【ロックの鳴らない日はない】
古い録音を色々と聴いていると、ロックの定義は難しいと思う。それ以前からあったR&B(リズム&ブルース)との違いはそれほどなく、ロック・バラードとソウル・バラードの違いを問われても、私はなかなか言い当てられない。もっと煩わしいのは、ビートルズ以前と以後にヒット曲を分けることで、ビートルズ以前はオールディーズとかルーツ・ロックとか言われる。映画スターウォーズで有名なジョージ・ルーカス監督が初めてメガホンを取った映画「アメリカン・グラフィティ」は、オールディーズという用語を生んだのだが、なんと偶然にも、1962年というビートルズのデビュー直前の時代を切り取り、封切られたのがビートルズ解散後の1972年であった。聴いてみると分かるのだが、ヒットした曲を見渡してもジャンル分けがないばかりか、白人だとか黒人という差別などほとんど感じさせない。それはロックンロールの名付け親アラン・フリードが懇意にしたミュージシャンでもそうだったし、むしろクリーヴランドのレコード屋で白人の若者が黒人のR&Bで楽しく踊っているのを見て衝撃を受けて、それらをロックンロールと名付けてラジオで流したのが切っ掛けだった。ロカビリーの誕生秘話だって、個人的には眉唾物だと思っている。エルヴィス・プレスリーだって最初にラジオで流れたときは黒人歌手だと思われていたからだ。つまり現在のジャンル分けは、それが当時のヒットチャートの呼び名に基づいているだけで、楽曲の内容を差しているのではないのだ。
通称アメグラ映画と日本で流行ったアメカジ(ボストンバッグ、スニーカー、スタジャン)
ロックンロールの名付け親アラン・フリード主催のムーンドッグ・ショウ(1952)
しかし、オールディーズがそう言われる一番の理由は、1950年代初頭に登場したロックの大半が、78回転のSP盤でのリリースだったことだとしたら、どう思うだろうか? これは、1930~40年代のスウィングジャズにも言えるのだが、とかくSP盤となるとスクラッチノイズの雨あられで、高域に強いフィルターを掛けた復刻盤が多く出回ったことで、遠い昔の冴えない音楽と思われがちなのだ。では録音が古いから悪いのか? 私はそうは思わない。むしろ現在のオーディオ技術との相性が悪いからだと思っている。相性が悪いと言えば、まだ優しい言い方で、ハッキリ言えば、現在のオーディオ機器はモノラル録音が汚く聞こえるように造られていると断言できる。全くもって酷い話である。
ビル・ヘイリー&ザ・コメッツ(1954)、エルビス・プレスリー(1955)、プラターズ(1958)
どれも78rpmのスタンダード・プレイ・レコード(SP盤)で販売された
SP盤時代のジュークボックス(Rock-ola ST39、Seeburg 8200、Wurlitzer 1015)
ボーリング場でミルクシェイクを飲みながら歓談する若者(1940年代)
マミー・ヴァン・ドーレン(1955)、ポール・マッカートニー(1985)
オールディーズをキレ良く迫力をもって再生できるオーディオ機器は、意外にも新しいロックの演奏でもノリ良く再生できる。理由は簡単である。ロックバンドで、ドラムを叩き、エレキギターを弾くという基本形はほとんど変わりないからだ。では、モノラルでロックを巡る旅に出よう。
【美しき野蛮な音楽】
英語で言えばWild Beautyということになるのだろうが、エレキギターのキーンと鳴る響きはどこから来たのか誰も話さない。ブルースメンのスライドギターがその始まりだとされるが、かのアフリカの地にはそういう音楽は無いのだ。というより、アフリカ音楽は呪術的なものを除けばもっと洗練された地中海寄りのものだと思う。では、あの荒々しい響きはどこからやってきたのか?
まだ南部デルタに居た頃のマディ・ウォーター、ウッドストックに引き籠もり中のボブ・ディラン
ヒントはアメリカの一部の地域で残るLinningという賛美歌の歌い方である。それは、南部デルタに残るゴスペルの歌い方にも似ており、単純なメロディーの一音一音を引き延ばして、きついアレンジを付けて歌うやり方だ。16世紀初頭の文献を読むと英国のプロテスタント教会で会衆賛美が始まった頃、ギリシアでの聖歌の歌い方に倣っていたのだと言われる。しかし西洋式の合唱方式が導入されて以降、現在ではギリシア正教会でも一部のアトス山の修道院や、エチオピア正教会、シリア正教会などに残るのみである。19世紀末にはスコットランドのゲール語(ケルト語)を話す地域に残っていたため、16世紀に傭兵として雇われたドイツ人から教わったのではないか、などとコメントしているものもあった。
VIDEO
スコットランドのルイス島に残るゲール語詩篇歌の歌唱
しかし、17~18世紀の文献を読むと、これが英国全土に渡り行われた悪しき慣習のひとつであり、18世紀末には「身の毛もよだつような無茶苦茶な調子っぱずれの騒音」と非難され、楽譜通りに歌うこと(Sing
by Note)を無料で教える歌唱学校(Singing School)まで生まれた。現在のボストンやニューヨークの交響楽団は、こうした歴史の中で生まれたのだ。一方で、保守的なグループは楽器などの伴奏による近代化の波を嫌って、さらに南部の黒人たちに引き継がれたとみるべきだと思う。そうしたジャズやスライドギターのアレンジが20世紀初頭にまで遅れたのは、アフロ・アメリカンが楽器を手にしたのが、その時代まで待たなければならなかったからだ。蓋を開いてみると、ボードビル芸人のようにストリートで客を呼び込み、ビジネスとして生活の糧にしていたことがアメリカ的な音楽に発展していくことが分かる。ギターを持とうが、ハープ(ハーニモニカ)を咥えようが、古えの歪んだ歌声の記憶が引き継がれていったのだ。
農場でカズーを加えたジャグバンド、シカゴMaxwell Streetのブルースバンド
Medicine Showの人形劇の呼び込み、Juke Jointで踊り明かす青年たち
このルーツに添うと、当初は17世紀バロック期のイギリスの長老派や会衆派教会で聖なる行為として始まったLine out唱法が、18世紀末に近代化の波に押されて社会的に黙殺されたが、心の奥に引っ掛かっていた響きを忘れることなど出来ないまま歌い継がれていった。しかし、そのサウンドはかつての聖なる物としてではなく、社会秩序に抗うカウンター・カルチャーや人種問題と結びつくように理解されていたのだ。そのためには、ステレオ音響で造りこまれたスタジオワークを丹念に追い求めるよりは、もっとタフなオーディオ機器が必要になるのだが、それは結果的に時代毎の録音状況に左右されずに、ミュージシャンのパフォーマンスに接することに繋がっているように思う。
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こういうヒットチャートから一歩離れた(というか荒野を目指す)考え方を持つ、私のCD音源の蒐集は、社会的な秩序から疎外されたアウトローを大衆として受け容れるシシュエーションを追い求めている感じもある。実際に自分のなかの評価は、より現実に近いフィールド録音やブートレグの類である割合が多いのだ。
レベル1:ロックと呼ぶにはまだ早い
何にでも前史というのはあるのだが、ことロックに関しては、アメリカ音楽のほとんど全てが関連しているということができる。しかも社会的にはマイナーな立ち位置から発する音楽に、より深いシンパシーを感じるというアンダーグランドな世界観が、より一層
個の存在を引き立たせることが起こっている。それは移民社会としてアメリカ人の誰もが体験する孤独感とも結びついているようにも思われる。世界の辺境で人間性に目覚めていく過程を音楽で再現するとこうなる、というロックの地平に立っているような気分になるのだ。
Gaelic Psalms From Lewis(1975)
アメリカではLine outと言われる歌唱だが、これはBBCがスコットランドのルイス島で録ったドキュメンタリー音源。これが下のオールド・バプテスト教会に引き継がれたのは、けして偶然ではない。ブリテン島でこの歌唱を行うものはこの地域に限られているが、それはケルト系のゲール語で歌う詩篇歌が、17世紀以来引き継がれているからだ。17世紀に出版された元のチューンは、4行詩のためのシンプルな楽譜だが、ここで聞かれるように心を込めて歌い崩すことが、当時の人の流儀だったのである。ちなみに歌っているのは、ヒッピー風のちょいワルおやじの集団ではなく、生真面目な長老派教会の人々で、19世紀に英国教会の讃美歌集に反対して17世紀風の歌い方を継承した人々である。
ゴスペル・シップ/バプティスト派の聖歌集(1977)
民謡蒐集家としてのアラン・ローマックスの仕事は、今ではアメリカ音楽を語るうえで無視できない存在になりつつある。これはその一環で、衝撃的なのが前半のケンタッキーに散在するバプティスト派教会のなかでも最も保守的な教派の聖歌集である。いわゆるLine
outという方法で歌われており、南部デルタ地方に残るディープなゴスペル・アレンジのご先祖様にあたるもので、歴史的にはかつてのイギリス本土での会衆讃美が全てこの方法によっていたとされる。もちろん会衆は白人であるが、あまりに長くコブシを振り回して歌うため、元のチューンなど跡形もなく崩されている。18世紀末に「身の毛もよだつような無茶苦茶な調子っぱずれの騒音」とまで評された唱法は、南部デルタのやはり保守的な黒人教会に受け継がれ、やがてエレキギターやシャウトに乗り移っているようで、アメリカ人が抱いてきたJoyful
noise(詩篇98他)の精神史なのだと思う。
Sorrow Come Pass Me Around/1965-77
ブルース蒐集家のDavid Evansによる珍しいゴスペルのフィールド録音を掻き集めたレコード。のっけから荒々しいドラムとお手製のファイフを吹くジョージア州のドラム・バンドに驚かされるが、普通のフォーク・ゴスペルから、南部ではよくみられたアカペラの即興歌唱など、奥の奥まで納めている。有名無名を問わずどれもが輝く原石のような異彩を放っているのは、それがその人自身の存在理由を雄弁に語っているからだ。
ニューポート・フォーク・フェステlバル(1959)
長い歴史をもつフォーク・フェスの第1回目の記録。呼びかけ人には、アメリカ中の民族音楽をフィールド録音で蒐集したAlan Lomax氏が含まれており、フォークブームが起こった後の商業的なものではなく、むしろ広義のフォーク(=民族)音楽の演奏家が招待されている。屋外会場ということもあり録音品質は報道用のインタビューで用いられるものと同じもので、フォークは言葉の芸術という感覚が強く、特に楽器にマイクが充てられているわけではないのでやや不満が残るかもしれないが、狭い帯域ながら肉厚で落ち付いた音質である。
朝日が出るまで踊っちゃうぞ/1898-1923のラグタイム、ケークウォークス集
(I'll Dance till de Sun breaks though)
エジソンがレコードを開発した後、ベル研究所と組んでダイヤモンド・ディスクという円盤蓄音機レンタル業を始めたのはあまり知られていないが、現在のジュークボックスの前身のようなものだ。エジソンの合理的な嗜好は、たとえそれが差別されていた黒人音楽であっても面白ければ何でも録音していったもので、それはまだ無名の亡命ロシア人ピアニストのラフマニノフにまで及んだ。ここでは20世紀を挟んでニューヨークやロンドンを中心に演奏されていたダンス・ミュージックを蒐集したもので、いわゆるラグタイム、いわゆるケークウォークス、というような無名の奉仕者によって提供されたおもちゃ箱のようなレコードである。
White Country Blues, 1926-1938: A Lighter Shade Of Blue
戦前ブルースというとただでさえキワモノ扱いされやすいのだが、このアルバムは白人のカントリー・ブルースに光をあてたキワモノ中のキワモノ。とはいえ、当時は過酷な労働条件の下で抑圧されていたアイリッシュなどが居たわけで、そうしたなかから現代に通じる極上の娯楽音楽が生まれたというのも全く嘘ではない。この録音集は当時の商業録音をピックアップして2枚のCDに収めたものだが、ブルース&アイリッシュ&ボードビル…スライドギター、フィドル、ハープ(ハーモニカ)、ヨーデルなど、創生期のカオス状態がエッセンスとして記録されている。南部音楽への差別的な扱いもあって、録音状態は必ずしも良好ではないが、ソニーがUSAの御旗を掲げての事業とあって、かなり力の入った復刻となっている。最初のスライドギターの一音から1929年という古さは全く感じられない。
