若手にまだ未発表の楽曲をテスト的に演奏させるという奇策を演じていた。その数多ある若いミュージシャンのなかにボウイがいたわけだが、アレンジもほとんど練られていないままのスケッチの段階で、若者がギター片手に語りだしたのは、宇宙から降り立った仮想のロックスター、ジギー・スターダストのおぼろげなイメージである。それが段々と実体化して、やがて自分自身が夢のなかに取り込まれて行く状況が、時系列で示されて行く。当時のラジオがもっていた報道性をフルに動員した第一級のエンターテインメントである。


一般的なレコーディングの作法に寄らないプライベートな場での音楽の在り方を今一度考えさせられたのが、ボブ・ディランが1966年の交通事故後にニューヨーク州山奥のウッドストックに隠遁して、ザ・バンドを呼び寄せて行ったプライベート録音だ。一般的には「ベースメント・テープス」と呼ばれるもので、フォーク音楽のプロデューサーとして有名なAlbert Grossmanが、ピーター・ポール&マリーの録音機材を借し与えたというのだがら、その後の海賊盤とカバー曲の争奪戦は想定内といえよう。ディラン自身はデビューまもない頃から、自分の作詞・作曲の独自性をかなり意識していて、アセテート盤で宅録をして著作権登録していたというのだから、この時期はスターダムに乗ることを一端やめて、作家業に専念したという向きもあっただろう。1990年代に自身のルーツとなるフォークやブルースのカバーアルバムを制作したり、21世紀に入って衛星ラジオ放送で自らDJを務めてアメリカ音楽史のアーカイヴを制作したが、若干26歳の時点で歴史を意識した作品造りを目指していたのは、この人の器の大きさゆえである。
本人も想定外だったのは、1969年のウッドストックの屋外ライブで、ヒッピー文化の頂点を極めた伝説的なミュージックフェスティバルについて、まさにこの録音が引き金にとなったということはあまり話題にならない。それもそのはず、ディラン本人はショービズの世界から距離を置くことで、ベースメントのセッションをこなしていたわけで、むしろウッドストック・フェスティバルは外側の世界で起きていたことの総決算だったのだ。しかし、こうした屈託ないセッションを聴くと、今どきのYouTubeのような自由配信を志していたのか、かなり不思議な感じがする。

ボブ・ディラン/ベースメント・テープス完全版(1967-68)

フォーク音楽をエレクトリック・バンド化する方向転換により、フォークの貴公子から反逆者へと一転したディランだが、1966年夏のオートバイ事故以降、表舞台から姿を消していた隠遁先の小屋にザ・バンドの面々を集めて楽曲の構想を練っていた、というもの。録音機材のほうは、アンペックスの携帯型602テープレコーダーで、フォーク音楽の蒐集にご熱心だったアルバート・グロスマンがピーター・ポール&マリーのツアー用PA機材から借りた。ディラン自身は、自分の詩と楽曲に対する独自性をデビュー当初から認識していて、著作権登録用の宅録を欠かさない人でもあったから、そうした作家業としての営みが専任となった時期にあたる。もしかすると自らをパフォーマーとしての活動は停止し、作家として余生を過ごそうとしていたのかもしれない。しかし、このスケッチブックの断片は、楽曲のアウトラインを知らせるためのテスト盤がブートレグ盤として大量に出回り、それを先を競ってレコーディングした多くのミュージシャンたちと共に、ウッドストックという片田舎をロックと自由を信託する人々の巡礼地と化した。今どきだとYouTubeで音楽配信するようなことを、非常に厳しく情報統制されていた半世紀前にやってのけたという自負と、これから生きるミュージシャンへのぶっきらぼうな彼なりの伝言のように思える。



このときに使われた録音機材は、マイクこそノイマンU47、ミキシングアンプにAltec 1567Aなどちゃんとしたものを使っていたが、オープンリール・レコーダーはAmpex 602というポータブルタイプで、アマチュアでも購入できる汎用品であった。おそらく対になっている622アクティブスピーカー(JBL製8インチ・フルレンジ内蔵)でプレイバックしたのだろう。録音・再生帯域は10kHzまでというスペックだが、むしろ変なノイズを拾うことなく機能を絞っているともいえる。
このポータブル・オープンリールは、1954年に開発された600型ポータブルテープレコーダーがもとで、1960年代末にカセットテープが登場するまで、ライブ演奏できる酒場や屋外会場などフィールド録音で活躍した。このレコーダーには対となる6V6プッシュプル10Wのアンプ付きスピーカーがあり、そこにはフルレンジスピーカーJBL D260が使われていた。このD260はアンペックス向けの特注品で、エッジからコーン紙まではD208に似ており、センターキャップは黒くアルマイト処理されたアルミドームが充てられている。音質はLE8Tよりもさらに大人しくニュートラルなもので、狭い帯域でバランスの取れた音である。お遊びで強いスプリングエコーを掛けたセッションは、高級なステレオ機器ではなく、このアクティブスピーカーの反応をみて行っていたとみていい。


Ampex 602レコーダー&622リプロデューサー(アンペックス特注のJBL D260)

ここまでしつこく理由を挙げれば、今までのHi-Fiの理念が、いかに音楽の伝統を引き継ぐのに不適切かが理解できよう。1970年代を境に失われたジュークボックスと、オーディオ機器とは見なされなかった携帯ラジオが果たした役割を、英米ポップスのレコード史に押し当てると、それで聴いてつまらない音楽は自然消滅したことが分かる。逆にロックレジェンドたちが、いつまでも変わることなくオールディーズを愛でていたのも、よくルーツ・ロックと呼ぶような知識だけのためではなく、手元に置いておきたい楽曲として現物をいつでも聴ける状態にしていたのだ。そのツールが、正確な音を出すメートル原器とみなされるスタジオモニターではなかったし、それらの楽曲をステレオで聴いてさえもなかったのだ。そのことは正しく認識しておきたい。