ジミー・ロジャース(1927~32)
「歌うブレーキマン」として機関車の火夫の出で立ちでカントリーソングを歌った最初のスターである。RCAビクターに吹き込んだヨーデル節の歌はその数110曲にもおよび、おそらくギネスブックものだと思う。19世紀のミシシッピ生まれで、生まれつき病弱だったせいか父親と共に田舎に引っ越し、少年時代にメディスンショウ(薬売りの余興)の一員として南部地方を周った経験もあるという。堅気な仕事として働いた鉄道員も病弱のためリタイア、歌手として自立することを決意するものの、仲間のカントリーバンドからは嫌われ、結局ソロ活動へ転身したのが、結局はフォーク・スタイルを確立したというべきだ。おまけと言っては豪勢な同業のカントリーミュージシャンの貴重な音源もCD1枚分付いている。
ヘンリー・トーマス全録音集(1927-29)
黒人のブルースマンとしては、クウィルというパンに似た笛を使った放浪芸人で、スクエアダンス、ラグタイム、ブルースと、まるで生きたアメリカ歌謡史のような芸風をもった人である。クウィルのなんともひょうきんな音色がいとおかしで、これを聴くだけでもこのCDの価値はある。
Good time Blues(1930~41)
戦前のジャグ・バンドを中心に、大恐慌を境に南部からシカゴへと移動をはじめた時期のジューク・ジョイント(黒人の盛り場)での陽気な楽曲を集めたもの。バケツに弦を張ったベース、洗濯板を打楽器に、水差しをカズーにしたりと、そこら辺にあるものを何でも楽器にしては、大恐慌を乗り越えようとたくましく生きた時代の記録だ。よくブルースがロックの生みの親のような言い方がされるが、ロカビリーの陽気さはジャグ・バンドから引き継いでいるように思える。ソニーが1988年に米コロムビアを吸収合併した後に、文化事業も兼ねてOkeh、Vocalionレコードを中心にアメリカ音楽のアーカイヴを良質な復刻でCD化したシリーズの一枚。
ロバート・ジョンソン全録音1935-37
ブルースギターのなかでも悪魔に魂を売ってギターが巧くなったという、クロス・ロード伝説という曰くつきのレコードが、このロバート・ジョンソンの録音である。ともかく他のブルースメンの演奏を抑えて人気が出たのは、アコースティックギターで分かりやすくブギウギのリズムを刻んでくれているからではないか? そんな勘ぐりを与えてしまうほど、模範的に聞こえてしまうのだから、これとマディ・ウォーターのシカゴブルースとは、おそらくギタリストのほとんどが聞いたのだと思う。奇跡のように謳われたクロスロード伝説も、この年代がデルタブルースを流しで囘るミュージシャンの最後の頃だった分岐点だったからだと言える。
Aristocratレコード/ブルース録音集(1947~50)
ブルース・ファンなら泣く子も黙るチェスレコードの前身のレーベルによる、シカゴブルースの誕生を告げる戦後の録音集で、エレクトリック化の途上にある演奏記録でもある。まさにJensenスピーカーの第二期を象徴する録音だが、当時はまだSP録音、それもライブ同様にクリスタルマイクでのダイレクトカットで録音された。この時期と並行してテキサスのサン・レコードのロカビリー、さらにニューヨークのアトランティック・レコードのR&Bなど、新しいジャンルが産声を上げていたが、そのどれもがJensenの拡声技術と深く関わっている。まさにアメリカン・ポップスの原点となるサウンドである。
フォギー・マウンテン・ブレイクダウン/フラット&スラッグス(1948~51)
ブルーグラスの創生期に演奏スタイルを確立した2人によるマーキュリー在籍時の16/30曲の記録。映画「俺たちに明日はない(1967)」の挿入歌として使用されたため、それこそずいぶん昔からあったのだと思いがちだが、ジャンルを確立したのはそれほど古いことではない。当時から完成度が高かったためコテコテの関西漫才のように思われがちだが、バンドを結成したてのこの時期の録音がどうもベスト・パフォーマンスだったらしく、まだアセテート録音機の時代だったが十分にハイファイに録れていると思うのは、演奏に勢いがあり青臭く初々しい雰囲気が漂っているからだと思う。
The Original Hits of the Skiffle Generation(1954-62)
スキッフルは、アメリカ南部のジャグ・バンドを模したフォーク音楽の総称で、イギリスではバンジョー奏者のロニー・ドネガンが、ディキシーランド・ジャズ・ショウの幕間に演奏してから人気が徐々に出たといわれる。この3枚組CDは、立役者だったロニー・ドネガンを中心に、前身のケン・コリアのバンド、ライバルだったヴァイパーズ、その後のブルーグラス・バンド、クリフ・リチャードのロカビリーなどを織り交ぜている。音質は非常に鮮明で、英デッカの底力を感じるものとなっている。
スキッフルの楽器構成は、メインのフォークギターの他は、ウォッシュボードのドラム、紅茶箱を胴体にしたベースなど、誰でも手軽に楽器を持てたため、労働階級を中心にアマチュアバンドの人口も3~5万人ともいわれ、1956年のロニー・ドネガンのデッカ録音以来、スキッフルはUKチャートでも毎年上位を占めるほどの人気だった。その人気を打破したのがビートルズをはじめとするマージー・ビートだった。しかしこれをカントリー・ウェスタンの派生種だと片づけるには、あまりにロック魂が宿りすぎている。ロニー・ドネガンのボーカルのアクセントは、インテンポの喰い付きが強くてアウトビートの浅いもので、これはマージー・ビートのバンドが「プラスチック・ソウル」と揶揄された同類のものである。ビートルズのBBCライブと聴き比べれば、R&Bナンバーでも歌い口がほぼ同じテイストだと判るだろう。
ちなみにビートルズ絡みでは、リンゴ・スターも学校を辞めて工場務めをしていた頃にスキッフルバンドをやっていたし、ジョン・レノンが学生時代にはじめたクオリーメンというバンドもこれに類するものといわれる(というよりそれ以外の呼び名がはっきりしていなかった)。何よりもデビュー盤の「ラヴ・ミー・ドゥ」は、ロックンロールでもブルースでもなく、スキッフルというほうが合点がいくだろう。同時期に日本ではロカビリーのことをウェスタンと呼んでおり、米サン・レコードが発祥だったりするためカントリー音楽の派生形だと思われていた。ロックのカウンター・カルチャーとしての立ち位置を確認するうえでも重要だと思う。
ブルービート/スカの誕生(1959-60)
大英帝国から独立直前のジャマイカで流行ったスカの専門レーベル、ブルービート・レコードの初期シングルの復刻盤である。実はモッズ達の間では、このスカのレコードが一番ナウいもので、ピーター・バラカン氏が隣のきれいなお姉さんがスカのレコードをよく聞いていたことを懐述している。ノッティングヒルに多かったジャマイカ移民は、このレーベルと同時期からカーニバルを始めたのだが、ジャマイカ人をねらった人種暴動があったりして、1968年に至るまで公式の行事としては認可されない状態が続いていた。それまでのイギリスにおけるラヴ&ピースの思想は、個人的にはジャマイカ人から学んだのではないかと思える。ともかくリズムのノリが全てだが、それが単調に聞こえたときは、自分のオーディオ装置がどこか間違っていると考えなければならない。
レベル2:ロカビリーかR&Bかそれが問題ではない
ジュークボックスの全盛期と言えば聞こえがいいが、録音としては78rpmのSP盤から45rpmのドーナッツ盤でコレクターが分断され、さらに次世代ではモノラルかステレオでも分断されるため、意外に喰いつきが難しいのが実際である。よくミュージシャン毎にクローズアップしたベスト・アルバムというかたちで鑑賞することを勧められるが、リアルタイムでは、レコード売り上げ、ジュークボックス、ラジオのリクエストと、ヒットチャートに追いまくられる日々であった。ラジオDJとして影響力の強かったアラン・フリートは、レコード会社から資金を提供されてリクエストを操作していた”ペイ・オーラ事件”(ジュークボックス製造のロック・オーラ社をもじった命名)に巻き込まれ、一気に業界から追放された。こうして1960年代半ばには、一気に世代交代が進んだかのように思われるのだが、流行という枠を超えて聴き続けられる理由を探すのも、オーディオ技術の在り方と交錯して思案のしどころである。
メンフィス・レコーディングスVol.1/サン・レコード(1952~57)
戦後のロックンロールの発展史を語るうえで、ニューヨークやロスのような大都会に加え、メンフィスという南部の町が外せないのは、まさにサム・フィリップスが個人営業していたアマチュア向けのレコード製作サービスがあったからである。地元のラジオDJをしながら黒人音楽を正統に認めてもらうべく追力した人で、このコンピにあるようにエルヴィス・プレスリー、ロイ・オービソン、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュというスターたちのデビュー盤のほか、正式に会社として運営する以前に発掘したミュージシャンに、B.B.キング、ハウリン・ウルフなどブルース界の大物も控えていて、多くはサン・スタジオで録音したレコードを名刺代わりにキャリアを積んでいった。このシリーズはサン・レコードのシングル盤全てを復刻するものの1巻目にあたり、10枚組180曲という膨大な記録でありながら、そのどれもがジャンルの垣根を跳ね飛ばす個性あふれるタレント揃いであり、上記の大物スターはまさに玉石混交の状態で見出されたことが判る。元のリリースがSP盤なので、ハイファイ録音と勘違いすると少し面喰らうが、逆によくここまで状態よくコレクションしたものと感心する。
アラン・フリードのロックンロール・バーティ(1950年代)
ロックンロールの名付け親、名物DJのアラン・フリードが催したコンサートの様子を収録したもの。オムニバス形式で、有名無名のバンドが次々紹介される。既に名声を得ている人もいるわけだが、フリードの頼みとあって1曲だけの演奏でもキッチリ歌ってくれる。しかし、若者の歓声の凄さは半端ではなく、当時のダンス狂の片鱗を伺わせるに十分である。
Cruisin' Story 1955-60
1950年代のアメリカン・ポップスのヒット曲を75曲も集めたコンピで、復刻音源もしっかりしており万人にお勧めできる内容のもの。ともかくボーカルの質感がよくて、これでオーディオを調整するとまず間違いない。それとシンプルなツービートを主体にした生ドラムの生き生きしたリズムさばきもすばらしい。単純にリトル・リチャードのキレキレのボーカルセンスだけでも必聴だし、様々なドゥーワップ・グループのしなやかな色気を出し切れるかも評価基準になる。
ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962~65)
ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。
Goffin & King Song Collection(1961-70)
キャロル・キング夫妻の初期のポップ・ソング集をカバーも含めてあちこち集めた英エースによるオムニバス4枚。一般に楽曲紹介は最初にヒットしたシングルで勘定されることが多く、「ビートルズがオールディーズを駆逐した」なんてくだらないことを言う人が多いので、その後の歌の行方についてあまり関心が向かないが、最初の時期のR&B、ロカビリーに加え、時代の流れに沿ってロック風、ソウル風、サイケ風など、歌い手の自由に任せて料理しても、素材の良さが生きているのはさすがだ。デビューして10年も経っていないのに、この時点で、コール・ポーターやアーヴィング・バーリンなどのソングライターと同じような境遇に預かっているのだから本当におそれいる。それも従来から言われるビジネスモデル主導の芸能界ポップスなんていう気配は微塵もなく、リスペクトしているミュージシャンたちが本当に気持ちよく演奏している様子が伝わってくる。
英エースの仕事ぶりも徹底していて、企画段階から正規音源を掘り当てリマスターも丁寧に施され、ジャケットと演奏者の写真も解説と共にしっかり収められている。ブリル・ビルディングの音楽業界を画いたケン・エマーソン
著「魔法の音楽」の巻末に載せても良いくらいの資料性の高さをもっている。ただの寄せ集めコンピのように盤質の良否による玉石混交のような音質の変化も気にならないし、こなれたベテランのラジオDJのように、自然な流れのなかでミュージシャンの個性が際立つように1枚1枚が編集されている。新旧世代の入れ替わりを象徴するように、モノラル、ステレオが半々で混在しているが、これをいちいち頭を切り替えて聴くなんてバカの骨董のようなものだ。全部モノラルにミックスして聴け。
The in cloud - mod collection 1958-67
英国のモッズが好んだR&Bやソウルを掻き集めたコンピCD4枚BOX。候補は1000曲あったというが、100曲まで絞るのに地雷を踏まないか、かなり悩みながら選別したと書いているが、2001年の時点でともかく良質な音源を集めて、解説の冊子も凝ったレイアウトで、先見の明のあったものだと思う。これの4枚目のようにビートルズや他のマージービートのバンドが、多くのR&Bやソウルのカバー曲を自分のアルバムに収録しているが、アメリカの黒人ミュージシャンからはプラスチック・ソウルと偽物呼ばわりされていたが、そのオリジナル音源という位置づけらしい。出た当時に買っていたのを忘れていたのが個人的には残念な感じ。
レベル3:沸騰したロックからはじけ飛んだ音楽
ロックがいきなりヒートアップしたのは、何を隠そうビートルズがライブ活動を止めた1966年からである。それまでグルーピーの絶叫の嵐に埋もれて演奏どころではないPAの性能が、ビートルズがそれを理由に解散の危機に陥ったことへの、業界を挙げてのテコ入れなのだと思ったほうが良いだろう。ここに上げたのは私の最愛のアルバムを厳選したのであって、おそらくこんなだけでは語りつくせないだけ個性的なバンドやミュージシャンが山盛りだった。カウンターカルチャー(反政府文化)なんてのも、人種も違えば立場も違うような感じで、それだけでロックを語るのも偏見だと思っている。ソウルもファンクも、エレクトリック楽器をPAに取り入れていく過程で、ロックのスタイルと融け込んでいった。それは同じステージで勝負していた時代の象徴なのだ。
追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン(1965)
フォーク・ロックの金字塔的な作品と言われながら、どこか乾いて青白い米コロンビアのサウンドが、ささくれた現実を突きつけているようで、ロックが反体制的な象徴だった時代の一番尖っているアルバムだと理解していた。相変わらず難解な詩を機関銃のように突きつける姿は、もう少し前の世代のビート・ジェネレーションへの殿堂入りを目指したのか(詩人のギンズバーグ教授とも仲良しだった)は良く分からないが、このアルバムの後にオートバイ事故を契機にプッツリ音信不通となっただけに、いわくつきのアルバムとなっている。
レコーディング担当者も、最初の担当者が降りていったので引き継いでみると、ディランはずっと酒を呑んでセッションにまじめに取り組まない、白人ブルースギタリストは前打合せもせず演奏のときだけ現れて口を利かない、キーボーディストは実はこのセッションが初めての素人だったなど、企画そのものがいつ崩壊してもおかしくない状況だったという。何がどうしてこうなったのかの理由などどこにも無いまま、嵐のようにひと通りレコーディングが終わってホッとしたという。タブロイド紙のスクープ写真をみるような、どことなく荒れた感触は、ハリケーン被害の跡を傍観するような感じなのかもしれない。
最近になってようやく理解できたのは、これは古き良きアメリカへの追悼歌であって、本来のサウンドは黄昏から夕闇に切れ変わる時代の色合いを示しているのだ。それを「フォークの裏切者」の汚名を背負ってでもやってのけたのが、ロック以上にロックなディランなりの回答なのだと。現実にこの盤の楽曲を引っさげてツアーをお供したザ・バンドのドラマーは、あまりのパッシングにノイローゼになって音楽シーンの舞台から降りて石油掘削の労働者となって身をやつしていたぐらいである。この盤の圧に匹敵するのは、旧ソ連の歌手ウラジーミル・ヴィソーツキイぐらいであることも、ミュージシャンが迫害を受ける者の側に立つことの難しさを物語っている。この黄昏のもつ赤紫の空(空気中の塵が多いほど鮮やかな色になる)を見上げる余裕が、超高層ビルに囲まれた現在では失われてしまったのが、二重のメタファとなって自分に圧し掛かってくる。
マイ・ジェネレーション/ザ・フー(1965)
なかなかスポンサーが決まらず迷走したザ・フーのデビューアルバム。IBCスタジオを借りてのモノラル録音は、癖のあるナロウレンジの録音である。おそらく演奏での音量がラウド過ぎて、収まりきっていない感じだが、そのはち切れんばかりの雰囲気がロックらしいというと語弊があるだろうか。大概の人が、ビートルズを中心にオーディオを調整するなかで、必ず躓くのが次の世代のバンドのサウンドが全く異質なことである。おそらくクリームやツェッペリンの登場する前の数年間は、ほとんど食指が伸びないし話題にもならない。ザ・フーの評価も、ウッドストックでのハードロック路線やリーズ大学ライブを経てのことだと思う。契約会社の関係もあって、半世紀ぶりのオリジナルでのリリースだが、歴史の一コマとして看過するのはもったいない、ブリティッシュ・ロックの基本的なエッセンスが詰まっている。
シュープリームス/ア・ゴーゴー(1966)
まさに破竹の勢いでR&Bとポップスのチャートを総なめしたシュープリームスだが、このアウトテイクを含めた2枚組の拡張版は、色々な情報を補強してくれる。ひとつはモノラルLPバージョンで、演奏はステレオ盤と一緒なのだが、音のパンチは攻撃的とも言えるようにキレキレである。これはBob
Olhsson氏の証言のように、モノラルでミックスした後にステレオに分解したというものと符合する。もうひとつは、ボツになったカバーソング集で、おそらくどれか当たるか分からないので、とりあえず時間の許す限り色々録り溜めとこう、という気の抜けたセッションのように見えながら、実は高度に訓練された鉄壁な状態で一発録りをこなしている様子も残されている。可愛いだけのガールズグループという思い込みはこれで卒業して、甲冑を着たジャンヌダルクのような強健さを讃えよう。
Cream BBC Sessions(1966~68年)
新しいハードロックというジャンルの誕生秘話である。長尺のフリー・インプロビゼーションを収録したライブ録音で名を馳せたが、こちらのBBCでのセッション録音は短尺ながら、まだアイディア段階の未発表曲も含む、実験的な要素が多いもので、ギター、ベース、ドラムの3人がガッチリ組んで繰り出すサウンドは、エフェクターを噛ませずに乾いた生音をそのまま収録している。このため、普通のステレオで聴くと、収録毎の音質の違いなどが気になり、なかなか音楽に集中できない。正規録音のあるなかで、長らくお蔵入りしていた理由もうなずける。ともかく一発勝負の収録だったことの緊張感が先行しながらも、サウンドを手探りで紡ぎ上げていく感覚はBBCセッション独特のものだ。今の時代にこうした冒険的なセッション収録は許されないことを考え合わせると、オーディオも含めて音楽業界がビジネスにがっちり組み込まれたことの反省も感じる。
フィルモア・イーストの奇蹟/アル・クーパー&マイク・ブルームフィールド(1968)
ロックのライブ録音というと、ややアクシデント的な話題が先行して、なかなか演奏の中身まで行き着かない。それも一期一会のステージパフォーマンスとなれば、なおの事である。この録音は、そうした奇遇が重なって成り立っている1960年代終盤の記録である。
ブルース・ギターの名手マイク・ブルームフィールドとキーボディストのアル・クーパーは、ボブ・ディランのハイウェイ61で共演して以来の仲良しで、結局ディランがザ・バンドに切り替えた後に、「スーパー・セッション」と題したインスト中心の即興演奏ステージを展開していた。基本的にブルース・ロックの古典ともいえるような構成なので、オリジナル曲を掲げたクリームや派出なパフォーマンスのジミヘンのような脚光は浴びなかったし、同じメンツでも当時としては西部での公演がリリースされたので、こちらは2009年になって発売された発掘音源である。
この録音で何をチェックしているかというと、冒頭のアル・クーパーのMC部分で、胸声が被らずにクリアにしゃべれているか、それでいてインスト部分がスカキンにならず、ブルースのこってりしたタメが出きっているか、など色々とある。
ジェームズ・ブラウン/SAY IT LIVE & LOUD(1968)
録音されて半世紀後になってリリースされたダラスでのライブで、まだケネディ大統領とキング牧師の暗殺の記憶も生々しいなかで、観衆に「黒いのを誇れ」と叫ばせるのは凄い力だと思う。ともかく1960年代で最大のエンターテイナーと言われたのがジェームズ・ブラウン当人である。そのステージの凄さは全く敬服するほかない。単なるボーカリストというよりは、バンドを盛り上げる仕切り方ひとつからして恐ろしい統率力で、あまりに厳しかったので賃金面での不満を切っ掛けにメンバーがストライキをおこし、逆ギレしたJBが全員クビにして振り出しに戻したという伝説のバンドでもある。長らくリリースされなかった理由は、おそらくこの時期のパフォーマンスが頂点だったということを、周囲からアレコレ詮索されたくなかったからかもしれない。ステージ中頃でのダブル・ドラムとベースのファンキーな殴打はまさしくベストパフォーマンスに数えられるだろう。
アレサ・フランクリン/レディ・ソウル(1968)
もはやこの興奮状態を何に喩えることができるか分からないくらい、男も女も、ロックもソウルも、全て飛び越えてしまった感じがする。参加ミュージシャンもいつものメンバー以外に、ジョー・サウス、スプーナー・オールダム、エリック・クリプトンなど、この頃アトランティックが開拓していたロック系の人も交えることで、新たな領域に踏み込んだというべきだろう。この混沌としていながら、ひとつの情熱へとまとめ挙げる力こそが、他の人にはない彼女のカリスマである。当時のロックバンドによくあったスポットライトの取り合いのようなチマチマした競り合いではなく、ある高みに向かって全員が昇りつめようと必死にもがいている状態でも、彼女の声のお導きによってなぜか全員がスッと空中召喚されたかのような、不思議な感覚に襲われる。
コンプリート・マトリックス・テープス/ヴェルヴェット・アンダーグランド(1969)
ニューヨークでウォーホル・ファミリーとしてスタートした「バナナ・ジャケ」の若者も、旅芸人よろしく西部への当てのないツアーを組んだ。1969年のシスコの場末のライブは、一番聴衆が少なく最も充実していた時期を記録している。綿密に作曲されたミニマル音楽のように、徐々にコードとリズムをずらしながら30分余を進行していく「シスターレイ」などは、モーリン・タッカーの繊細なドラムと相まって、前衛的で幻覚的な効果をもたらす。この頃から流行の兆しのあった特別なギターテクを誇示するわけでもなく、カリスマ的なボーカルがいたわけでもないが、他では真似のできない特別なものになっている。後世にオルタナ系の神とまで謳われたスタイルは、むしろ解散直前のダグ・ユールがドラムを務めた時期のように思うほどだ。こうしたパフォーマンスを実演で何回できたのか判らないが、ヘロインという題名の楽曲を忌み嫌われてメディアから締め出されていたなかで、何もかも自由にやれることの永遠に長い時の流れを感じる。
コカ・コーラCMソング集(1965~69)
若手ミュージシャンを月替わりに登用してラジオ用のコマーシャルソングを作らせたという企画物で、有名無名に関わらず65曲のユニークなタレントが揃っていて、プロデューサーも楽しんで製作している様子が伝わってくる。1960年代のポピュラー音楽の総覧ともなっている感じもあって、時折思い出したように聴くと爽やかな気分になる。
レベル4:ウッドストック以後の世界
ボブ・ディランがオートバイ事故を契機に隠遁生活に入ったのがニューヨーク州でも山間部にあるウッドストック。そこで自主録音によるブートレグ盤「The
Great Wonder」が出回ったことで、それまでレコード会社の厳しいマネージメントに支配されていたロックの世界が、ロック・ミュージシャン中心の活動へと梶切りをするように動き出した。その象徴がウッドストック・フェスティバルで、世にいうヒッピー・ムーヴメントとも連動して、カウンターカルチャーとしてのロックから、愛と自由の音楽=ロックへと方向づけた。