【クラオタの闇鍋奉行】

実は私が古い録音の面白さに目覚めたのはクラシックであった。ステレオを買ったばかりの頃は、洋楽や歌謡曲はラジオやテレビで聴けたが、クラシックだけは聴きたい音楽をLPで買わなければならない。最初は気張って最新録音でレコ芸の特選盤を買っていたが、1ヶ月3000円の小遣いでは1枚しか買えない。そこで少ない小遣いで買い集めるために、行き着いたのが1000~1500円で買えるバジェット盤である。バジェット盤はそれなりに有名な過去の演奏を、再発だったりする理由で安く提供してくれるもので、レコード会社としてはマエストロへの出演料を支払い終えた案件となる。これなら1ヶ月に2~3枚買えるわけで、お陰でかなりの耳年寄りとなった。同じ頃にレコ芸で「歴史的名盤100選」なる特集が組まれ、なんと半数がモノラル録音というロートルな企画だった。そこで思いついたのは、自分の安いオーディオ機器で聴いても永遠の名演の価値は変わらない、という勝手な思い込みと、遠い過去から響く淫靡な音楽(テンポルバート、ポルタメントを漬け放題)に身を任せると、なぜか自分の懐具合の悪さも忘れてしまう感じだった。そうこうして味を占めたモノラル時代の名演を、これほどまで長く聴くようなろうとは夢にも思わなかったが、私としては別段後悔しているわけでもない。懲りずにやっぱり買ってしまうのだ。

やめられないコンピCDの山
今はだいぶ落ち着いてはいるのだが、2010年前後からコンピCDの猛リリースが続き、日本HMVでもボックス物というコーナーまであるぐらい。それと並行して、名曲名盤の板起こしレーベルも新盤と同じ価格で売るなどして、BOX物は猫マタギのような扱いを受けていた。そんな戦々恐々としたなかで、買い集めたコンピCDの山は、試聴環境が整うにつれ宝の山となっている。オーディオ環境を整えるとは、優秀録音を選別するためではなく、録音アーカイヴの価値を高めることにあるのだ。
メンゲルベルクの芸術(1926~44)

英コロンビア、独テレフンケンのSP盤と、蘭フィリップスのライブ録音をほぼ網羅しているので便利な31枚BOXで、音質のムラもなく聴きやすい点も◎。むせかえるロマン主義的演奏と言われ、チャイコフスキー、マーラー、R.シュトラウスなど名作曲家からの信頼も厚かった名指揮者だが、戦前の名声に比べ戦後は急速に忘れられていったが、こうして聴くとベルエポックのアールヌーヴォーのような絢爛とした装飾の施された演奏スタイルであったことが分かる。収録曲は第九や悲愴の別テイクをいくつも丁寧に集めている反面、ライブでのマタイ受難曲、フランク交響曲、バルトークVn協奏曲(初演ライブ)、ブロッホVn協奏曲、マーラー若者の歌が抜けていたり、逆にブラームス3番は英コロンビア盤ではなく1944年のマグネトフォン・コンサートであったりと、アレ?と思う部分もあるが、十分にお腹一杯になる内容である。
ウィーン・コンチェルトハウスSQの芸術(1949~54)

ウィーンの甘美な響きをもった弦楽四重奏団のウェストミンスター音源(ウラッハとのクラリネット四重奏は除く)を集めた22枚組CD-BOX。ポルタメントを結構使うなど今ではかなり時代遅れのように思われるが、アンサンブルとしては気転の効く漫才のような感じで、やはりウィーンっ子同士の合いの手の上手さは、ちょっと練習したから出せる味ではない。有名なシューベルト四重奏曲全集やハイドンの2セットのほか、やや散漫に録られたベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスの作品は、個別に買い求めるとなると、ついつい同曲異演に目を奪われて、なかなか揃いにくいのだが、こうして聴くとひとつひとつ味わい深い時間が流れる。モーツァルトなどはバリリ四重奏団と補完しあっているので、こうして分ける意味はないので普通に全集としてまとめてあげるのが筋である。
クララ・ハスキル 10枚組(1950~57) 

聖クララ様の指先から奏でられる天使のハープを、スタジオからライヴまで色々な演奏を納めた10枚組CD。良く知られるフィリップスやウェストミンスターの音源以外に、EMIでのセッションやプラド音楽祭などレアもののほか、モーツァルト13&19&20協奏曲はフリッチャイ/RIAS響との放送録音だったり、シューマン協奏曲はアンセルメとのライヴだったり、意外な選択をして飽きさせない感じ。ドビュッシーやラヴェルなども弾いたルートヴィッヒブルクでのソロライヴは、出足でミスタッチしたベートーヴェン32番は修復されていたりしているが、元テープを知らなければ気にならないだろうし、ファンの心理をよく突いた企画だと思う。
クナッパーツブッシュの遺産~ターラ編(1940~54)

1990年代になってシェルヘンの娘君など、ドイツ国内の幅広いコネを駆使して様々な放送録音の秘宝を掘り当てた仏Tahraだが、創業者の死去によりレーベルを解散、残ったテープを日本のキングレコードが買い取り再発したというもの。録音年代が広いので音質のバラツキを懸念する人も多いだろうが、交流バイアス方式でテープ収録されている1944年のマグネトフォン・コンサートから音質が安定しており、唯一直流バイアス時代の1940年アイネクライネも良質なSP盤の復刻くらいにまで整っている(あるいはこれが最初のACバイアスのパイロット録音だったかもしれない)。戦中から戦後のクナ将軍は、日本ではウィーンフィルやバイロイトでの古式ゆかしい演奏が知られるが、ミュンヘンの音楽監督のポストを新進のショルティやロスバウトに譲って、この録音集にみるようにミュンヘン、ベルリン、ケルン、ハンブルク、ドレスデンと、独墺各地を神出鬼没の状態で渡り歩いていた。当時から「田舎風」と受け止められていたクナ将軍の演奏は、ブルックナー以外の楽曲でも野趣あふれる感覚は健在で、実は日本人の好きなワビサビの文化につながるのだと最近になって気付いた。
クレンペラー&コンセルトヘボウ管ライブ録音集(1947~61)

この24枚セットの大半は、クレンペラーの熱狂的ファンであるオランダ人映画監督のフィロ・ブレフシュタインが、青年時代にオランダ放送協会に出入りしてアマチュア用9.5cm/sテープレコーダーにコピーした音源の集大成である。放送局は既にテープを破棄しているため、1955~61年のACOライブはここで聴けるものだけだそうだ。1996年にDATで一般公開するにあたり、クレンペラーの愛娘ロッテがオランダ放送協会を説得して実現した企画だが、専属契約の年季も過ぎてようやくBOXセットで聴けるようになった。
しかし買った瞬間に後悔したのは、まるでカセットテープでエアチェックしたみたいな音質で、しかも日本向け企画でSACDにして価格UPするなんて意味がないように思えたが、試聴環境が整って改めて聴いてみると、深みのあるAMラジオの音質が蘇った。EMIでは超重たいテンポで知られる晩年様式だが、こちらはエキセントリック(周囲を困らせる行為でも知られた)でテンポもキビキビしているクレンペラーの演奏が聴けるので、指揮者の芸風を正しく知る切っ掛けにもなるだろう。敬愛する師匠だったマーラー作品、戦前から付き合いのあるバルトーク、シェーンベルク、ヒンデミット、ストラヴィンスキーなどの「現代」作曲家の作品も貴重だが、何と言ってもライブでベートーヴェン・チクルスを何度もできる指揮者はクレンペラーが随一だったことが分かるのも貴重だ。
1956年のチクルスでは、アニー・フィッシャー独奏でのPf協奏曲3番の爆演の後、なんと2番交響曲がプログラムされているのだが、オケに背水の陣を敷いた結果がどうなるかは聴いてのお楽しみである。


さて、クラシックのコンピ物で気を付けなければならない3つの壁がある。これはクラシック音楽が、同じ楽曲を繰り返し演奏するジャンルだから特に生じやすい事柄である。
そもそもクラシックとは、18世紀末にイギリスの貴族がバロック時代の名曲(ヘンデル、コレッリなど)を聴くために、サロンやコンサートで演奏家を雇い入れる基金を募ったことから始まったジャンルである。つまり作曲と演奏が職業として分離したのが始まりであり、それまでのようにお気に入りの作曲家を一生涯囲って支援し続けるようなことをやめたことにより始まっている。逆に言えば、ロンドンのような金融業界の発達した大都市では、腕のある作曲家は自主的にコンサートを開いて興行収入を得ることが可能となり、イタリア・バロックとウィーン古典派という大きな流行の波に呑まれた状況であったことと、興行収入という多数決で争う楽曲の価値を正しく推し量ることを必要とした結果でもある。しかし、このような気まぐれも、ハイドンに音楽博士号を授与した返礼にオラトリオを書かせ、コンサートで演奏できなくなって困窮していた晩年のベートーヴェンに第九とミサ・ソレムニスを委嘱するような事業を生んだりと、ことさら話題作りにも余年がなかったことも事実だ。
これと同じようにとは言わないが、クラシック音楽の鑑賞のために、レコード文化の連続性を、オーディオ機器の刷新によって分断してはならないと思うのだ。19世紀初頭に演奏されたベートーヴェンの第九は酷いものだったろうし、ワーグナーによるバイロイト再演も音響を許容する劇場があって改めて価値が分かったという程度かもしれない。しかし20世紀の後半に入って、他の楽曲に比してこれだけ多くの演奏記録が一同に揃うなど、誰が夢にみただろうか? 運命交響曲についても、少年メンデルスゾーンがゲーテ私邸でピアノ演奏したところ、ゲーテが寝室から寝巻のまま階段を掛け降りて即座にやめるように怒鳴ったという。いわく家が地震で壊れるかと思うほどびっくりしたと。ロンドンでのフランツ・リストの初公演でもベートーヴェンの協奏曲が披露されたが、当時のコンサート記録(クレメンティやフェルディナント・リースが主催)ではベートーヴェンの作風を知ってもらうのに、まず1番か2番の交響曲が演奏された。いきなり英雄を披露しようなどという博打は打たなかったのだ。しかし今ではベートーヴェンの交響曲は英雄からと考えられているし、1番や2番の交響曲は全集セットでないと見受けられなくなった。逆に言えば、全集セットを買わなければベートーヴェンの初期交響曲は聞けないという状況を生んでいる。それだけレコード文化の浸透は、作品の評価にも影響を与えているのである。
さて、このような状況のなかでレパートリーとして固定化された楽曲の特徴を知るために、レコード文化そのものを知るためのアーカイヴが必要になると私自身は考える。いわゆる優秀録音や名曲名盤ベストの檻から自分の耳を解放するために、オーディオ機器をニュートラルに整備する必要があるのだ。

1.SP盤とLPの壁
戦前と戦後に分けたいところだが、1950年までテープ録音できたのはドイツ国内だけである。その他の国はラッカー盤へのダイレクトカットか、アセテート盤録音機を使用しての収録となり、LP初期はSP盤の原盤をLPに復刻しただけのものが多かった。トスカニーニのオテロ、フルトヴェングラーのベト7とグレイト、ワルターのマーラー第五、などなど、SP盤でのリリースを想定して憂き目を見た名盤は多い。これを艶やかに再生できるかできないかで運命の分かれ道となる。例えば1960年代のQUAD 33プリアンプにはSP盤用に5kHzハイカットフィルターが装備されていたし、デッカの最高級電蓄ステレオ・デコラも五味康祐氏がSP盤の再生が素晴らしいと言っている。いわくイギリス人はけちん坊で、ステレオ全盛の日本やアメリカに比して、SP盤をいつまでも大切に聴いているという理由を添えている。そう、けちん坊なくらいが、古いモノラル録音を愛聴するに適しているのだ。

2.モノラルとステレオの壁
いまさらながら、これはモノラル・スピーカーで聴かないのが悪い。ステレオ・スピーカーで聴くモノラル録音ほど酷い音のするものはないからだ。一番の原因となるステレオ効果とは、ツイーターの先行音効果でウーハーの音を覆い被せるように鳴らしていることで、そうした細工のないモノラル録音は、ウーハーのみで鳴るモゴモゴした音や、高域がハレーションを起こすなど、ともかくトーンが定まらない。モノラル・スピーカーも適切に調整すると、デッカだろうがEMIだろうが、落ち着いたトーンに収まる。一方で、ステレオ録音はモノラル録音への下位互換をもった規格なので、1960年代まで同一演奏でのステレオ盤とモノラル盤が併売されていたし、実際にモノラルで聴いて問題はない。むしろ、同一楽曲の新旧の時代にまたがった演奏の比較だとか、同じマエストロの芸風の変化を追うのに、モノラルでの試聴は非常に役立つ。