その後のロックのアルバムの興行面での優位性は推して知るべきである。しかし何だろう? 私はどうもこの手のアルバムに食指が向かないのだ。ひとつは、1960年代のロックミュージシャンとの経済的な格差が大きすぎて、何でも世界規模でヒットしないと注目を浴びないという感覚に囚われること。そしてロックに名声なんて別に必要ないように思えて興ざめしてしまうことだ。それはやがて1980年代に到来したスローテンポなダンスミュージックに象徴されるように思う。
レッドツェッペリン/BBCセッション(1969,71)
バンドとしてデビューしたての頃の血の噴き出るような壮絶なセッションである。BBCはポップスのFMステレオ放送解禁にあたり、それまで海賊ラジオで活躍していた名物DJを集めて、その人脈を辿ってはレコードになる前の新曲をリークするという手法をとっていた。これはその一環であるが、当時は世界配信するために非売品のラッカー盤として出回ったといういきさつがあり、単なるスタジオライブというより、きっちりしたセッション録音の体裁をとっている。
演奏のほうは、真剣で居合を切るような、アウトビートでの引き算の美学が極まっており、まるで大地を揺るがすダイナソーのような畏怖を感じる。それは本来ブルースマンが持っていた精神的な緊張感だったのだが、それを電気的に拡声して恐竜のように巨大化してしまうには、細心の注意と瞬発的な筋力とが共存していなければ難しい。それだけ、叩き出す音のラウドさと無音のときの緊張感が等価で扱われているのである。
オペラ座の夜/クィーン(1975)
言わずと知れたブリティッシュ・ロックの名盤だが、聴きどころはボヘミアンラプソディーだけではない。紅白歌合戦のようなバラエティー要素を組み込むのは、いわゆるキャバレーの伝統を汲んだものだが、ここでは大衆的なコミックオペラ(ミュージカルの前身)を想定したと言えよう。録音はマルチトラックをオーバーダブでギューギューに詰め込んだ結果、ダイナミックレンジが狭く音が詰まっているという感じで、なかなか手ごわいものだ。今回はヨーロッパ管であるECL82の艶やかさと、Non-NFBでのダイレクトな吹きあがりとが相まって、迫力あるサウンドが再現できた。
アヴァロン/ロキシー・ミュージック(1982)
一介の録音エンジニアだったボブ・クリアマウンテンをアーチストの身分にまで高め、ニアフィールド・リスニングでミキシング・バランスを整える手法を確立したアルバムである。アヴァロンとはアーサー王が死んで葬られた伝説の島のことで、いわばこのアルバム全体が「死者の踊り」を象っている。実際に霧の遥か向こうで鳴る音は、有り体な言い方をすれば彼岸の音とも解せる。しかしこのアルバムを録音した後バンドメンバーは解散、誰しもこのセッションに関してはムカつくだけで硬く口を閉ざしているので、そもそも何でアーサー王の死をモチーフにしなければならなかったのか?と疑問符だけが残った。私見を述べると、どうも恋人との別離をモチーフにしたほろ苦い思いを綴っている間に「愛の死」というイメージに引き摺られ、さらにはイギリスを象徴するアーサー王の死に引っ掛けて「ロックの彼岸」にまで連れ去ったというべきだろう。この後に流行するオルタナ系などのことを思うと、彼岸の地はそのまま流行から切り離され伝説と化したともいえ、この二重のメタファーがこのアルバムを唯一無二の存在へと押し上げている。
で、問題はこれをモノラルで聴く意義だが、まず霧のようなモヤモヤがすっきり晴れた状態でミュージシャンのフィジカルなパフォーマンスを鑑賞できるようになる。加えて、ボブクリの録音は個々の音を色艶を抑えてとてもベーシックに録られていること、そしてダンスチューンとしての骨格を非常に繊細かつ精巧に組み上げていること、音数を増やしてサウンドをリッチにするのではなくむしろ間を持たせることで次に進む楽想の移り変わりを引き出していること、などなど音場感以外のところで演出上手なところが分かる。
タンゴ・ゼロ・アワー/ピアソラ(1986)
ピアソラが晩年にニューヨークのマイナーレーベルのスタジオに押し入って録音した渾身の一撃。何よりもこの録音に「私の魂を全て注ぎ込んだ」と言うのだから尋常ではない。しかし結果はそれまで民族音楽でもなくアヴァンギャルドでもない中途半端な位置づけから、ピアソラ本人のペルソナが優れていることを証明することとなった。その後の数年間は人生の大団円を飾ったのであるが、これがデビュー盤だと言えばその通りで、リリースされる過去の録音もこの時から遡って根を張るように広がっている。
古いオーディオ店に行くとロックや歌謡曲を聴くこと自体が禁句となってしまうことがあって、そのときにリズムのキレとかを確かめたいときに、このソフトを取り出すことが多い。電子楽器を用いない、パーカッションを含まない、しかしリズムの研ぎ澄まされたナイフで撫でられられるような緊張感を出せるか、そういうところを聴いていたりする。天使のミロンガが美しいだけで終わるようなら、最後まで聴かずに次に移ろう。
ホモジェニック/ビョーク(1997)
ストーカーまがいの爆破未遂事件にショックをうけて、ロンドンでの活動に終止符をうってアイスランドに引きこもった時期に書かれたアルバムで、周囲との関係を断っていたこともあり、打ち込み音を中心に構成されながら、ビョークの野性的な声をしっかり捉えることで、むしろ生命力を得ているように聞こえる。ダンス・チューンをコアに据えているようにみえて、実はミニマル・ミュージックの系譜を踏んでいると勝手に思っている。日本のシャーマンを装ったジャケ絵も含めて、輪廻を含めた崩壊と再生というテーマを背負っているが、出だしの動機が執拗に繰り返され粘菌や樹木のフラクタル・パターンのように展開していくとき、歌そのものが豊かな伝染力をもってデジタル回路に広がっていくかのような錯覚に陥る。
レベル5:日本のロック&ソウルに瞠目せよ
本格的なロックというと、どうしても洋楽に傾いてしまうのだが、日本のロック・シーンにも聴きどころが満載である。1960年代のアメリカン・ポップスのカバー曲からGSブームまでを商業的な流行歌の時代だとすると、カウンターカルチャーとしてのロックの誕生はもう少し後の1970年代にあると思われる。しかしこうして50年間を俯瞰していくと、日本のロックはまだら模様のポップカルチャーそのものであり、一貫性のないところが魅力となっている。
ぶっつぶせ! ! 1971北区公会堂Live/村八分(1971)
恐るべきロックバンドである。今だとガレージパンクっぽい雰囲気と理解されるだろうが、この1971年には凡そそういうジャンルそのものがなかった時代を駆け抜けたバンドの壮絶な記録。本人たちはストーンズの進化形と思っていたかもしれないが、いきなり充実したロックンロール・サウンドを叩きだすポテンシャルは、全く凄いの一言につきる。海の向こう側ではギタープレイヤー専制主義のブルース・ロックが全盛期だったから、ちょっと見逃してしまったという感じである。あえていえばヴェルヴェットのそれと近いが、あっちがアート指向なのに対し、こっちは徹底した破壊主義。同時代の映画「薔薇の葬列」や「新宿泥棒日記」などと並べても、全く色あせないカウンターカルチャーの色彩を放っている。そういう意味でも、後に定式化されたパンクやヘヴィメタに近いのである。録音は典型的なブートレグだが、聞きやすい音質である。ちなみにJensenは、こうしたブートレグの再生に最も強みを発揮する。
氷の世界/井上陽水(1973)
ともかく良く売れた。その後、国内アルバム総売り上げでなかなか抜かれることのない記録を保持した名盤である。ロンドンのトラインデント・スタジオで収録されたが、あえてドライな感じを打ち出したのは、ちゃんとしたコンセプトあってのもの。刹那な敗走感の強い歌詞ながら、タイトなロックテイストで始まるアルバムは、この録音のポテンシャルを伝えてやまない。
黒船/サディスティック・ミカ・バンド(1974)
元フォークルの加藤和彦さんが、海外で名を挙げた後に凱旋録音した名盤。このときの録音はクリス・トーマスが仕切り、その機材集めにすごく苦労したとの逸話がある。当時はまだマルチトラックを駆使したポップスがなかっただけに、日本の国内スタジオでここまでできるのだぞ、という思いもあってのことだと思う。メンバーの写真は、どこか海賊のような雰囲気があり、黒船を乗っ取って日本までやって来たという感じもする。
ベスト・オブ・カルメン・マキ&OZ(1975-77)
ともかくどんな日本人男性ボーカルよりもロックっぽい歌い方をキメてくれるのが、このカルメン・マキ様。しかし、バンドとしての実力は、日本では珍しくプログレの楽曲をしっかりと提供してくれた点にあり、ワーグナーばりのシンフォニックなコード進行、オカルト風の荒廃した詩の世界もあって、ともかく他と全くツルムということのない孤高の存在でもある。デビュー時は寺山修司の秘蔵っ子として登場したが、自分なりの納得できるかたちでこうして表舞台に出てきたのは、自分を信じるということの大切さを教えてくれる。そうこうしているうちに、音速突破とともに空中分解したように解散した。存在自体がロックという感じもある。
吉田美奈子/モノクローム(1980)
山下達郎との共作「Rainy Day」を含むアルバムで、超有名盤「Ride on Time」の姉妹盤のようなものである。他のアルバムでもコーラスガールとして実力をもつ自身の多重録音を駆使しており、より深くブラック・コンテポラリーを消化したサウンドは、むしろこの時代の日本でしか生まれない洗練されたものとなっている。同じ山下達郎ファミリーではEPOのほうが数十倍も売れたが、シティポップという言葉が独り歩きしている現在こそ、か細い声でドス黒い情念を歌うソウルの本質を味わうべきである。ソウル歌手で孤高の存在であるオーティス・レディングの歌唱を引き継ぐ歌手はいないと嘆く人は多いが、彼女こそ
その後継者のひとりに挙げられてしかるべきである。
BGM/YMO(1981)
一端 日本発のテクノポップのジャンルを決定付けた後に、元の電子音楽風の凝ったアレンジに挑んだ問題作。同じ頃にハービー・ハンコックがヒップホップをおいしく利用した迷作を送り出しているだけに、ラップを揶揄する楽曲もあったり、むしろ混沌とした都市像を再び見つめ直す点で、マイルス・デイヴィスのビッチに似た感触も感じられる。録音のほうは、一端は3Mデジタルマルチで収録した素材を、アマチュア用のアナログオープンリール(タスカム80-8)に通して音調を整えたという。結果は細野晴臣が言う深く柔らかい低音と、アナログシンセのような豊かなグラテーションで混ざりあった有機的なサウンドに仕上がった。コンピューター音を使用することで個性が失われがちと捉えられたテクノ音楽に対し、結局音楽を作り出すのは人間自身であるという解答ともいえる。
当山ひとみ/セクシィ・ロボット?(1983)
何と言ってもそのファッションセンスが、20年ほど早かったゴスロリ&サイバーパンクであり、沖縄出身のバイリンガル女子の歌い口もツンデレ風だったり、今じゃアニメで全然フツウ(例えば「デート・ア・ライブ」の時崎狂三(くるみ)とか)なんだけど、どうも当時は他に類例がない。ガッツリしたダンスチューンから、メロウなソウル・バラードを聴くにつれ、アングラシーンを駆け巡ったパンクやデスメタという男性優位の世界観を撃ち抜くだけの力が周囲に足らなかった気がする。
そこをジェンセンで鳴らしまくると、まさに胸をドキュンと一発くらったような、古い傷がうごめきだす。そう、これこそ1970年代から徐々に姿を消していったソウルテイストであり、ぶ厚いステーキをかきこむような肉汁たっぷりのアナログサウンドでもある。
Ciao!/ムーンライダーズ(2011)
1976年のデビューからずっとスタイルを変えずにやってるロックバンドだが、手仕事の妙とも言うべきサイケデリックなサウンドの質感が光るアルバムだ。個人的には近未来SFが盛んだった1970年代の夢を抱えながら、依然として混沌とした21世紀を旅している気分になる。あの頃ああなってはいけないと思ってた想像の世界が、「未来世紀ブラジル」のディストピア感とジャバニメーションのサイバーパンクの要素が巧く絡み合って、再び音楽としてゴチャゴチャに再構築されたように感じる。結論も救済も要らない、そういう余裕が感じられたのは、実際に自分の脚で旅してきた手ごたえあってのことだと思う。
ガイガーカウンターカルチャー/ アーバンギャルド(2012)
時代はまだまだ世紀末である。ノストラダムスの大予言も何もないまま10年経っちゃったし、その後どうしろということもなく前世紀的な価値観が市場を独占。夢を売るエンタメ商売も楽ではない。