3.放送録音とスタジオ録音の壁
かつての放送録音は、マエストロと専属契約したレコード会社から訴訟の種になっていたため、放送サービスの枠を越えてレコードとして販売することは厳禁だった。そこで流行ったのが、AM放送のエアチェックというアマチュアの提供音源という抜け道だった。これもフルトヴェングラーぐらいの大物ともなると、本家EMIもユニコーン・レコードという別働隊を使って大量に海賊盤をリリースしたし、スタジオ正規録音のほうが高音質という株を上げる結果ともなり一石二鳥だった。このほか伊チェトラ、米Music & Art経由の発掘ライブ録音も出回ったし、墺プライザーのORF音源もやはり古ぼけた音だった。21世紀に入って、放送局に眠っていたオリジナルテープが解禁されると、目から鱗が落ちたように鮮明な音で、今までの苦労は嘘のようだった。これらはモノラルながらFM放送用に録られたHi-Fi録音であり、レコード会社を警戒して封印されていたのだ。コンピCDの多くは、こうした猥雑な歴史のなかで生まれてきた、言わば異端児のような存在だといえよう。

では、これらの壁をどう打ち破ろうかについて考えてみよう。

*************************

この手のキワモノ演奏には、決まって宇野功芳さんの名文が添えられていた。氏の批評は、どちらかというと読み手に対峙するような言い方なので、「~がベスト」「(作曲家)と一体となった演奏」という言い方は、むしろ「お前はどう感じるんだ?」という問いかけのように受取っていた。
クラシックの古い録音には所有するオーディオ機器との相性が付き物で、特にライブ録音の海賊盤なら誰もが目にした音楽批評家 宇野功芳氏のオーディオ・システムはと言うと、アンプはマランツModel.7プリとQUAD IIパワー、アナログはトーレンスとSME、カートリッジはシュアーM44-7が古い録音にちょうどいいとした。スピーカーはAXIOM 80を中心に両脇をワーフェデールのツイーター(Super3)とウーハー(W15/RS)で補強した自作スピーカー(ネットワークはリチャードアレンCN1284?1.1kHz、5kHzクロス、箱はワーフェデール EG15?)で、完成品での輸入関税が高かった昔は、部品で購入して組み立てるのが通常だったし、エンクロージャーは自作で組み立てるのが一番効率が良かった。ネットワークは同じユニット構成のために出していたリチャードアレン製を当てがったが、元の構成が12インチ+8インチ+3インチのところを、ワーフェデール Super8が中高域がきついからとグッドマンズ Axiom80(1970年代復刻版)に換えて、さらに低音を増強するためウーハーを15インチに換えた。ただしW15/RSは800Hzからロールオフする特性なので1kHz付近が少し凹んでいたかもしれない。メンゲルベルクのマーラー4番で色彩感が足らないと評しているので、木管のセクションが引っ込んでいるとみられる。


これらは今でいうヴィンテージ機器を新品で購入した当時から愛用しており、これにラックスマンのD500X's(後に同じラックスマンD7、スチューダーD730に買い替え)が加わるわけだが、例えばポリーニのような新しいピアニズムはもちろんのこと、壮年期のアラウさえもちゃんと聴けていなかったように思える。ことフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ワルター、メンゲルベルクのライブ録音への偏愛ぶりは、むしろオーディオの発展史から一歩身を引いた試聴環境にあったように思う。そういう意味では、宇野功芳氏の音楽批評は、一見すると失われた個性的クラシック演奏への懐古のように聞こえるが、実は1960年代のレコード文化の価値観を背負って論陣を張っていた数少ない人でもあったといえる。ドイツ放送録音をさらに音量を上げて聴くノウハウが手詰まりなので、性能としては二流品のワーフェデールの愛用へと向かっていくのだといえる。これでないと音楽の批評ができないとも言っているので、相当のお気に入りなのだと思う一方で、クラシックのレコード批評家のなかではオーディオと録音の相性に関するヴィンテージな課題を早くから認識していた最初の人でもあった。ときおり自宅のオーディオの音質改善の話題を振られても「これ以上音が良くなってもらうと困るから」という断りの言葉が多かった。案外、繊細なバランスの上に立っていたのかもしれない。実際に、宇野氏のオーディオ装置をまねしている人には巡り合ったことはないし、これより遥かに高価なタンノイやクラングフィルムのほうが、ビンテージなモノラル録音には本格的という感じがするがどうだろうか。

宇野功芳氏のオーディオは基本的にヨーロッパ・トーンを目指しているが、それはウィーンフィルのような芳醇な音色を鳴らすことに基づいている。トスカニーニをはじめとしたマッチョなアメリカ系マエストロには非常に辛辣な対応であった。単純に所有するオーディオ装置の高域のデリカシーと引き換えに、中低域のマッシヴな吹き上がりが足らないという感じだろうか。1970年代のカラヤンやベームへの冷たい対応も、それに肉薄するためのダイナミックな馬力が足らないので、表面的に聞こえているようにも受取れる。このように言うのも、アメリカ製のスピーカーならば私のJensen C12Rのような底辺レベルのユニットでも、トスカニーニはガッツリ鳴るし、弦の艶だって負けず劣らず出る。
でも聴くべきところは、トーンの違いではなく、もっと音楽をどのように表現しようかという意志である。例えば、奇人ピアニストとして知られるアファナシエフは、ベートーヴェン交響曲全集はメンゲルベルクとトスカニーニがあれば他は要らない、とインタビューに答えているが、楽曲の解釈の彼岸を模索したマエストロならではの発言である。フルトヴェングラーかカラヤンかなどの議論は遥かに踏み越えているのだ。逆に言えば、古いクラシック海賊盤の批評が宇野功芳氏に一極化していたために、こういう隔たった演奏史観に結びついたのだが、文句を言うならダンマリを決めていた他の批評家に向けるべきだろう。