この手のアーチストでライバルはアイドルと正直に言える人も希少なのだが、別のアングラな部分は東京事変のような巨大な重圧に負けないアイデンティティの形成が大きな課題として残っている。その板挟みのなかで吐き出された言葉はほぼ全てがテンプレート。それで前世紀にお別れを告げようと言うのだから実にアッパレである。それと相反する言葉の並び替えで、敵対するステークホルダー(利害関係者)を同じ部屋のなかに閉じ込めて、一緒に食事でもするように仕向けるイタズラな仕掛けがほぼ全編を覆ってることも特徴でもある。それがネット社会という狭隘な噂話で作り出された世界観と向き合って、嘘も本当もあなた次第という責任を正しく主張するように筋を通している。個人的には情報設計の鏡というべき内容だと思っている。
言葉巧みに楽曲をリードする2人のボーカルに注目しがちだが、楽曲アレンジの手堅さがテンプレ感を一層磨きを上げている。特にサポートで参加していた鍵山喬一の生ドラムがおそろしい乱打を繰り返しており、その後脱退したのは、より一層のポップ路線に向かうグループの意向に反したからだろう。だが私は、この時代の流れに抗うドラムこそが、このアルバムの根底に流れる、生きることに伴う痛みそのものだと感じるのだ。
屋根裏獣/ 吉澤嘉代子(2017)
時代は妄想小説である。(直木賞ではない)芥川賞作家があえて挑戦したショートメッセージドラマ、とでも云おうか、ある言葉のイメージを勝手に膨らまして迷い込んだ挙句、行方も知らない山村のホテルに閉じ込められて、明け方まで客人が与太話をする、かの「デカメロン」の方式で1枚のアルバムが構成されている。実はこのイメージの連鎖に、6人のアレンジャーたちがアノ手コノ手でお嬢様にアコースティックな御召し物を着替えさせるという嗜好もなかなかの出来栄えで、本質的にソウルフルな歌いぶりが、肉厚なサウンドのバックバンドに負けずに音の連鎖を生んでいる。古い歌謡曲のスタジオワークの方程式を解き明かそうとするだけの実力あってのものだ。
ドレスコーズ/平凡(2017)
時代はファンクである。それが日常であってほしい。そういう願いの結集したアルバムである。本人いわくデヴィッド・ボウイの追悼盤ということらしいが、真似したのは髪型くらいで、発想は常に斜め上を向いている。というのもボウイを突き抜けてファンクの帝王JBに匹敵するサウンドを叩きだしてしまったのだ。大概、この手のテンションの高い曲はアルバムに2曲くらいあってテキトーなのだが、かつてのJB'sを思わせる不屈のリズム隊は、打ち込み主流のプロダクションのなかにあって、いまや天然記念物なみの存在である。JB'sのリズム隊はラテンとジャズのツーマンセルだったが、一人で演じるのはなかなかの曲者でござる。忍者ドラムとでも呼んでおこう。
ジャケ絵は「オーディション」のほうが良いのだが、内容的にはこちらのほうが煮詰まっている。この後の数年間でスタンダード指向へと回帰していくのだが、志摩殿がリーマンの恰好して音楽の引き立て役に扮したいというのだから、アジテーションとも取れる素敵な詩もろとも立派に仕事したといえるだろう。この後ちょっと挑んでみた映画人としては、田口トモロヲと共演できるくらいに、リアリストを発奮してほしい。
SUPER MAGIC TOKYO KARMA/SMTK(2020)
時代はプログレである。インスト中心のプログレバンドと言えば筋が通るような気がするが、ともかくドラムが音楽の起点でラスボスというところが全てを物語っているような気がする。ヘタにボーカルを立てるよりもサックスで無言歌にする、ベースは滑舌が凄く明瞭、リードギターはシンフォニックに全体をまとめあげるなど、ともかく骨のあるサウンドで、こういう音楽が日本でも生まれるんだと感慨深くなってしまった。一時期ジョン・ゾーンが東京のアングラシーンに潜り込んで何やらやろうとしてたのだが、どこか上から目線で本質を見逃していたように感じてた。と思ったら、ジャンルとしてはフリージャズ?そんなんどうでもいいや。
【ロック音盤の蘇生技術】
まず最初に断りを入れなければならないのは、1950年代までポップスの愛好家は低所得層に集中しており、自宅ではAMラジオを聞き、レコードを本格的に聴くのはジュークボックス、という手段がほぼ全てであった。つまりHi-Fiオーディオ機器を購入する層は、クラシックやジャズに限定されていたのだ。
このオールディーズの時代の次となると、1960年代には電池駆動AMラジオとポータブルプレイヤーが人気だったし、1970年代には音場感豊かなFMステレオ放送とLPレコード、さらに1980年代以降はカセットテープからCDへの移行期でステレオ・ラジカセと携帯プレーヤーの時代となる。こうしたオーディオ機器の変遷に合わせヒットチャートを追い掛ける一方で、過去の録音を再び熱狂的に迎え入れるとなると、大は小を兼ねるという感じで進みかねない。
例えばJBLは今でもロックを再生するスピーカーとして需要が高いが、やはり狙い目は巨大PAからスタジオモニターまで制覇していた1970年代からで、それ以前の録音はトーンの癖が目立って演奏に集中できない。ブリティッシュロックに人気のあるタンノイも後で述べるが、アビーロードスタジオでモニターに使われていたなんて嘘っぱちで、米キャピトル・レコードとの提携関係もあって、アルテックのプレイバックシステムをいち早く導入していた。タンノイを使っていたのはデッカのスタジオ(コーナー・ランカスター)であったり、EMIでもクラシック部門であり、都市伝説が横行している。つまり1960年代以前のロックを知る手掛かりは、白紙状態ということになる。
【レベル1~2】
Wurlitzer社の1015型ジュークボックスは1946年製造で、もちろん78回転盤のために造られたのだが、クリスタルカートリッジ、38cmエクステンデッドレンジは、高域6kHzまでと言われた当時の録音規格を最大限にリッチに聞かせるための仕様だった。これが現在もポップスのアイコンになっているが、その理由は戦後の長い78rpmシングル盤の需要だった。例えば、サン・レコードでデビューしたときのエルビス・プレスリーは、まだ78rpmのSP盤だった。それ以前のマディ・ウォーターズが吹き込んだ1940年代のシカゴブルースも同様である。1930年代からジュークボックスはダイナー、ダンスホール、ボーリング場など様々なところに置かれたが、Jensen
C12Rは、こうした時代に片足を突っ込んでいた1940年代末に開発されたPAスピーカーのひとつであり、その後の1950年代のロカビリー世代まで製造が続けられた。つまり、1935年頃のHi-Fiラジオ(AM放送)とSP盤やトーキーシステムの規格は、1950年代末まで生き続けていたのである。ちなみに1950年代前半までSP盤とはシングル盤のことであり、LP盤が登場したときに区別するため名付けられた。それまでレコードと言えば78rpmの10インチ盤だけだったのだ。
Wurlitzer 1015、Rock-ola ST39は1940年代=78回転盤時代の機種
上:ダンスの休憩中にレコードに合わせ歌う女性たち
下:ボーリング場でミルクシェイクと音楽を楽しむ若者たち
アメリカのレコード店(1944)とラジオDJ(1954):共にSP盤を愛聴
Wurlitzer 1015ジュークボックス(1946)
クリスタルカートリッジと15inchマグナヴォックス製エクステンデッドレンジ・スピーカー
Shure社クリスタルカートリッジのカタログより(1947):Astatic L-12同等品
Aliedラジオ商会カタログのShure社78回転盤用カートリッジ(1955)
Shure 93の後継機W57のさらに代替品としてW78をエントリー(写真D)
78回転盤=スタンダード、33&45回転盤=マイクログルーヴと呼称
表裏交換なしのシングル針でガリガリやってたが後に批判を呼んだ
Jensenの1947年カタログ:既に同軸2wayを製造していたが旧規格も健在
エクステンデッドレンジは”新しい”電気録音規格に適応したスピーカー
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【レベル3】
1960年代のロックを取り扱うときに一番難しいのが、再生機器とレコードの関係である。かつてのジュークボックスの盛況から拡散して、AMラジオで情報を集めて、月に何枚かシングル盤を買うというのが、当時の若者のルーチンだった。なので、外にも持ち運べる電池駆動のトランジスターや、机の上に置けて場所を取らないポータブル・レコードプレイヤーが、オーディオ機器の原器であり、レコードのミキシングもそれに合わせて造られていた。
まずトランジスターラジオだが、小さなスピーカーからどういう風に聞いたかと言うと、電話やトランシーバーのように、耳元に近づけて聴くのが標準的だった。これはミニワットの小音量を補完する役割のほか、肩や顎の反射で低音を補強してバランスを取ることのできる方法だった。ここで使われている小さいペーパーコーンスピーカーを使って、ヘッドホンを開発したのがKOSS社である。
KOSS SP/3ヘッドホンと現在も製造されてる音声用スピーカー
一般にウォール・オブ・サウンドはステレオ録音の一大流派と見なされているが、エコーをたっぷり利かせて広がりのある音場感を出すとか、サウンドが壁一面にマッシブにそそり立つとか、色々と言葉のイメージだけが先走っているが、実は当人のフィル・スペクターは、1990年代に入って自身のサウンドを総括して「Back to MONO」という4枚組アルバムを発表し「モノラル録音へのカミングアウト」を果たした。実はウォール・オブ・サウンドの創生期だった1960年代は、モノラルミックスが主流で、これに続いて、ビートルズのモノアルバムが発売されるようになり、その後のブリティッシュ・ロックのリイシューの方向性も定まるようになる。さらに言えば「少年少女のためのワーグナー風ポケット・シンフォニー」という表現も、当時の若者で流行していた携帯ラジオでも立派に鳴る録音ということであり、1960年代の少年少女たちは電池駆動できるトランジスターラジオを、トランシーバーのように耳に充てて聴いていた。立派なステレオでこそ真価が発揮できるなんて言うひとは大きな勘違いである。
次にポータブルプレイヤーだが、これはクリスタルカートリッジをMT管で直接増幅し楕円スピーカーを鳴らすという単純な機構だったが、イギリスのほとんどの若者はシングル盤をこれで聴いていた。45rpmのドーナッツ盤だったが、クリスタルカートリッジの高域は8kHzまでで、4kHzぐらいに子音を強調するリンギングのあるエクステンデッドレンジ・スピーカーが付属していた。アンプはECL82などラジオやテレビに使われていたMT管がちょこんと付いてるだけである。
1960年代の英国では標準的だったポータブル・レコードプレイヤー
ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(78rpmコンパチ)
EMI 92390型ワイドレンジユニット
BBCラジオでビートルズの生演奏が流れたのが1963年以降。この頃、BBCが軽音楽を流すのは一日のうち45分だけ。それにレコード会社の売り上げが落ちるからと団体が政治的に圧力をかけ、レコードをそのまま放送することは硬く禁じられていた。いわゆるDJなるものはBBCにはいなかったのだ。これに飽き足らない若者たちはルクセンブルクのラジオを短波で試聴するのが流行だった。知っている人は判るが、短波は電波が安定しないと音声が波打ち際のように大きくなったり途切れたりで、音楽の試聴にはあまり向かない。これに目を付け、アメリカ風に24時間体制でレコードをかけまくるラジオ局のアイディアを実現すべく、英国の法律が行き届かない公海上の船舶からゲリラ的に放送したのが、1964年から始まった海賊ラジオRADIO
CAROLINEだった。
Radio London 1137kHz(266m) 機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった
またたく間に若者の心をつかんだ海賊ラジオは、当時20局以上も現れ、次第にレコード会社も売り出し前のバンドのデモテープを横流しするなどして、新しいポップシーンを牽引した。テープはオープンリールではなく、カーステレオ用に開発された堅牢な8トラックカセット(初期の業務用カラオケにも使われていた)で供給された。当時の船内スタジオには、山積みのカセットテープがみられる。しかし試聴環境はここでもAM放送で、しかも電池で動く携帯ラジオが結構人気だった。使用スピーカーは電蓄と同じ楕円スピーカーで、8kHzの攻防は若者文化のなかで依然として根強く、最新のミュージックシーンを牽引していた。
8トラックカセット エンドレスで再生できて便利だった
英Roberts社のバッテリー駆動型 携帯ラジオ
海賊ラジオは1967年に法改正で一掃され、変ってBBCでトップギアなどのロック専門番組が、海賊ラのジオの元DJによって始まった。この頃からBBCセッションは、アルバム発表前のスクープという様相を帯びるが、これこそ海賊ラジオのスタイルだったのだ。1960年代を通じてイギリスのポップシーンの牽引役はラジオだったが、おそらく、上記のポータブル・プレイヤーの立ち位置は、同じようなアンプ&スピーカーで聴いておりながら、AMラジオよりも鮮明な音という位置づけだろうか。それより高級なシステムでの試聴は、造り手からしても想定外だった。イギリスの若者は、最新のトレンドはラジオで味見して、気に入ったらレコードを買うというパターンで、それでも健全に音楽が育っていったのだから、時代特有の情熱があってのことだったと思う。
ちなみにビートルズ研究家が激推しするタンノイIIILzだが、その理由がEMIでモニタースピーカーとして使っていたというものだ。ところが、ピンク・フロイドがロックウッドと一緒に写っているのは1968年にトライデント製ミキサーをアビーロードのスタジオ3に導入した頃で、さらにビートルズがアップル社を起業した頃、トライデント・スタジオのセッションではロックウッドでのモニターになる。このとき「ヘイ・ジュード」のセッションで問題が起きて、トライデントでトラックダウンしたアセテート盤(テープの規格違いではない)が、アビー・ロードで聴くとひどく高域が足らないことに気が付き、関係者でかなり揉めたという。
「レコーディング・ザ・ビートルズ」に記載されているケン・スコットの述懐では、トライデント・スタジオでは素晴らしいサウンドだったのが、アビー・ロードで聴くと凶悪な音に変わったので、ジョージ・マーチンに「これはどういうことかな?」
と録音の不備について問いただされた。スコット:「ええと、昨日聴いたときは目を見張るようなサウンドだったんですけど」、マーチン:「昨日は目を見張るようなサウンドだったって、キミはどういうつもりなんだね?」そこでポールが戻ってきて言った「ああ、そうだな。ケンはここのサウンドがクソみたいって思ってるんだ。」一同:「なんてこった」と言いながら(コントロールルームの)階段を下りてヒソヒソ相談しはじめたので、ケン・スコットはもうこれで死んだと思ったらしい。結果的には録音はOKとなり、問題はアルテックのモニターに原因があるということが判り、イコライザーで補正することで事なきを得た。この件があって、アビーロード・スタジオは1968年に全モニターをLockwoodに変えることを決定した。
左:トライデント・スタジオ(1967)、右:アビー・ロード Studio3でのピンク・フロイド(1968)
共にトライデント社カスタムメイドのミキサーとロックウッド社のモニターを使用
これには2つの問題があって、EMIでのAltec 605Bは高域がロールオフしており、テープにトラックダウンしたトーンバランスは、フラットなモニター環境で聴くと高域が強めになっていた 。これが1960年代初頭からのデフォルトの設定だったか、経年劣化で高域が落ちていたかは不明だ。ちなみに1949年のAltec 604Bは以下のように高域が落ちて設計されていたし、タンノイのモニター・ゴールドでも民生機にはトレブル・ロールオフが付いていた。しかし、ほとんどのタンノイユーザーは、高域をロールオフなどさせるのは邪道だと思っているだろう。
ビートルズとクリーム:年代は違うがアルテックのプレイバックシステムでモノラル試聴が標準
左:Altec 604B(1949)、右:タンノイ モニター・ゴールド(1967)
もうひとつの誤解は、ビートルズ以前と以後のポップスの潮流を分けることで、実はビートルズの面々も他のロックバンドのメンバーも皆オールディーズが大好きである。ポール・マッカートニーは自分のオフィスに78回転盤の古いジュークボックス(楽曲の年代は1950年代に限定)を置いていて、インタビューを受けるたびにジュークボックスと一緒に記念写真を撮るのが習わしだ。ジョン・レノンとリンゴ・スターは、ビートルズ時代から仮想のジュークボックス・リストとドーナッツ盤のコレクションを保持していたが、その半数はオールディーズに属する楽曲で、自分なりに気に入った曲を少しずつ入れ替えていた。もちろん彼らが世に出す曲は指向が異なるかもしれないが、むしろ古いレジェンドたちに混ざっていつかは自分も一緒のソングリストに並ぶことを夢見てたのである。
ポール・マッカートニー(2019)、マーク・ボラン(1972)、レイ・ディヴィス(1984)
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【レベル4~5】
1970年代以降は、FMステレオ放送の世界的な開設により、レコードは押し並べてステレオ録音に移行した。最初は4~8chで始まったミキシングコンソールも、マルチトラック録音が標準的になると32ch辺りから増殖の一途を辿り、128chのミキサーを備えないと一流とは言えない状況となった。もうひとつは増幅器のソリッドステート化で、真空管のサーモノイズが低減され、トランスを排して低音も高域も伸びたのだが、全体にドライで硬いサウンドが基調になった。これを緩和させるために現れたのがEMT社のプレートリバーブで、楽器ごとにマイクアレンジを変えて個別に収録するマルチトラック録音では、環境音を馴染ませるためにも必須のものとなった。
新装したアビーロードで「狂気」編集中のアラン・パーソンズ(1972)
JBL 4320ステレオと中央にオーラトーン5cモノラル
EMT 140プレートリバーブ、AKG BX15スプリングリバーブ
一方で、ラジオ視聴者の数も減るわけではなく、録音スタジオには大型モニタースピーカーとは別に、オーラトーン5cという10cm径の小型スピーカーが常設されていた。ポップスを好む購買層のローファイ環境をそのまま認めてモニタースピーカーとして認めたのが、かのポップス界の魔導師クインシー・ジョーンズで、オーラトーン5Cという何の変哲もない10cmフルレンジでモニターするように公式に推奨した。その最高潮に達したのはマイケル・ジャクソンのスリラーだったが、ちょうど同じ時期にボブ・クリアマウンテンというエンジニアがミックスした、ロキシー・ミュージックのアヴァロンで使用したヤマハ
NS-10Mが、その後のステレオミックスの定番モニターへと化けていった。しかしオーラトーンとテンモニを比較すると、その性格が非常に似通っていることに気付くことだろう。ポップスのレコーディングにおける高音質は、コンパクトなラジオを基準として音調を整えてあることが、業界でのコモンセンスとして常に働いてきたことを意味している。
マイケル・ジャクソン/スリラーの録音されたWestlake Studio(1982年):
ほとんどの編集はWestlakeモニターでも、JBL 4311でもなく、オーラトーン5cで行った
1970年代のオーラトーンから1980年代のテンモニへの移行(基本ローファイ志向のまま)
録音スタジオでいかにテレビやラジオの音声にキャッチアップするのに心配りしていたかということは、当時定番のサブモニターだったオーラトーン5cの特性をみると判る。スペック上は50~18,000Hzだったが、実効では150~8,000Hzであり、それでもキャッチーなサウンドを保持し、バランスの崩れないミックスが必須だった。現在でも1980年代のギガヒットとして歴史に名を残すマイケル・ジャクソン「スリラー」でさえ、オーラトーン5cでバランスを整えた結果MTVでの成功につながった。CD規格の前のヒアリングでも、15kHz以上の周波数は楽音として必要ないというのが、大半の録音エンジニアの意見だった。まさか20kHzに溜まるデジタルノイズがこれほど問題になるとは誰も心に留めていなかったのだ。
ちなみに1970年代の日本製ラジカセの音響特性は、1950年代のHi-Fi機器と変わらず、AMラジオとHi-Fiレコードを一緒に聴くための工夫として、エクステンデッドレンジ・スピーカーに小さいコーンツイターを1オクターブだけ加えるというものだった。よくビートルズの初期の録音はラジカセ程度がちょうど良いと言われて、歴としたモニター環境で最高の音を狙うマニアとの間で喧々諤々と論争になるのは、こうした歴史的過程を知らずに、物の値段だけでスペックを推し量るために起きた誤謬である。1970年代の日本製ラジカセは、伝統的な周波数バランスを保持した最後の生き残りだったのだ。ほとんどのオーディオマニアは、ステレオをラジオやポータブルプレイヤーと別格のものと認識違いをして、基本であるボーカル域を生き生きと再生するグレードアップに失敗していると見ている。10kHz以上が丸まっているからエレキの高域が足らない、というコメントが多かったが、実際のギターアンプ用スピーカーを知らないから、そうした発言が出るのだ。ボーカルの喰いつきが悪いスピーカーは、エレキギターも遠鳴りする。
HMV Stereomaster 2018
EMIの同軸2way楕円スピーカーの特性(かつては日本でも売られていた)
ラジカセはボーカル域を一筆書きで再生し、高域は8kHzより上をちょっと足すだけ
もうひとつの出来事は、ウッドストック以降に本格化した巨大PA装置で、千人規模の屋外会場でもラウドに聞こえる規模の音響を造り出すことに成功した。これにはJBLのプロ用スピーカーを使ったものが主流となった。ここでは1960年代には旧体然となっていたD130が不死鳥のごとく蘇り、ギターやボーカル・レンジの要となる高出力スピーカーとして君臨したのだ。アンプの出力も鰻登りで、グレイトフル・デッドのWall
of Soundツアーではマッキントッシュ製アンプを掻き集めて26,400W、ザ・フーの公演ではクラウン製アンプを使って常時54,600W、ピーク75,000WのPAシステムを使用した。もはや観客動員数がツアーの成功の鍵とさえ言われたのだ。
こうしたライブステージでのギミックなPA装置の組合せは、トム・ヒドレーがWestlake Audio社を立ち上げた頃でも継承され、JBLのユニットを使った大型モニターを開発した頃は、2215ウーハー2発に対し、中域JBL 2440+Tom Hidley木製ホーン、高域2420(ホーンなし)を、共に800Hzクロスで重ねるという方法を取っている。この後のJBL4343~4345が、4wayで帯域を完全に分けていたのとは全く設計思想が異なるのだが、ミキシングルームの音響ごと設計するウェストレイク社の実績も含め、1970年代の有力なスタジオに次々に納入され、アルファ・スタジオなど日本のニューミュージックにも大きな足跡を残した。
グレイトフル・デッドのウォール・オブ・サウンド、ザ・フーのライブステージ(JBL山積み)
JBL D130のプロバージョン2135周波数特性
トム・ヒドレー謹製のWestlakeモニター(Westlakeスタジオ、アルファスタジオ)
では、実際の録音スタジオの音響はどうだったかというと、1966年時点では3kHzをピークにロールオフしていく特性だった(これはラジオ用スピーカーとも相似)だったのに対し、1974年にB&K社が調査した家庭用のオーディオルームの特性は200Hzから-1dB/octずつなだらかに降下するもので、これ以降に建設される録音スタジオのターゲット特性として広まるようになった。
左:RCAスタジオの音響(1966):アルテックA7モニターの典型的な特性
右:B&K社が調査した家庭オーディオルームのターゲット特性(1974)
しかしそのようにオーディオルームを整備できるユーザーは限られたもので、1980年代中頃まで上記のオーラトーン5cでの音声チェックも欠かせないのだった。私なりの見解では、1975年頃からステレオ録音のサウンドステージが出現して以降の録音には、こうしたモニター環境は適しているが、それ以前の録音だと、100Hz付近の低域は太すぎてズンドコ、6~10kHzの高域はシャカシャカうるさい感じになる。定位感などはもっとダメで、ドラムとベースは遠鳴りして奥に引っ込み、エコールームに通したボーカルはビッグマウスになって宙を舞うような現象が起きる。新しく異なる基準に沿って無理やり比較したところで、これが正しい原音だと言ってきたのだから、トーンキャラクターだけでもかなり問題があるのだ。