例えば、チャイコフスキーの悲愴について、戦前の同じ頃に録音されたメンゲルベルク、フルトヴェングラー、トスカニーニの演奏を聴き比べてみると、メンゲルベルクが耽美極まる世紀末ロマンの結晶だとすれば、フルトヴェングラーはスマートな美人を彷彿させる正攻法でありながら意外に淫靡な感触をもっているし、トスカニーニは偉人の劇的な生涯を描いた大河ドラマのように仕上げている。チャイコフスキーの交響曲は、ともすれば交響詩のような固定化された背景を彷彿させるようでありながら、演奏した結果はどれも楽譜通りというものを遥かに超えた解釈を施しえる、古典的なフォルムを有しているのである。

ブラームスが4曲掛けて描いた人生論を4楽章にまとめた作曲家の頭の中(妄想)

同じ意味で、3人の指揮者の個性を最大限に発揮されたのがベートーヴェンの第九である。メンゲルベルクは1941年、フルトヴェングラーは1951年、トスカニーニは1952年だが、トスカニーニの録音時点ではメンゲルベルクとフルトヴェングラーはまだこの世にリリースされていない。評価はどうかというと、フルトヴェングラーは人類の永遠の至宝、メンゲルベルクは超個性的ゲテモノ、トスカニーニは禁書扱いである。しかしトスカニーニのベト全はHi-Fiレコードの先陣を切った名盤で、コロンビアのワルター/NYP盤と比べても双璧だった。そのなかで第九のセッションはトスカニーニも会心の出来栄えで、邸宅のアルテック・プレイバックシステムでの試聴でも、第三楽章でマエストロは不覚にも涙した。いわくダンテの天国編の最後の場面のように美しいと。しかしこうした逸話も、多くのステレオ録音が出回った時点で過去の出来事に片づけられてしまったのは残念だ。

ともかく破天荒な構成の交響曲が今や一番演奏される代表作

チャイコフスキーに話を戻すと、いずれも戦前の世紀末の香りがまだ漂う時代の録音だが、こうした芸風の違いを味わい深くダイレクトに聞き取ることのできるオーディオ環境は意外に少ない。正確なHi-Fi機器でも隔たった解釈を促すとも言えよう。結果的に演奏者に対する表面的でステレオタイプの評価が付いて回り、音楽鑑賞できるレベルに達していないまま通り過ぎるのだ。

*************************

ヨーロッパではクラシック音楽の実況放送も盛んだったが、高級ラジオならスーパーヘテロダイン 2wayスピーカーが1930年代末に既に実装されており、ラジオ放送の好きだった作曲家シベリウスも愛用していた。森の中に建てた一軒家だったアイノラ邸に隠遁しながらも、海外の演奏家に労いの言葉を手紙にしたためたのも、こうしたラジオ放送のお陰であった。ちなみにイギリスでの演奏は隣国のスウェーデンまで海底ケーブルで繋がっており、それをラジオで流せば十分にHi-Fiだった。フルトヴェングラーが1940年末から最新鋭のテープ録音機でマグネトフォンコンサートを放送したのもこの時期だし、1951年のバイロイトの第九も実況中継がスウェーデン放送局でアセテート盤に収録されBISからリリースされたが、いずれも高音質である。


左:テレフンケン Spitzensuper 7001WK(1937年)、右:同 8001WK(1938年)
スーパーヘテロダイン、2wayスピーカーを装備した高級ラジオのはしりとなった
シベリウスは海外を含め自作品のラジオ放送を聴くのを楽しみにしていた

戦後になってドイツは敗戦のハンデとして、受信距離の長い中波~短波の使用を規制された。正確には混信を防ぐための周波数割り当ての欧州会議から席が外されたのだが、これに乗じて整備したのが超短波を使用したFMモノラル放送網の整備である。ドイツ国内のFM放送は1949年のバイエルン放送局を皮切りに1952年には106局に広がり、放送網はドイツ全国に張り巡らされ、各地の放送管弦楽団の設立の後押しにもなった。フルトヴェングラーの録音のうち9割方を占める戦後のライブ録音は、FM放送のために録られたHi-Fi録音である。
1950年代のドイツ製真空管ラジオは、AM放送、短波(SW)放送、FM放送の聴ける仕様で、基本はAM放送の帯域をカバーする楕円エクステンデッドレンジ・スピーカーに対し、筐体の両翼にツイーターを備えて音場感を出す方法がとられた。これはGrundeig社が開発したもので、3D-klang方式と呼ばれる。同じような音場型に高域を拡散する方式は、デッカ社のステレオ・デコラ、テレフンケン社のO85a型モニタースピーカーにも採用された。これらは当時としても最高級のオーディオ装置であった。ただしツイーターに関しては、家電製品のラジオ電蓄と同じものが使われており、異なるのはエクステンデッドレンジに相当するスピーカーがプロ用の大口径になっている点である。アンプ部のほうは、ラジオならEL84やECL82、高級電蓄ならEL34やKT88のプッシュプルと、音響規模によって適切に選択された。いずれも1960年代にパーツとして日本にも輸入されていたが、同じようなスペックで格安の国産スピーカーにうずもれて忘れ去られていった。見た目もラジオと同じ部品が使われているよりも、ステレオの3way、4wayスピーカーのほうが立派なはずである。しかしそれは音楽を聴く道具としてよろしくない。



1950年代のドイツ製真空管FMラジオ(ECL82プッシュプル15W)


テレフンケンO85aモニターシステム:ツイーターはラジオ部品と共用だった


上:デッカのステレオデコラ、下:EMIの同軸2wayスピーカー:同じコーンツイーター

これらをみて分かるように、多くの人はラジカセからステレオへの真の意味でのグレードアップに失敗したのである。1970年代に入ってクラシック録音でのマルチトラック編集が進展するにしたがい、鈍重なウーハーと鋭敏なツイーターの役割がきっちり分離されたマルチウェイ・スピーカーが増えていった。結果的にボーカル中心に編まれたラジオ電蓄の仕様から乖離が進み、過去の録音のトーンバランスが崩れて聞こえる現象が起きたのだ。1970年代以降に録音できたマエストロと、そうでない古参の演奏との崖が生まれているのだ。
さらにモノラル録音では良く言われる、同じウィーンフィルなのにデッカ、EMIとで全く違うトーンに聞こえるのは、イコライザーカーブの違いよりも、ツイーターの癖に影響を受けやすいシステムゆえのことである。これも試聴位置でコンサートホールの響きと同じようにカマボコ型に整えれば、デッカは木管がプリっとしているし、EMIは弦がビロードのように艶やかに鳴る。ただしウーハーは反応のいいフィックスドエッジでなければ、モゴモゴして何を言っているかわからなくなる。フラットで広帯域だから音が正確だというのは甚だ間違った認識なのだ。もちろん初期プレスLPを買っても結果は同じで、ピントのあったオーディオでないと音楽鑑賞なんてレベルに達しないままである。