ただし、事柄はそれほど単純ではなく、1960年代のステレオ効果が部屋いっぱいに広がる音場感を重視していたのに対し、1970年代にBBCがオーケストラ録音のための縮小モデルを研究した結果、人間の視野内に収まるサウンドステージで楽器の定位感を表現する方法が確立し、このときの測定項目だったインパルス応答をできるだけコンパクトに納めることが、定位感を正確に表現するためのスピーカーの性能に盛り込まれた。しかし、これにはツイーターの発するパルス波による先行音効果を強調することで、左右の信号の位置を特定することになった。つまり周波数特性としてはフラットよりややロールオフしたもの、ダイムコヒレント特性ではツイーターのパルス波を強調したもの、というバランスへと変化したのだ。そして時代はCDをはじめとするデジタル録音へと突入するのである。高域のパルス成分に過敏に反応する反面、その成分がない古い録音は、重低音に特化したウーハーのモゴモゴ音に支配されて高域不足になる。もしくは子音の明瞭度を上げるために過剰に入っていた中高域の音が耳を突くようにうるさい。そんなアンバランスな状態をフラットだと勘違いしながら古い録音は聞かれているのだ。
BBCでのステレオ音場のスケールダウン実験(1970年前半)
左:A-Bステレオ・マイクアレンジ(B&K製の無指向性マイクを30cm離して設置)
右:先行音効果=スピーカー位置の角度とパルス波の到達時間差により生じる音量差
代表的なモニタースピーカーのステップ応答(左:小型2way、右:大型3way)
(各クロスオーバーで位相にねじれ→大口径ウーハーは200Hz以下が大幅に遅れて強調
初期のCDに使われていたデジタルフィルターは、20kHzまでの信号をギリギリまで伸ばそうとした結果、パルス成分を与えるとプリ&ポストエコーというリンギングを伴う高周波ノイズが付随してくる癖があった。これは楽音とは関係のないギラギラ、ザラザラした音で、パルス音が混み入ってくるに従い増えていく。よくデジタル録音のザラついた音質は、16bitの分解能の限界によりギザギザが出るのだと可視化されているが、事態はもっと醜悪で、ずっとノコギリのようなギザギザが混ざって再生されていたのだ。このデジタルノイズは、FM放送では三角ノイズに阻まれて気にならない音だったのである。
左:1980~90年代に多かったシャープロールオフ・デジタルフィルターのポスト&プリエコー
右:FM放送のプリエンファシス特性(2kHz付近から出力をイコライジングして送信)
しかしながら、いざCDが発売されると、規格策定時には必要ないと言っていた20kHz周辺の音について、多くのオーディオメーカーは意地でも再生できなければならないとデジタル対応機器にシフトしていき、本当は聞きたくなかったデジタルノイズまで増幅して聴こえるようにしてしまった。アナログレコードの製造をやめた1990年頃には、イギリスを中心にした高級スピーカーが世界中に売られ、20kHzに強いリンギングを起こすハードドーム・ツイーターを搭載して、デジタルノイズの帯域で聴覚を麻痺させる作戦に出るようなった。加えて超重たい低能率なウーハーを使用した結果、小型ブックシェルフでもスピーカーの価格の2倍以上する超弩級アンプでないとスカッピンな音になり、満足な低音が出ないという大飯ぐらいだった。つまり、デジタルっぽいメタリックな音というのは、デジタル録音そのものの音ではなく、アナログ部分で演出された音だったのだ。
1990年代の高級ハードドームツイーターを搭載したスピーカーの周波数特性(20kHz付近に激しいリンギング)
同インパルス応答(左:入力、右:出力):高周波でのリンギングが激しく乗っている
以上のように、B&Kによるオーディオ環境の標準化、BBCによるニアフィールド・モニタリングとサウンドステージの確立が、1975年以降のロックの録音に加わってきたのだが、それ以前のロックがおかしな音で鳴っている=録音が古いのでしかたない、という認識を新たに生んでしまった。はたしてそれが正しい認識なのだろうか?
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こうした5世代に渡る録音方式の変遷を前にして、ただフラットなモニター環境が正しい音だというのは、明らかに間違いであることに気付くであろう。ステレオで良好な結果が得られるのはレベル4以降のものであり、少し手前のレベル3である1960年代のモノラル録音となるとお手上げ状態になるのが関の山である。実際リマスター音源が出るたびに、音質についての意見が賛否両論の嵐となるのは、自分の試聴環境が正しいことが前提であり、高域が過敏に反応するデジタル時代のスピーカーや、さらに鋭いパルス波を発するヘッドホンでの試聴が増えたことによる弊害となっている。ちなみに、ニューミュージックとは言え、ちゃんと反応の良い中低域をもったスピーカーで聴くと、型どおりの洋楽ロックよりも激しいロックテイストを叩き出している録音をみつけることができる。歪みを抑えたつもりが中域の沈んだ(逆相つなぎ)のサウンドは、どんなに音量を上げてもシンフォニーやパイプオルガンを聴いているようなドカーンとした音しか出ない。
日本のニューミュージックを先導したもモニター仕様スピーカーたち
ビートルズマニアはこれらへの評価は低いが英国製にはついついデレてしまう
逆にビートルズマニアに人気のあるイギリス製のBBCモニター系列は、音色こそノーブルだが、ネットワークの補正回路が重たくて、ロックならではの勢いが出ない。この点でタンノイは無難だが、普通のバスレフに入ったタンノイの同軸ユニットは、意外に高域の力が強くてアバレが出やすい。フラットのまま聞かずに高域をロールオフさせるのがコツだが、フラット信仰が強くてそこは譲らないようだ。ヘイ・ジュードでの失敗談を誰も話題にしたがらないのは、この楽曲がイエスタデイとレット・イット・ビーと並ぶ、ビートルズ・バラードの三種の神器だからだ。別にどんなオーディオ環境で聴いても良い曲に違いないが、自分のオーディオ環境か適切かどうかは別の話だと思う。
中域で40Ωに達する激重ネットワーク回路を背負ったLS3/5a
日本で発売された頃のモニターゴールド入りタンノイIIILz(高域のエネルギー強い)
タンノイ モニターゴールドに搭載された高域ロールオフ機能
最後にJBLだが、1950年代から1980年代まで10年置きにサウンドポリシーを変えているため、現在よく目にする4312Gとかは6世代目ぐらいのサウンドポリシーになる。かつての4312Eまでは、スコーカーの扱いがかなりギミックで、公称では1.5~6kHzを受け持つのだが、ネットワークを介さないウーハーが3kHzまで被っていて、実質6kHzをピークに尖った特性を持っている。ツイーターと直接繋げてもおかしくないのだが、アンプ側のトーンコントロールでは調整しきれない中高域のキャラクターを、ユニット毎のボリュームで調整できるようにした工夫である。しかし、この機能ちゃんと使いこなしている人はほとんど居ないだろう。
JBL4311のユニット特性と4310のトーンコントロール(中高域のキャラクター調整)
JBLはウーハーの動作がパンチのあることでも知られるが、既に1960年代のLEシリーズから柔らかい傾向にシフトしているものの、コーンツイーターを使った4311は、1980年代の4312よりは全体のサウンドに統一感がある。ただし1970年代の4311などは個体が枯渇してビンテージ入りになっており、スタジオモニターとして活躍した4320~30ならユニットを交換して凌げるぐらいになると思う。ただしウーハーの反応が重たいので、アンプはしっかりしたものを充てないといけない。本来はマルチアンプで鳴らすべきスピーカーでもある。
現在製造されているスピーカーで伝統的なスタイルを保持しているものを考えてみたが、基本的に1970年代のステレオブームからのもので、その頃に起こったSP盤復刻やモノラル録音への酷いパッシングを生み出す要因にもなっている。そこで何が足らないのかというと、レコード音源は未来永劫に残っても、それに合ったオーディオ機器が廃棄され、二度と造られなくなっていることである。そして昔よりもレンジが伸びて性能が良くなったと勘違いしている新しいステレオ機器で聴いて、古い録音は音が悪いと勝手に決めつけている。悪いのは再生する側のマナーであることを棚に上げた、「お客様は神様です」的な上から目線でスタジオ関係者にマウントを取った口調が止むことがない。昔だったら殴り合いのケンカになっていたかもしれない状況が、ネット上では日常的に放置されているのだ。
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このため、私はCDでの音楽鑑賞を、ステレオ録音が安定期に入った1970年代ビンテージではなく、もう2世代程前のHi-FiレコードとAMラジオが交錯していた1950年代のミッドセンチュリー・スタイルに軸足を移すことに決めた。一般にはモノラル盤のモダンジャズなどで活況を示すものだが、私はジャズそのものは好きではないし、この時期のビンテージ・オーディオ機器はすごく高価なので手が出ない。そこで私は、現在でも製造しているオーディオ製品を掻き集めたモノラル・システムを構築している。
色々と試行錯誤していたが、結果的に30cmフィックスドエッジ・スピーカーをミニワットのMT複合管で鳴らすというものに収束した。スペックは1.2W、100~8,000Hzという古いラジオとそのまま同じだが、そこから出てくる音は全然違う。ともかく30cmという大口径なのに、音の喰いつきが早く、ドラムは切れよくドカッと決まり、それでいて後に尾を引かない。これはフィックスドエッジが機械的なバネとして働いているからであり、波形の立ち上がりの後はスッパリ引いていく。またギターアンプが歪みだらけという下馬評とは異なり、出音の波形は綺麗な1波形で整っている。ギターアンプでも正弦波のクリアトーンが澄んだ音で鳴るのと同じである。まるでレコードの溝から埃をごっそり取り払った新鮮な感じで、いつまで聴いてもまるで飽きない。
我が家のスピーカーの周波数特性(灰色:コンサートホール、点線:映画館規格)
同インパルス応答:綺麗な1波形に整っている
我がモノラルシステムの転機は、Jensen C12Rという30cmフィックスドエッジ・スピーカーをメインに据えてから訪れた。これはエレキギターのアンプ用に復刻生産されたもので、ルーツは1947年のアルニコ磁石だったP12Rまで遡る。このP12Rは1957年ぐらいからRock-olaのジュークボックスに使われ始め、1960年代初頭にはC12Rがアメリカの3大ジュークボックス・メーカー(Rock-ola、Seeburg、Wurlitzer)で採用された、アメリカン・ポップスの世界ではレジェンド中のレジェンドなスピーカーである。エレキギターとジュークボックスというアメリカン・サウンドのアイコンを縦断したジェンセン製エクステンデッドレンジ・スピーカーは、叩けば跳ね返すような反応の良さ、自身がリバーブであるかのような豊かな倍音、まさにその核心的なサウンドを提供してくれるのだ。言い換えれば、アメリカン・ポップスのサウンドは、ジェンセンを基準に練られてきたと言っても過言ではない。
1960年代からセラミック磁石&コーンツイーターになったジュークボックス(Rock-ola Capri, 1963)
empoII
Seeburg KD
Wurlitzer 2500
mid:2x12inch Jensen
high:1xHorn Jensen
low:2x12inch Jensen Utah
high:2x8inch Jensen Utah
low:1x12inch Magnavox
mid:1x12inch Jensen
high:1x7inch Magnavox
アメリカン・ジュークボックスの三大メーカーを制覇したJensen C12R
かくして私はJensen C12Rとの出会いで、アメリカン・ポップスの世界に目覚めたわけだが、いわゆるミッドセンチュリー時代のジュークボックスの仕様を踏襲しながら、各国のデバイスを組んで造られた無国籍な状態である。例えば、アメリカ製はJensen(製造はイタリア)だけで、コーンツイーターとはチャンデバはドイツ、真空管ECL82は東芝、ライントランスはサンスイのラジオ用である。入り口側を固めるCDプレイヤーはラックスマン、簡易ミキサーはヤマハなどの日本製など、限られた予算で自分好みの音を練り上げていくと、音楽のジャンル分けに沿ったオーディオの切磋琢磨など、ほとんどコダワらなくなったというのが実態だ。純粋にアメリカンなサウンドというのは、実は幻のようなもので、トーキーで名を馳せたWE、アルテック、JBLが御三家のような扱いだが、ラジオの音のほうが庶民には馴染みがあったとみていい。