FM放送用録音
50年間という著作権や専属契約の有効期間を過ぎて、ようやく日の目を見たドイツ放送用録音の数々。すでに音質の悪い海賊盤として出回っているものも少なくないが、意外な名演やレパートリーに出会える点で、実は現在のクラシック楽壇とそれほど変わりないライブな状況が堪能できるのは不思議と言えば不思議である。古参のマエストロから若手・中堅まで放送録音に熱意をもって挑んでいたことが分かる。 
フルトヴェングラー/ベルリンフィル;RIAS音源集(1947~54)

戦後の復帰演奏会から最晩年までの定期演奏会の録音を、ほぼ1年ごとに紹介していくBOXセットで、2008年にリリースされたときには78cmオリジナルテープの音質のクリアさも注目された。ベートーヴェン第九、ブラームス1番などの得意曲が収録されていないのと、英雄、運命、田園、未完成、ブラ3など重複する曲目も幾つかあるが、それが戦後の演奏スタイルの変換を知るうえでも的を得ている。個人的に面白いと思うのが、ヒンデミット、ブラッハー、フォルトナーなどの新古典主義のドイツ現代作曲家を取り上げていることで、それも意外にフォルムをいじらず忠実に演奏していることだ。フルトヴェングラーが自身の芸風と人気に溺れることなく、ドイツ音楽の全貌に気を配っていることの一面を伺える。
ケンペ/ドレスデン国立歌劇場:ウェーバー「魔弾の射手」(1951)

再建してまもないドレスデン歌劇場でのウェーバー没後125周年を記念してMDR(中部ドイツ放送)によるセッション録音で、遠巻きのオケを背景に近接マイクの歌手陣が演じるという、まさにラジオ的なバランスの録音なのだが、鮮明に録られた音はこの時代のオペラ録音でも1、2を争う出来である。1948年から若くして老舗オペラハウスの音楽監督に就任したケンペは、このオペラ・シリーズの録音を通じて世界的に知られるようになり、その後のキャリアを築くことになる。1970年代に同楽団と収録したR.シュトラウス作品集における知情のバランスに長けたスタイルは、既にこの時期に完成しており、ベートーヴェン「フィデリオ」に比べ録音機会に恵まれない初期ロマン派オペラの傑作を、ワーグナー~R.シュトラウスへと続くドイツ・オペラ史の正統な位置に導くことに成功している。よく考えると、前任のライナー、F.ブッシュ、ベームなど、既に新即物主義の指揮者によって下地は十分にあったわけで、そのなかでR.シュトラウスの新作オペラを取り込んでいくアンサンブルを保持していたともいえよう。綴じ込みのブックレットが豪華で、ウェーバーの生前に起草された舞台演出の設定資料など、百聞は一見にしかずの豊富なカラー図版を惜しみなく盛り込んでいる。
シェルヘン/北西ドイツ・フィル:レーガー管弦楽曲集(1960)

シェルヘンが1959年から2年間だけ音楽監督を務めた時代の録音で、驚くほど鮮明な音で録られているのにモノラルという変わり種である。どうやらラジオ・ブレーメンの委託で録音されたらしく、同時期のセッションで独Wergoからシェーンベルク「期待」などがリリースされている。ここでのシェルヘンはあまり爆発せずまじめに取り組んでおり、CPOレーベルのお眼鏡にかなっただけの内容を備えている。フリッチャイ/RIAS響の録音にも言えるが、モノラル録音というだけでレコード化が見送られた放送録音が結構あるのだと思わされる。
F.レーマン/バイエルン放送響:コルンゴルト「死の都」(1952)

ベルギー象徴派詩人ローデンバックの小説「死都ブリュージュ」を元に、1920年に弱冠23歳で書かれたコルンゴルトの代表作だが、戦前は世界各地で演奏された割には、ユダヤ人としてヨーロッパを去った後はハリウッド映画音楽を担当したために、芸術音楽家としての名誉を失ったまま戦後は急速に忘れ去られた。ここでのフリッツ・レーマンによる放送セッションも、ウィーン時代からコルンゴルト自身と知古にあり米国で暮らす姉君ロッテ・レーマンの伝手もあって実現したとも思えるが、舞台再演が1955年、初レコードが1975年のラインスドルフ盤と、同じ時代のR.シュトラウス(ウィーン国立歌劇場の監督時代にこの作品もレパートリーに取り込んだ)に比べてあまり優遇されたものとも言えない状況が続いている。その意味で、この録音に込められた追憶の意味は、二重の意味で黙殺された芸術家の生涯と重ね合わせて、もはや巻き戻しの効かない時間の意味を問い掛けているように思えるのだ。
フリッチャイ/RIAS響:バルトーク管弦楽・協奏曲集(1950~53)

退廃音楽家の烙印を自ら背負って亡命先のアメリカで逝去した20世紀を代表する作曲家バルトークだが、自身が精力的に録音に挑んだピアノ曲以外は、なかなかレコーディングの機会に恵まれなかった。ここではハンガリーで薫陶を受けた演奏家がベルリンに集結して演奏が残されている。一部はグラモフォンのLP盤でも知られるが、モノラル録音ゆえ再発される機会は少なく、訳知りの好事家が名演として挙げるに留まっていた。オリジナル音源に行き着いたリマスター盤は、驚くほどの躍動感に溢れた演奏で、ショルティやライナーの演奏とは異なる弾力性のある柔軟なアンサンブルは、かつてベルクのヴォツェックを初演した頃のベルリン国立歌劇場のモダニズムを彷彿とさせるものだ。
ベーム/ウィーン国立歌劇場:アイネム「審判」(1953)

カフカの長編小説「審判」を元にした新作オペラで、これが初演である。もとの小説は1915年に書かれたものだが、1938年にアイネム自身がゲシュタポに一時的にせよ拘束された経験もあってか、ややサスペンスタッチの緊張感のある音楽となっている。そのなかにジャズや12音技法など、戦時中の退廃音楽の要素を盛り込み、グレーゾーンの折衷主義という自身の作曲家としての立場も混ぜこぜになった、人間誰もが叩けば埃がたつような実存の危うさを表現している。ベルク「ヴォツェック」でも実証済のベームのキビキビした指揮ぶりに加え、実は演技派だったローレンツの主役ヨーゼフ・K、仕事熱心なゆえに冷徹にならざるを得ない警察官フランツを演じるワルター・ベリー、裁判官の妻の立場ながら被告人への慈愛を人間のなすべき務めとして精一杯歌うデラ・カーザなど、自分の社会的立場に一生懸命になればなるほど悲劇へと空回りする人間関係のブラックな一面を巧く炙りだしている。



*************************


古いクラシック録音で、もうひとつ聞き逃しやすいのは、オペラ序曲や劇音楽などの管弦楽曲に対する演奏の評価である。指揮者やオーケストラの力量をと示す代表盤というと、全楽章が揃った交響曲を思い浮ぶかもしれないが、SP盤の時代では全く逆で、序曲や小曲でいかに作曲家の特徴を聴かせるかに、かなりの神経が注がれている。3~5分の少ない時間で「この作曲家の芸術とはこういうものだ」ということを知らしめるのに、指揮者とオーケストラも名誉を掛けて吹き込んでいたとも言える。それはフルトヴェングラーのような巨匠であっても、スタジオ録音でかなりの数の小曲を吹き込んでおり、けして駆け出しの指揮者がクラシック入門のために録音するようなものとして片づけられてはいないのだ。しかしながらこれは、コンピCDになって前後の脈略もなくカタログのように押し詰められた状態で聴くと、どうしても感想が散漫になってしまいがちなところであり、もう少し実際のコンサートに近いプログラム構成を考えてほしいように思っている。もちろんレコードならオペラや劇音楽の全曲も好きなときに聴けるが、その序曲や間奏曲が単独で取り上げられるのはけしてオマケではない。オーケストラの存在理由をたった3分で示せるだけのエッセンスが詰まっているのだ。

かなり個性的な序曲ゆえに独立した楽曲として取り上げられる名曲たち

正規音源のアンソロジーなのに評価の低いコンピCD
一時期、初期プレスLPを板起こしするレーベルが竹の子のように生え出でてきて(バイロイトの第九だけでも10種を越える)、本家のレコード会社のバジェット盤が胡散臭いように見られていたが、汚名挽回とばかり良質なリマスター盤を出している。しかし悲しいかな、整った音で整理整頓されたアーカイヴはマニアにあまり魅力がないらしく、お祭り騒ぎにはならない。ひとつはBOXまとめ買いの価格がそれなりにお高いこと、それとSACDでのリリースではないこと、多くの人が苦手なSP盤復刻が半分ほど詰まっていること、枚数を稼ぐため小曲が無駄に詰め込まれていると感じる点などである。一番悪いのは、良くも悪くも既に評価が定まったということで、リリース側でも苦心に苦心を重ねたリマスターに対し、中身を検証せずに「あのマエストロのあの曲」という感じでステレオタイプにスルーしている点である。
トスカニーニ生誕150周年記念ボックス

既に大量のCD復刻を終えているだけに、150周年はトスカニーニの長い録音歴をたどるエッセンスを集めた控えめなセットとなったが、このなかに収められている戦前のフィラデルフィア管とのセッション録音が非常に良い復刻で、高域を10kHzまで伸ばした正統なHi-Fi録音であるにも関わらず、ストコフスキーの大げさなパフォーマンスで盛り上げる感じではなく、トスカニーニがまじめに大オーケストラを振るとこんな感じになるという、面白い化学反応が味わえる。
もうひとつのお祝い品は、フォルスタッフ、オテロ、ラ・ボエームなど1940年代のイタリアオペラの録音が元のSP原盤から復刻されたことである。これらの録音はLP発売以前に78rpm盤で企画されて録音がはじまったが、いざ発売しようとした段に入ってLP販売がアナウンスされてリリースにストップがかかり、紆余曲折のうちにエコーやイコライザーでの音質改善(?)が付加されてテープ編纂され、元のキレキレのアンサンブルが失われたと批判されていた。この記念ボックスには、その原盤と思わしき音源を収録してあり、その割に話題にならなかった不思議なセットとなった。ご多分に漏れず、悪評高い8Hスタジオでのドライな音ということが前面に出ているため、敬遠している人も多いのだと推察される。
結果はどうかと言うと、ともすると力で押し負かそうとする感じも無きにしも非ずなトスカニーニの激情が、実はドラマの転換に機敏に対応した歌手とオケの一体感のあるアンサンブルを目指していたことが判る。それは歌手の大見得を切ったパフォーマンス毎に拍手喝采で遮られることもなく、プロンプターのささやき声を待って歌い出すようなこともない、理想的な状態でのオペラ上演のかたちを願ってやまなかった、トスカニーニの熱情そのものである。ルネサンス期のフレスコ画になぞらえると、太い筆でなぞり描きしたような修復が施されていたのが従来の盤、その上塗りされた油絵具を丁寧にふき取って本来のディテールと色彩を取り戻したのが本盤ということになろうか。いずれにせよ、ちゃんとしたモノラル試聴環境を整えてから聴くことをお勧めする。
フルトヴェングラー正規レコード用録音集大成(1927~54)