このJensen C12Rを囲む他のアイテムは、ECL82のシングルアンプ、サンスイトランスST-17A、Visaton TW6NGコーンツイーターと、ラジオ用の部品で占めている。
アンプは最初デンオンのMOS-FETプリメインアンプを使っていたのだが、昔のポータブルプレイヤーでECL82を1本だけ使っている例が多かったので、思い切って共立エレショップのECL82シングル完成基盤に摂津金属工業の創業70周年記念シャーシを加えた特別バージョンを購入してみた。このECL82は1950年代半ばにフィリップスが開発した複合管で、小さいMT管に3極管のプリ管と5極管のパワー管が同居しているものだ。1960年代のラジオ、テレビ、電蓄などのHi-Fi家電に広く使われた。
購入前は1.2Wの三結シングル無帰還アンプと出力に不安を感じたが、結果は甘く切ないあの頃の音が鳴り響くことと相成った。何よりも無帰還であるということが、音の盛り上がりがリニアであり、小音量でボリュームを上げるとフォルテに達したときに音がでかいので思わず下げると行く感じで、これまでのAB級がフィードバック回路で一種のコンプレッションが掛けて量感を演出していたのを改めて確認した。
共立電子と摂津金属工業のECL82真空管アンプのコラボキット
ECL82(6BM8)が使用された往年の家電製品
Dansette Conquest Auto レコードプレーヤー(1962、イギリス)
Siemans Musiktruhe TR2 ラジオ電蓄(1957、ドイツ)
Siemans LUXUSSUPER H8 ラジオ(1958、ドイツ)
ナショナル ハイファイラジオAF-640(1958、日本)
サンスイ SM-21 AM2波ステレオレシーバー(1960、日本)
Jensen C12Rと相棒となるコーンツイーターVisaton TW6NGは、1950年代のドイツ製真空管FMラジオとほぼ同じ造りで、背面を完全に密閉した仕様となっている。ただし中央のキャップは樹脂でできており、ヨーロッパ風の少し甘い倍音を出す。このツイーターの特性を試聴位置から計ってみると、見事に5kHzに強いリンギングをもつもので、いわゆる三味線でいうサワリに近い役割を担っていることが分かる。しかしトータルなインパルス応答をみると、Jensen
C12Rとピッタリ息の合ったものとなっており、結局これが一番汎用性のあるサウンドになった。
Visaton TW6NGの斜め75°からの特性とタイムコヒレント特性
超控え目にツイーターを追加しているようだが息はピッタリ合ってる
ローファイなサンスイトランスは、磁気飽和したときの高次歪みがうまいことミックスされることで、楽音とタイミングのあった倍音が綺麗に出てくる。正確な再生というよりは、楽器のような鳴らし方が特徴的だ。
サンスイトランスは1960年代初頭にトランジスター・ラジオの終段B球プッシュプル回路の分割トランスとして組み込むために設計されたもので、わずかにラウンドしたカマボコ特性は、録音年代によってサウンドポリシーの激変するモノラル録音のコアな周波数領域を炙りだしてくれるし、さらに電圧の低いライン出力でもMMカートリッジのような良い塩梅のサチュレーション(高次倍音)が加わってくれる。
Jensen C12R+Visaton TW6NGの1kHzパルス応答(ライントランスで倍音補完)
私のモノラル生活は、最初はラジオぐらいのもので十分だとはじまったのだが、そのうち大型電蓄かジュークボックスなみのものまで育った。しかし、ジュークボックスなみにグレードアップした我がモノラル・システムも、基本スペックはモノラル・ラジカセとそれほど変わらない。40年近くオーディオ趣味に携わっているが、結局1970年代のモノラル・ラジカセの音が忘れられずにいたのだと自戒している。最初はローファイ・モノラルの特使だと悪ぶっていたが、今ではホームラジオと変わらないスペックこそが、最高にニュートラルなオーディオ環境だと思っている。
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まず、なぜモノラルで聴くのか? について話そう。ちなみに私は、ステレオ録音もモノラルにミックスしてモノラル・スピーカーで聴いている。
モノラルで聴くと、ステレオ録音であの手この手で盛り上げようとした演出(サウンドステージの音場感や定位感)を一端リセットして、録音のときのマイクと楽音の距離感そのままでミュージシャンのパフォーマンスを聴ける。つまり、ステージの上に立っている姿ではなく、部屋の中にミュージシャンを招き入れた感じになるのだ。
もともとステレオ録音は、RCAのリビング・ステレオの宣伝文句のように、コンサートホールのS席で聴くような贅沢を味わえるというものだった。これはクラシック音楽には良い響きなのだがロックにはどうだろうか? 大きなホールで巨大なPAを鳴らしまくったのは1960年代末以降で、それ以前はビートルズのステージ活動引退から察するように、グルーピーの奇声で楽音がかき消されるほど貧弱なものだった。精々100人を収容する公民館やライブハウスが適切な舞台だったのだ。あるいはダイナーなバーに置かれたジュークボックス、個室では携帯ラジオや小型ポータブルプレイヤーが適切な音響だった。それをCDにパッケージして、再び四畳半~六畳間の自室で聴くというのだ。ステレオ音響の目指すコンサート会場という箱モノのスケール感が、いかに邪魔な基準になっているかが分かるだろう。ロックのグランド・ゼロは、ミュージシャン自身から発するパッションなのだと私は思っている。
ビートルズのライブ:この大観衆にギターアンプ5,6台というのはどうか?
BBCの人気番組"Saturday club":番組合間にビートルズと談笑するBernie Andrews氏
ビートルズがラジオ中継用ライブ会場として使用していたBBCパリ・シアター
上:バンドメンバーがノイローゼになるぐらいかっ飛ばしてた頃のボブ・ディラン
下:本人も隠居を決め込み田舎で自主録音するボブ・ディラン
私は人間が音楽に感動する要素は、人間の聴覚における社会性を育んできた言語的ニュアンスにあると思っている。つまり音楽の大方の情報は200~6,000Hzぐらいの範囲に納まっているのだ。そいういう意味もあって、私はスピーカーの機能性として、まず第一に人間の声をリアルに表現することを大事にしている。
そこをさらに踏み込んで、スピーカー径を大きめの30cmとしている。その理由は低音の増強のためではなく、200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。
このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたJensen C12Rのようなエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。よくスピーカーの再生能力としてフルボディという言葉が使われるが、モノラルの場合はスピーカーそのものの大きさが等身大であるべきだと思っている。
それと、スピーカーのダイレクトな振幅をじゃましないために、エンクロージャーを後面開放箱にしている。これはJensen C12Rの共振尖鋭度Qts(最低共振周波数fo付近でのコーン紙の動きやすさを示す数値)がQts=2.5という、ガチガチなフィックスドエッジだから可能なことでもある。逆に通常のバスレフ箱用に設計されたQts=0.3~0.5ぐらいのフリーエッジでは、後面開放箱に入れるとフラフラして使い物にならないので注意が必要だ。例えば同じJensenでも高級なP12NはQts=0.7で、バスレフポートの間口が広い、古い設計のハスレフ箱に合ったものとなっている。
人体の発声機能と共振周波数の関係
唇の動きに見とれるか、顔を眺めてうっとりするか…
やっぱり胸元まで見ないと実体感が湧かないでしょ!
裏蓋を取って後面解放!
私のモノラル・スピーカーのチューニングは、約1mの近接距離でコンサートホールの音響に近似したカマボコ特性とし、タイムコヒレント特性を200~8,000Hzで綺麗に揃うように整えている。
実際の録音スタジオでのマイク位置は、精々30cmの近接位置であり、そうでないと録音の鮮度が保てない。それゆえに、Hi-Fiらしい音の定義は近接マイクの音そのものとされてきた。しかし、自然なアコースティックに沿った音響はずっとカマボコ型なのだ。逆に音の鮮度というのは、音が近くに聞こえる(音が前に出る)中高域の鋭敏さにあるのではなく、中低域と一体となったブレの無さである。低域に気を取られたスピーカーがラジオやテレビのアナウンスで胸声が強くモゴモゴするのは、重低音が遅れて良いという思い込みにかまけて、重たく反応の悪いウーハーにボーカル域を委ねてしまったからだとも言える。このバランスを取るのに苦慮していたのが、実は1940年代のPA装置だったというのだから、これは進化ではなく退化だったのだ。私のスピーカーから聴こえるのは、録音が古くても新しくても変わらない、自然な音楽の躍動感と楽器間のバランスである。
コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)
1m付近のディスクサイドでコンサートホールの響きに近づける
以下は超メジャーレーベルのRCAのモニタースピーカー、局用レコードプレイヤー、南部のスタジオの音響などであるが、いずれもオプションとしての旧規格のトーンキャラクターに収束していることが分かる。これは78rpm盤のサーフェイスノイズを嫌って、少し早めにロールオフさせることを好んでいたことと関連している。シュアー社の技術長も規格上はプリエンファシスなしで入れているのに対し、NABカーブで適度に高域を落として聴くことを勧めている。結果的に、ナッシュビルやテネシーのようにカントリーやフォークを好んだ地域では、1966年に至っても旧規格でのサウンドでミキシングが行われていた。これが自然なアコースティックに基づくのだと知るには、フラット崇拝のモニター方法から耳を離れて、高域を聞き取れるように慣らす必要があるだろう。
RCA LC-1Aの周波数特性(1947年時点はSP盤用フィルター装備)
LC-1Aと同時期の70-Dターンテーブル&ピックアップ(NAB規格準拠)
1966年のRCAナッシュビルとテネシーのスタジオ音響特性
モニターはRCA LC-1のはずたが、旧型なのかアルテックA7のものかはハッキリしない
下はナッシュビルのチェット・アトキンス。ギターもミキシングもこなした。
コンサートホールの響き(2kHzからロールオフしたカマボコ型)とボーカル域の発音(100~8,000Hzが一筆書きでスルッと鳴る)という、アコースティックで自然な音のニュアンスを究めれば、自ずとどの時代の録音もニュートラルに再生できるレベルに収まるようになった。これは古い録音に限ったことではなく、新しい録音でもそこそこ聴けるというレベルに留めるのがコツである。Hi-Fiの定義をフラットで広帯域というのは、20世紀に残された録音の幅広さと比べれば、本当は間違っている。
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以上、ロックを通じて観た20世紀音楽は、モノラルのラジオとジュークボックスで出来ていたことが分かるだろう。そしてそれはパフォーマンス・アートとしての、燃え滾る生命力の発露こそが本骨頂なのだ。しかしオーディオ技術の進化は、その漲るパワーを一般家庭のコモンセンスへと抑え込むべく、コンサートホールという箱モノでのシフォニックな響きに変えてしまった。それは集客力を競うショウビズの世界では常識に思えても、ロックがもつ鬱屈した感情と正面から向き合うこととは別の物へと変化したともいえる。あらためて古い真空管ラジオで聴くロックは、荒々しい2ビートをまき散らしながら奔走するのである。
※モノラルを愛する人にはこのロゴの使用を許可?しまする
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