フルヴェンの録音は9割が戦後のライブ音源で占められ(ほぼ日記のようにリサーチされている)、スタジオ録音はむしろ後に押しやられている感じもするが、こうして聴くと巨匠が本当は何を言いたかったのか、そういう感慨にふける。最初の1927年吹き込みこそ本人が破棄してくれと懇願したというし、1937年のインタビュー「音楽を語る」ではレコード売り上げを意識したコンサート・プログラムを大衆迎合的だと批判したりしたのだが、ここではそんな自己批判を跳ね返す内容であることを慎重に吟味した内容であると信じたい。アビーロードからArt&Sonへ委ねられたリマスターは、丁寧な盤面のリサーチでニュートラルにまとまっており、これまで戦後のHi-Fi録音しか注目を集めなかったSP盤用に録られた1951年までの約半数の録音もそれなりに聴けるのはありがたい。
録音年代では1927年のセッションはまだラッパ吹き込みと変わりない状態だが、アビーロードスタジオが建設された1931年頃から、WEの録音機材が導入されたのか音質が安定してきており、1937年には有名な運命、悲愴のほか、コヴェントガーデンでのワーグナー指輪抜粋も非常に明瞭な音で蘇っている。1940年代はラジオ用のマグネトフォン・コンサートでの収録がメインなので商用レコードはご無沙汰だが、販売の見送られた1943年のハイドン変奏曲、田園も、マグネトフォン録音のウラニアのエロイカなどと遜色ないHi-Fi音質。戦後1948年から販売が再開された英雄、ブラ1,2などもニュートラルに収まっている。意外に話題にならなかったのが、EMIのベト7のオリジナルテープ発掘だが、ニュートラルになりすぎたきらいもある。
1950年代の超有名盤は無限のリマスター盤でお騒がせしているが、過去の録音との比較が高次元で可能となったこのBOXセットの存在意義は大きいように思えた。単純にフルヴェンのセッション録音は、晩年様式と言われるものに近いスタンスを作品と取っており、どんな演奏したか分からなくなるほど意識が飛んで無我夢中に演奏するライブでの興奮状態とは違う。普通に作曲家の作風を従順に伝えようとする、ドイツ人のカペルマイスターとしての責務を果たしていると言えるのだ。そこをバイロイトの第九や復帰演奏会の運命などによって、パンドラの箱を開けてしまったのが現在地点というべきだろう。巨匠本人がどう思っているかは伺い知る由はない。
ジネット・ヌヴー/EMI録音集(1938~48)

名教師カール・フレッシュの秘蔵っ子で、15歳でヴィエニャフスキ・コンクールでオイストラフを抜いて優勝した後は、早いうちからレコーディングを行っていた。これは飛行機事故で亡くなる前の18~28歳の間にEMIで録音されたものだが、全てSP盤でのリリースで、後のLPは復刻盤にあたる。このため、その名声に関わらずなかなか良い音源に行きつかなったが、仏Art&Sonスタジオの念入りなリマスター(本人たちも一番のお気に入り)で、それにふさわしい輝きのある音で蘇った。これ以降、アビーロードスタジオは自らリマスターすることをやめて、Art&Sonに委ねることとなった。
ロジンスキ/クリーヴランド管 コロンビア録音集

コロンビアレコードがソニー傘下にはいって、一番幸福だと思えるのが古い録音のデジタル・アーカイヴである。詳細は分からないが金属原盤から復刻したと思わしき鮮明な音で、本当に1940年代初頭の録音なのかと思うほどである。しかしLPでもあまり出回らなかったマイナーなアーチストを丁寧に掘り起こし、文字だけなら数行で終わるようなクリーヴランド管の原点ともいうべき事件に出会ったかのような驚きがある。録音として優秀なのは「シェヘラザード」だが、個人的に目当てだったのは初演者クラスナーとのベルクVn協奏曲で、英BBCでのウェーベルンとの共演では判りづらかったディテールが、最良のかたちで蘇ったというべきだ。
バルトーク/ピアノ録音集(1929-45)

フランツ・リスト・ピアノ・コンクールに出場するほどのピアノの名手だったバルトークがプタペスト、ロンドン、アメリカと住居を移動しながら残した録音の全体を網羅したフンガトロンの意地を感じる6枚組CDである。最初にヴェルテ=ミニョンのピアノロールの録音(これは普通にテープ収録)から始まり、その後にSP盤の復刻が続くが、ちゃんとトーンを合わせて丁寧に復刻していることが判る。このアンソロジーの面白いのは、自作自演だけでも初期の「アレグロ・バルバロ」から晩年の「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」まで器楽作品の変遷を画いている以外に、コダーイと共同で編曲したハンガリー民謡集なども律儀に網羅している点である。こちらはカントループ編曲オーヴェルニュの歌とやや似た趣があり、バルトークのピアノが絶妙なルバートを交えて非常に雄弁に背景を画いている。



*************************


一方で、ステレオ時代のレガシーを振り返ると、意外なことに1970年代を過ぎようとしたときには、1960年代のオーディオ機器は既に性能が追いつかないことが分かるだろう。1990年代の古楽復興の録音では奥行のないサウンドステージすら嘘めいて聞こえる。逆に1990年代以降のデジタル対応したステレオ機器では、1950年代のステレオ録音で雰囲気のよい音場感を出そうとしても難しい。モノラルの優秀録音でさえ、アンバランスで貧弱に聞こえる有様である。これが正統なオーディオ技術史なのだが、進化し続けるゆえに、滅亡も早い時期におとずれた。


かつては歴史的名盤として知られたモノラル優秀録音たち
しかし、この時代にちゃんとしたオーディオ機器は皆無に等しかった

1960年代の代表的ステレオスピーカーAR-3a:広帯域=能率が低いことでも有名だった

日本で人気の高かったBBCモニターの系列(KEF、ハーベス、ロジャーズ)
補正回路付きのネットワークが激重だったことでアンプは限定された


色とりどりの初期ステレオの決定的名盤たち


懐かしき1970年代前後の日本製マルチウェイスピーカー
(ダイヤトーン、パイオニア、コーラル、テクニクス、オンキョウ、ビクター)

真面目に設計されたモニター調スピーカーの名作(日本ビクター、ヤマハ、ダイヤトーン)




優秀録音から超優秀録音へ:もはや後戻りできないオーディオファイルの数々
(タンノイ、JBL、マッキントッシュ、B&W、ウィルソンオーディオ、アポジー)

聖堂でのセッションが多くなった20世紀末はサウンドステージが意味を成さなくなった


さらばステレオ!
※モノラルを愛する人にはこのロゴの使用を許可?しまする




ページ最初へ